称名寺市民の森は、称名寺の裏山・金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)にある緑地公園です。称名寺の背後を囲むようにあり、境内からも入ることができます。
称名寺の境内以外は住宅地がすぐそばまで迫っていて、まちに残された貴重な緑でもあります。
称名寺市民の森には、称名寺を建立した北条実時とその一門の墓や、明治から昭和にかけての実業家・政治家である大橋新太郎が建てた八角堂などがあります。
称名寺市民の森の八角堂広場からは、近世まで難所として知られた、いくつもの入り江やそのすぐ近くまで迫る山々からなる三浦半島北部を一望できます。埋め立てや宅地化などの開発で地形は変わっていますが、複雑な地形にあることは今でも良く分かります。
INDEX
称名寺や金沢文庫を築いた北条実時の墓
北条実時(金沢実時)は、金沢北条氏の実質初代で、鎌倉幕府第2代執権・北条義時は祖父にあたります。実時の父・北条実泰が、義時から現在の横浜市金沢区の所領を引き継ぎ、それ以降、金沢北条氏は鎌倉幕府滅亡までこの地を本拠地として治めていくことになります。
北条実時は、第4代執権・北条経時や第5代執権・北条時頼を側近として支えるなど、鎌倉幕府の要職を歴任する一方、文化人としても知られ、居館内に真言律宗の寺・称名寺を開いたり、晩年には日本最古の武家文庫・金沢文庫を設立したりしました。
北条実時の墓は、その称名寺や金沢文庫の裏山にあたる称名寺市民の森内に建っています。
墓地の中央にある宝篋印塔が実時の墓で、左右の五輪塔は一門の墓と伝わっています。
※北条実時の墓は、厳密には称名寺市民の森の範囲外にあり、所有者は称名寺となりますが、市民の森とあわせて訪れる方が多いと考えられることから、このページで紹介させていただいております。
八角堂広場からの眺望
北条実時の660年忌にあたって、称名寺の東隣にあった海岸尼寺の跡地に別荘を持ち、金沢の地を気に入っていた実業家・政治家である大橋新太郎が、現在の称名寺市民の森に観世音菩薩を100体配置して巡拝コースを作り、山頂には八角堂を建てました。
大橋新太郎は実業家や政治家として知られる一方、関東大震災などで被災した称名寺を復興するために尽力したり、神奈川県で最初の県立図書館である神奈川県立金沢文庫設立時には資金の半分を寄付するなど、地域の復興と発展に大きな貢献をした人物です。
八角堂は現在も残っていて、まわりは八角堂広場として称名寺市民の森の休憩場所になっています。
八角堂広場からは、八景島や海の公園といった埋立地でできたまちや、野島公園、平潟湾方面の、かつての六浦荘村や金沢村を一望できます。