横須賀中央大通りは、京急線・横須賀中央駅前の「Yデッキ」(ペデストリアンデッキ)から三浦半島最大の繁華街である横須賀・下町エリアを貫く、横須賀のメインストリートです。ほぼ直線状に500mほど続き、国道16号に突き当たります。その先には、米海軍横須賀基地(ベース)があります。大通りの両側には、「若松商店街」、「大滝商店街」、ビル型の老舗商店街「三笠ビル商店街」、高層マンション一体型のショッピングモール「リドレ横須賀」などの商店が連なっています。かつては、三浦半島唯一の百貨店「さいか屋横須賀店」も横須賀中央大通り沿いにありましたが、現在は大通りから少し奥まった場所で、規模を縮小して営業しています。
横須賀中央大通りは横須賀を象徴する通りのため、「よこすかみこしパレード」や横須賀に拠点を持つ海上自衛隊関連のパレードなどの大きなイベントを、通り全体を使用して盛大に行われることがあります。また、例年冬には、大通り沿いの街路樹にイルミネーションが灯ります。
INDEX
横須賀軍港エリアに重心があった明治・大正期の横須賀市街
現在の横須賀中央大通りは、横須賀市内で最多の乗降客数を誇る京急線・横須賀中央駅の目の前に位置しています。また、全区間が三崎街道(県道26号横須賀三崎線)の一部になっていて、JR横須賀線・横須賀駅や京急線・汐入駅方面とJR横須賀線・衣笠駅や横須賀市西地区、京急久里浜線・三崎口駅方面などを結ぶ路線バスが頻繁に行き交う交通の要衝になっています。
昭和初期までの横須賀市街の重心は、横須賀中央駅とは横須賀中央大通りを挟んだ反対側にありました。こちら側には、いずれも現在はその大部分が米海軍横須賀基地内にあたる旧日本海軍の横須賀鎮守府や旧横須賀製鉄所(後の、横須賀造船所、横須賀海軍工廠)、そして、横須賀市役所の旧庁舎などの軍や市の重要な施設が集中していました。さらにその先には、1889年(明治22年)に開業した、横須賀線・横須賀駅があります。
明治・大正期の軍都・横須賀は、これらの軍港エリアを中心に、海岸の埋め立てをともないながら、拡大していった歴史があります。
横須賀中央エリアに重心が移った京急線の開通と中央大通りの開発
現在の横須賀中央大通り周辺が大きく変わったのは、1923年(大正12年)に発生した関東大震災以降のことです。
関東大震災は、横須賀市街にも甚大な被害をもたらしました。震災復興事業の区画整理によって、現在の横須賀中央大通りは道幅が大きく拡幅されました。
これに並行するかたちで、1930年(昭和5年)に開業した京急線(当時の湘南電気鉄道)・横須賀中央駅を新たな核にしたまちづくりも進められて、駅前ロータリー(現在の「Yデッキ」)や駅前から日の出町方面に延びる道路などが整備されました。
このようにして、徐々に、横須賀市街の重心は旧軍港エリアから、海岸埋め立てと区画整理によって生まれた新市街と言うべき横須賀中央駅エリアに移っていくことになります。その軸となった横須賀中央大通り沿いには、震災復興後に「さいか屋」が、戦後の高度成長期には「西友」(現在の「リドレ横須賀」)、「緑屋」(後の「WALK」、現在の「横須賀プライム」)といった大型店舗が出店し、三浦半島最大の繁華街となっていきました。
ジャズの街を象徴するベンチに腰掛けたジャズメンの銅像
横須賀中央大通りの特徴として、米海軍横須賀基地が近いこともあって、米軍関係者やその家族などのアメリカ人が多く見られることが挙げられます。戦後の米軍向けの繁華街としてはドブ板通りが有名ですが、ドブ板通りの入口も、横須賀中央大通りに面しています。
横須賀は日本の戦後ジャズ発祥の地として知られています。戦後、ドブ板通りの一角にあった通称「EMクラブ」(米海軍下士官兵クラブ。現在の横須賀芸術劇場やメルキュールホテル横須賀の敷地)で、日本人のジャズマンたちは、耳が肥えたアメリカ人の観客向けに演奏をして、夜ごと、腕を磨きました。
このような「ジャズの街・横須賀」のシンボルとして、1989年、横須賀中央大通り沿いに、ベンチに腰掛けたジャズメンの銅像が設置されました。ジャズメンの隣りの席は空いているので、観光客には記念撮影スポットとしてもおすすめです。