津久井浅間神社は、京急久里浜線の津久井浜駅のすぐ隣りに鎮座する、旧津久井村の鎮守です。主祭神として木花咲耶姫命が祀られていて、縁結び・安産・子育ての守護神として、地域の人たちの信仰をあつめてきました。
浅間神社創建の由緒は、神社の社伝によると、奈良時代の天平年間(729年~749年)、奈良の大仏の建立を指揮した高僧・行基が当地を訪れた際に、浅間山(三浦富士)の山頂に駿河国の浅間神社を勧請したのがはじまりだと伝えられています。
津久井浜駅隣りの浅間神社は、この三浦富士山頂に鎮座する浅間神社・奥宮に対する里宮にあたります。
主祭神 | 木花咲耶姫命 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 天平年間(729年~749年) |
祭礼 | 1月1日 歳旦祭 3月8日 祈年祭 7月7日 例祭 7月8日 山頂祭 8月下旬 八雲祭 11月15日 新嘗祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
一般的に里宮とは、山上など離れた場所にある奥宮に対して、参拝者の便宜をはかり集落の近くに設けられた神社のことです。裏を返せば、浅間神社は、いつでも拝みたい神様として、地域の人たちに親しまれてきた存在だとも言えます。
津久井浜駅のすぐ隣りに鎮座する駅近の 浅間神社里宮

奥宮が鎮座する場所は現在も変わりありませんが、里宮に当たる津久井浜駅隣りの浅間神社は、以前は三浦富士の参道(登山道)途中にあたる津久井村字富士ノ入にありました。
津久井の三浦富士の登山口近くには、三浦富士の本地仏(神の本来の姿とされた仏)を祀る東光寺があり、明治維新までは浅間神社の別当寺(神社を管理する寺院)のような存在として、密接な関係にあったことをうかがい知ることができます。
浅間神社が現在の場所に遷座したのは、1928年(昭和3年)のことです。その後、すぐ近くに京急久里浜線の津久井浜駅が開業したことによって、浅間神社は駅近に鎮座する、遠方の人たちにとっても参拝しやすい神社になりました。
ただ、一方で、津久井浜駅の開業によって、駅裏に追いやられた感があることも否定できません。
線路によって分断された浅間神社の参道

浅間神社境内から京急久里浜線のガードレール下をくぐった反対側の、津久井浜駅の駅前広場の一角には、いくつかの庚申塔と並んで「浅間神社」と刻まれた石碑が建っています。駅から海のほうへ少しだけ進んだ場所です。
津久井浜駅の開業は1966年(昭和41年)です。現在は廃止されていますが、京急久里浜線の開通前は東京湾沿いの海沿いに路線バスが走っていて、浦賀や久里浜方面と三崎方面を結んでいました。
遠方の人たちが浅間神社・奥宮(三浦富士)へ参拝する場合、このバス路線を使って海沿いの最寄りのバス停で降りて、浅間神社・里宮を経由して、内陸の登山道へ向かって行ったものと想像できます。
鉄道の開通によって、このかつての参道は線路で分断されてしまったということになります。(高架区間のためガードレールの下を通れますので、道としてはつながっています)
ただ、アクセスする手段がバスから鉄道に変わっても、津久井浜駅のすぐ隣りの里宮近くを経由して、三浦富士山頂の奥宮に向かうというのが浅間神社のメインの参拝ルートであることは、今も変わりありません。
これが正式な参拝ルートというわけではありませんが、津久井浜駅から三浦富士方面へハイキングに向かう際には、浅間神社に参拝してから向かうと良いでしょう。
津久井浅間神社の境内社
1889年(明治22年)の町村制施行によって津久井村は長沢村および野比村と合併して北下浦村となり、津久井村は北下浦村字津久井になりました。
その後、1908年(明治41年)には、旧津久井村に鎮座していた八坂大神、御霊神社、日枝神社が、浅間神社に合祀されました。
八坂大神は、明治維新までは牛頭天王社でした。かつての本尊は、今も東光寺で秘仏として安置されています。浅間神社の夏祭り「八雲祭」は、この八坂大神(牛頭天王社)にルーツを持つお祭りです。
現在の浅間神社の境内には、金毘羅神社と稲荷神社も祀られています。
1879年(明治12年)から1920年(大正9年)にかけて神奈川県がまとめた「明治12年 神社明細帳(三浦郡)」によると、浅間神社に合祀されるまで、津久井村には以下のような神社が鎮座していました。
神社名 | 主祭神 | (旧)鎮座地 | 旧社格 |
---|---|---|---|
浅間神社 | 木花咲耶姫命 | 津久井村字富士ノ入 | 村社 |
八坂大神 | 素盞鳴尊 | 津久井村字横手 | |
御霊神社 | 稲荷神 | 津久井村字安戸 | |
日枝神社 | 猿田彦命 | 津久井村字川尻 |


津久井浅間神社周辺の見どころ
津久井浜海岸方面




三浦富士(奥宮)方面



