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筌龍弁財天(三浦七福神)
ご祭神等 | 筌龍弁財天 |
主なご利益 | 芸能上達・学問成就・財運・美人祈願 |
現在、海南神社の本殿には、相殿として、三浦七福神(第三番)の筌龍弁財天が祀られています。
1180年(治承4年)、源頼朝が伊豆で挙兵した際、和田義盛ら三浦一族もこれに呼応しましたが、本拠地である衣笠城が落城し、房総半島に渡るために久里浜から舟で東京湾に逃れました。
なんとか海上に逃れましたが、衣笠城から命からがら敗走して来た三浦一族の面々は、戦による疲労と飢えで限界を迎えていました。
しかし、和田義盛が龍神に祈ったところ、「筌(せん)」が流れてきて、それで魚を獲ることによって飢えをしのぐことができたと言います。
しばらくして、義盛は「筌」が龍に化けて現われる夢を見たため、三浦一族ともゆかりの深い三崎の地にお堂を建てて祀ったのが、この筌龍弁財天のはじまりと伝えられています。
龍神社
ご祭神等 | 龍神大神 |
主なご利益 | 災難除・運気上昇 |
源頼朝お手植えと伝わる海南神社の御神木となっている雄雌2本の大銀杏のうち雄株には、龍神のように見える枝があり、その下には龍神社が鎮座しています。
近年祀られた神社というわけではなく、少なくとも江戸時代後期には三崎に龍神社が鎮座していました。また、剱崎にも海南神社が関わる龍神の伝説が伝わっています。
筌龍弁財天とともに、海南神社は食の神様と並んで多くの龍神様が宿る神社と言えます。
海南高家神社
ご祭神等 | 磐鹿六雁命(食の神様) |
主なご利益 | 技術上達 |
海南神社の本殿の向かって左手には、食の神様・磐鹿六雁命を祀る海南高家神社が鎮座しています。海南高家神社の周辺には、磐鹿六雁命の大絵馬や包丁奉納殿、包丁塚が並び建っていて、食の神様を祀る海南神社を象徴するようなエリアと言えます。
金毘羅宮
ご祭神等 | 大物主大神 |
主なご利益 | 海上安全・大魚祈願 |
海上安全・大魚祈願のご利益があることで知られる金毘羅宮も、三崎漁港近くに鎮座する海南神社らしい境内社の一つです。
金毘羅宮は、本殿向かって右側の参道を登った先にある、境内の一段高い林の中に鎮座しています。
神馬社
ご祭神等 | 神馬 |
主なご利益 | 健脚・足腰の病気平癒・ペットの健康 |
昔、海南神社の神馬が逃げ出したところ、たちまち疫病がまん延しましたが、木造の神馬を奉納したところ疫病が鎮まったと言われています。神馬社にはこの木造の神馬が祀られていて、この馬に祈ると脚気や足の病気が治るとされています。
疱瘡神社
ご祭神等 | 源為朝 |
主なご利益 | 疫病ウイルス除・武道向上 |
海南神社の鳥居をくぐってすぐの、神橋の手前、向かって左手に鎮座する疱瘡神社も、疫病除けのご神徳のある境内社です。疱瘡とは天然痘のことで、非常に伝染力が強く致死率も高い感染症だったため、古来より、日本でもたびたび大流行していました。
疱瘡神社の御祭神となっている源為朝は、平安時代末期に活躍した武将で、源頼朝の叔父にあたります。為朝は保元の乱で崇徳上皇方について兄である義朝らと戦いますが、戦に敗れ、伊豆大島へ流罪となりました。周辺で疱瘡が大流行した際も伊豆大島だけは一人の患者も出さず、これは剛勇として知られた源為朝がいたためであろうという逸話がひろまり、いつしか、源為朝は疱瘡の神様と崇められるようになったと言います。
2020年から数年に渡って新型コロナウイルスが世界的に大流行した際も、疫病ウイルス除のご神徳があるとされる海南神社の疱瘡神社は、外出自粛が呼びかけられるなかでも、参拝者が多かったと言います。
御霊神社
ご祭神等 | 鎌倉権五郎景政 |
主なご利益 | 眼病平癒 |
神橋の前で疱瘡神社と向かい合うように鎮座する御霊神社も、病気平癒のご神徳を持つ境内社とされています。
御霊神社の御祭神となっている鎌倉権五郎景政は平安時代に活躍した武将で、16歳の時、源義家に従って後三年の役に従軍した際に、左目を射抜かれながらも敵を倒したというエピソードが伝わっています。この逸話が転じて、権五郎景政は、眼病平癒のご利益がある、目の神様として親しまれています。
福徳稲荷神社
ご祭神等 | 豊受比売大神・宇迦之御魂神 |
主なご利益 | 家内安全・商売繁盛 |
海南神社の御神木の近くで、朱塗りの鳥居と社殿に目をひかれるのが福徳稲荷神社です。
古くから三崎は商人のまちでもありましたので、お稲荷さんも欠かせない存在だったのでしょう。