剱崎は三浦半島南東端に位置していて、「かながわの景勝50選」に指定されている景勝地です。「剱埼灯台」はその岬の高台に建っています。
剱崎と、対岸の房総半島南西端にある館山市洲崎(洲埼灯台)とを結ぶ線が東京湾の南端で、太平洋との境になっています。
剱埼灯台は、1866年(慶応2年)にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ江戸条約(改税条約)によって江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台の一つで、1871年(明治4年)に日本で7番目の洋式灯台として初点灯しました。設計は、日本における「灯台の父」と呼ばれるイギリス人技師リチャード・ブラントンによるものでした。
現在の建物は2代目で、関東大震災後に再建されたものです。
剱埼灯台は、建物の中を見学したり、登ることはできません。
自家用車では灯台の近くまで入ることはできないため、近隣の有料駐車場に停めて、徒歩でアクセス(5分くらい)できます。ただし、すれ違いが困難な農道を走ることになりますので、車で行くことはオススメしません。
公共交通機関を利用する場合は、「剱崎」バス停で降りた後、県道215号を少し三崎港方面に歩き、左側(東側)にそれる道に曲がり、畑の中を20分ほど歩くと到着します。灯台は見晴らしの良い高台に建っているため、少し進むと目印に見えてきます。
交通アクセスが良くない点も含めて、数ある三浦半島の灯台のなかでも剱埼灯台は、多くの人が持つ『秘境の岬の高台に建つ』という灯台のイメージにもっとも合うロケーションかもしれません。
INDEX
透明度抜群の周辺の海岸は海辺のハイキングコース

灯台の脇からは海に降りることができて、釣りのポイントとしても知られています。
磯づたいに、江奈湾、毘沙門湾、宮川湾と、西側は三崎港方面に歩くこともできます。(とくに満潮時は気をつけてください)
反対の北側は間口漁港周辺で分断されるため、その先の大浦海岸(大浦海水浴場)や戸津浜海岸(遠津浜海岸)へは磯づたいでは行くことができません。
剱埼灯台周辺の海岸は岩場と小さな浜辺からなっていて、外洋(太平洋)に面しているため、三浦半島の中でもとても透明度が高いエリアの一つです。
2023年海水浴場 | × 剱崎は海水浴場ではありません |
2023年海の家開設 | × |
公衆トイレ | △(灯台より内陸側にあり、海からは遠い) |
駐車場 | △(下記DATA欄参照) |

剱埼灯台&剱崎の周辺
大浦海岸 戸津浜海岸(遠津浜海岸) 剣崎砲台跡
白浜毘沙門天海岸


以下のリンク先から他の【ビーチ】もご覧ください!!

ミルフィーユ状の地層を見られる岩礁

剱埼灯台周辺の海岸は、かつて海底にあった地層が露出している状態を観察できる場所としても知られています。
同じような地形は、荒崎や観音崎などでも見ることができます。



剱崎(つるぎざき)? 剱埼(つるぎさき)? 剣崎(けんざき)?

「剱崎(つるぎざき)」「剱埼灯台(つるぎさきとうだい)」は、他にも、「剣崎」と書いて「けんざき」と読んだり、複数の呼び名が混在して使われてきました。
諸説ありますが、明治のころには「剣崎(けんざき)」が多く使われるようになってきて、戦後、京急がこのあたりを観光地としてPRする際に「剣崎(けんざき)」と呼ぶようになったことが決定打となり、一時はこちらが優勢でした。
しかし、近年は、古来からの名称である「剱崎(つるぎざき)」が一般化しています。(「剣崎小学校(けんざきしょうがっこう)」など公共施設にも「剣崎(けんざき)」の名称が使われている例はありますが、この名称になったのは1958年(昭和33年)のことで、それほど古い歴史があるわけではありません)
灯台や灯台が最重要地点として載る海図などでは「剱埼灯台(つるぎさきとうだい)」「観音埼灯台」のように、「崎(ざき)」ではなく「埼(さき)」が使われています。
これは、かつて旧日本海軍が自然地形を表わす「埼」と集落名を表わす「崎」を区別して使っていて、海上保安庁もこれを踏襲したからだとする見解が一般的なようです。
