満昌寺は、三浦氏の初代とされる三浦為通(村岡為通)から数えて第4代当主にあたる三浦大介義明を開基として、源頼朝が建立しました。
満昌寺には三浦義明の墓もあり、義明や三浦一族を語るうえでは欠かすことのできない名刹です。
三浦義明は、1180年(治承4年)に源頼朝が平家討伐の兵を挙げた際に衣笠城で討ち死にしました。頼朝が満昌寺を創建したのは、それから14年後のことです。
本拠地である衣笠城を平家方に包囲された三浦義明ら三浦一族の軍勢は、兵力が歴然と劣っていたため、義明の子・三浦義澄ら一族を源頼朝と合流させるために、老齢の義明がひとり衣笠城に残り、捨て石となりました。
石橋山の戦いで惨敗した源頼朝でしたが、無事に三浦義澄らと合流し、次々に東国の武士を味方につけながら勢力を拡大し、平家を滅ぼし、最終的には鎌倉に幕府を開くことができました。
頼朝は、そんな義明を弔い、礼を尽くすつもりで、満昌寺を創建したのでしょう。
山号 | 義明山 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
寺格 | ― |
本尊 | 宝冠釈迦如来像 |
創建 | 1194年(建久5年) |
開山 | 不詳 ※1334年(建武元年)、仏乗禅師により中興開山 |
開基 | 三浦大介義明(義明の死の14年後に源頼朝が建立) |
満昌寺の御本尊・華厳釈迦像や国指定重要文化財・三浦義明坐像などは、通常は一般公開していませんが、事前予約することで拝観することができます(要拝観料)。
また、事前予約をしても見学することができない寺宝は、例年11月に特別公開日が設けられます。
INDEX
三浦の大介百六つ
後に、三浦義明は「三浦の大介百六つ」と呼ばれるようになります。これは、源頼朝が満昌寺で行われた義明の十七回忌に列席した際に、義明がまだ存命していて加護してくれているのだと感謝の意を表したことによると言います。「106」とは、義明の享年「89」に「17(年)」を加えた数になります。
三浦義明廟所 三浦義明の墓
三浦義明の墓は、満昌寺の裏山の、御霊神社宝物殿の裏にあります。中央の宝篋印塔が義明の墓で、右側の五輪塔が義明の妻の墓とされています。
満昌寺にほど近い薬王寺旧跡にある義明の子・義澄の墓や、向かいの山にある清雲寺の為通・為継・義継の三浦氏初代から第3代までの墓、三浦市の金田にある義明の孫で義澄の子・義村の墓(旧墓石)はどれも、宝篋印塔ではなく方形や円形の石を積み重ねた五輪塔のような形です。義明の墓だけ宝篋印塔なのは、後年作り替えられたものだからなのか、何か特別な意味があるのか、謎めいています。
なお、鎌倉の材木座にも、源頼朝が三浦義明の霊を弔うために建立した寺院「来迎寺」があります。来迎寺にも三浦義明のものと伝わる墓があり、こちらは五輪塔のスタイルです。
満昌寺の見どころ
山門
通り(久里浜田浦線)に面した山門は重厚なつくりで、満昌寺の由緒を知らない人が見ても、ここが名刹であることに気づくはずです。
祇園しだれ桜
山門の横に植えられているしだれ桜は、京都の桜守・佐野藤右衛門により仕立てられた銘木「祇園しだれ桜」です。ボリュームではなくその枝ぶりをたのしむしだれ桜は、武家の寺にぴったりです。
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本堂
本堂には、御本尊である華厳釈迦像や天岸慧広坐像などが安置されています。事前予約をすることで拝観することができます。
源頼朝お手植えつつじ
本堂の前には、源頼朝の手植えと伝わるつつじがあります。木の枝先に頭を入れると頭痛持ちが治ると言い伝えられていて、開花の時期以外にもオススメです。
羅漢さんの庭
本堂の横から御霊神社宝物殿に登る階段の横には、三十三体の羅漢像が安置されています。
御霊神社宝物殿
満昌寺の御霊神社は三浦義明を祀る社で、1212年(建暦2年)に義明の孫である和田義盛によって創建されたと伝えられています。
三浦義明坐像(国指定重要文化財)を安置していて、現在は宝物殿も兼ねています。
この御霊神社宝物殿の裏手にまわった一段上がった場所に、三浦義明の墓があります。
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