正行院は、平安時代後期から鎌倉時代前期に活躍した三浦一族の武将・和田義盛が、妻である巴御前の菩提寺として建立したのがはじまりと伝えられています。はじめは秋谷の乗越海岸にありましたが、お十夜(十夜法要)の始祖・光明寺第9代観誉祐崇上人が開山となって現在の場所に移しました。
正行院は大楠山のハイキングコースの途中にあり、国道から一歩入ればのどかな風景が広がるような場所ですが、近くには、和田義盛ゆかりの浄楽寺や、三浦十二天(十二所神社)など、三浦一族にゆかりのある寺社が点在しています。
山号 | 紫雲山 |
宗派 | 浄土宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 1199年(建久10年、正治元年) |
開山 | 祐崇 |
開基 | 和田義盛 |
INDEX
侍所別当・和田義盛と巴御前の夫婦説
巴御前は、平安時代後期に活躍した武将・木曽義仲(源義仲)の愛妾であり女武者でした。義仲が源頼朝の軍勢によって滅ぼされると、巴御前は捕虜となり、鎌倉に送られたとされています。
後に、和田義盛に気に入られた巴御前は、義盛の妻に迎えられたという伝承があります。たとえ、「和田義盛の妻」というのが後の時代の創作であったとしても、鎌倉幕府で御家人を束ねる侍所の別当(長官)であった義盛は、巴御前の身を預かる立場にあったということは十分に考えられます。
巴御前がいつどこでどのように亡くなったのかは分かっていませんが、正行院の縁起にあるように、正行院が巴御前の菩提寺として義盛が建立した寺院であるとすれば、1199年(建久10年、正治元年)以前に亡くなったということになります。木曽義仲が討たれたのが1184年(寿永3年)ですので、二人は十数年連れ添ったということになります。
正行院には、巴御前の遺髪が埋められたと伝えられています。
和田義盛の菩提寺である来福寺(三浦市南下浦町上宮田)には巴御前の遺品が残されていて、義盛と同じ三浦一族の佐原義連が開いた満願寺(横須賀市岩戸)の近くには巴御前のものと伝わる墓(民有地のため通常非公開)があるなど、三浦半島には和田義盛と巴御前の夫婦説を裏付けるような伝承が数多く残っています。
大楠山前田橋コースや遊歩道に隣接
正行院は、大楠山の前田橋ハイキングコースの登り口近くにあります。また、この前田橋コースの登り口付近の前田川沿いには、川底に降りられる遊歩道が整備されています。
正行院にお参りに訪れたなら、前田川遊歩道に立ち寄ってみたり、時間と体力に余裕があれば、大楠山まで足を延ばしてみるのもオススメです。
正行院周辺の見どころ
正行院からそれほど離れていない場所にある、芦名の浄楽寺も、和田義盛ゆかりの寺院です。浄楽寺には、巴御前とはまた別の妻である、小野氏とともに、義盛夫妻が願主となって製作された5体の運慶仏が安置されています。
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