鎌倉半僧坊は、半僧坊権現を祀る、臨済宗建長寺派大本山・建長寺の鎮守です。建長寺境内の最奥にある勝上嶽(勝上巚)の中腹に鎮座しています。
半僧坊は、建長寺の御朱印所の一つにもなっています。
霊験あらたかな半僧坊権現には、家内安全、商運隆昌、開運守護、学業成就、無病息災、良縁成就など数多くのご利益があるとされていますが、とくに、火伏せの神様(火盗潜消、火難・火除け)としてあつく信仰をあつめています。
関東大震災や阪神淡路大震災などの過去の大災害でも、ご尊像や火盗除札をお祀りしてあった信者の方々は難を免れて無事だったと言います。
半僧坊の社殿の前には、富士見台と相模湾見晴台という二つの展望台があり、遠く富士山や相模湾から眼下の建長寺境内までを、一望できます。
半僧坊からさらに階段を登った先には勝上嶽展望台があり、その先は天園ハイキングコース(鎌倉アルプス)が続いています。
主祭神 | 半僧坊権現 |
旧社格等 | ― |
創建 | 1890年(明治23年) |
祭礼 | 5月中旬 半僧坊春季大祭 9月中旬 半僧坊秋季大祭 ※日にちは年によって異なります |
半僧坊の境内には10体以上もの天狗像が鎮座していて、パワースポットと呼ぶのにふさわしい雰囲気をかもし出しています。しかし、「なぜ、天狗像?しかも禅寺に」と思われる方も多いことでしょう。
「半僧坊大権現」は天狗の姿をしていると考えられていて、それを建長寺の鎮守として祀ったものが鎌倉半僧坊のため、建長寺境内を見守るような場所に鼻高天狗や烏天狗の像が鎮座しています。
鎌倉半僧坊創建の歴史
建長寺の半僧坊は、1890年(明治23年)に、当時の建長寺住職・霄貫道が静岡・奥山の方広寺から勧請し、祀ったのがはじまりです。
ある夜、霄貫道和尚は不思議な夢を見ます。
一見、お坊さんのようにも、俗人のようにも見える、白髪の老人と山中で出会い、その老人が「私を関東のいずれかの清浄な処に招いてくださるなら、その処はますます栄え、ありがたいことの絶ゆることがない」と告げ、その場からすぐに姿を消したと言います。
このお方こそ半僧坊だと確信した和尚は、建長寺の鎮守に相応しいと、自ら奥山の方広寺に向かい、方広寺の鎮守「半僧坊大権現」のご分身を、建長寺の中でももっとも景観の優れた勝上嶽に安置し、社殿を整備したのが現在の半僧坊だと言います。
半僧坊から続く天園ハイキングコースの見どころ
半僧坊の右手横からはさらに急な階段が続いていて、「鎌倉アルプス」とも呼ばれる、天園ハイキングコースへの入口の一つになっています。
天園ハイキングコースは、鎌倉・二階堂方面や北鎌倉方面の寺院などを行き来するアクセス路としても利用できます。
また、東に進むと、鎌倉市最高峰の大平山や天園を経由して、横浜自然観察の森や金沢市民の森、横浜市最高峰の大丸山、金沢自然公園(金沢動物園)などの横浜・金沢区方面に抜けることができます。