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正業寺・砂村新左衛門の墓 | 久里浜の内川新田を開拓した江戸時代屈指の土木技術者

正業寺・境内(撮影日:2023.03.20) 横須賀
正業寺・境内(撮影日:2023.03.20)

正業寺しょうごうじは、平作川下流域の久里浜一体を開拓して内川新田を築いた、江戸時代有数の土木技術者である砂村新左衛門すなむら しんざえもんの墓がある寺院です。和順こども園(旧和順保育園)が併設されていて、正業寺の境内は和順こども園園庭などとしても利用されています。
境内前を横切る、和順こども園とその分園との間の道は、戦時中に旧海軍軍需部の倉庫群(現在の横須賀市神明町周辺)への引き込み線が通っていた廃線跡で、戦後、道路に転用されたものです。

正業寺は、戦国時代の1566年(永禄9年)に創建されてから、何度も荒廃と再興をくり返してきました。
江戸時代前期の慶安元年には、鎌倉の光明寺第34世で東京・芝の増上寺第21世である業誉空脱還無が、江戸時代中期の元禄年間には鴻巣の勝願寺第16世である廓誉欣笑南察が、正業寺を中興しています。

また、内川新田を開発した砂村新左衛門は、正業寺を現在地に移し、砂村家祖先の供養をしたと伝えられています。現在でも正業寺には、砂村新左衛門の墓とともに、砂村家一族の墓が建っています。

山号御霊山
宗派浄土宗
寺格
本尊阿弥陀三尊像
創建1566年(永禄9年)
開山入誉元清
中興開山:業誉空脱還無(慶安元年)、廓誉欣笑南察(元禄年間)
開基不詳
中興開基:砂村新左衛門(寛文年間)

正業寺砂村新左衛門の墓には、新左衛門の妻もいっしょに眠っています。その功績のわりには質素なものですが、新田開発に生涯を捧げた砂村新左衛門らしい仕かけがあしらわれています。墓の台座には水がたたえられていて、その上に浮かぶように墓石が建っています。このような見方をすると、水との戦いにうち勝ってきた、堂々とした佇まいのようにも見えてきます。
砂村新左衛門の墓には、新左衛門の没年月日である寛文7年12月15日(1668年1月28日)が刻まれています。この、砂村新左衛門の命日である12月15日に近い土曜日には、地元の久里浜観光協会によって、「砂村新左衛門祭」が執り行われています。「砂村新左衛門祭」では、例年、平作川下流の夫婦橋のたもとに建つ内川新田開発記念碑での回向の後、正業寺で法要が行われます。

正業寺・砂村新左衛門墓(撮影日:2024.10.11)
正業寺・砂村新左衛門墓(撮影日:2024.10.11)
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3つの新田開発を並行して手がけた砂村新左衛門一族

正業寺・本堂(撮影日:2024.10.11)
正業寺・本堂(撮影日:2024.10.11)

江戸時代後期に編さんされた「新編相模国風土記稿」やおそらくそこから引用したと考えられる1917年(大正6年)に発行された「久里浜村誌」によると、砂村新左衛門は大阪・上福島(現在の大阪市福島区周辺)の出身とあります。しかし、後年の、横須賀市の山内和子氏らの研究により、江戸時代中期に編さんされた福井藩の史書「片聾記」から、現在は越前国・砂畑(現在の福井県鯖江市)の出身とされています。

農家に生まれた砂村新左衛門は、越前国・三国で土木技術を学び、上福島の新田開発で実績を積んだ後、一族で関東に進出してきたとみられています。
関東での砂村新左衛門の代表的な開発地としては、内川新田の他に、砂村新田(現在の東京都江東区)と野毛新田(現在の横浜市中区)があります。これらの新田の開発はすべて、江戸時代前期の万治年間のはじめから開始され、万治年間の終わりか続く寛文年間のはじめまで行われているため、砂村新左衛門を中心に、ある程度、一族で分担もしならが進めていたと考えられます。

これら3つの新田の中でも内川新田は、砂村新左衛門がもっとも深く関わっていたとみられ、住まいを設けたのはもちろん、神社の勧請(現在の久里浜天神社)や菩提寺とするべく寺院(正業寺)の再興をするなどして、新田開発がひと段落した後も、砂村家一族やその子孫は名主として地域に根付いていくことになります。

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現在の久里浜エリアの基礎となった内川新田の開発

砂村新左衛門とその一族が内川新田に根を下ろさざるを得なかった理由として、内川新田の開発の難易度がもっとも高かったからという可能性が考えられます。

久里浜海岸で東京湾に注ぐ平作川は、中世は現在の森崎公郷町あたりまで入り江が入り込んでいたとみられています。平安時代から鎌倉時代にかけて衣笠城を本拠地にしていた三浦一族は、佐原城怒田城など、この入り江周辺にいくつも支城を築いて、水軍の一面ももっていました。
平安時代末期に、畠山重忠平家方衣笠城を攻められた際には、当時の当主・三浦義明三浦義澄和田義盛らを久里浜から房総半島に逃がしますが、その際にも、この入り江水軍が利用されたと考えられます。

江戸時代ごろなると、この入り江沼地のようになっていて、その中心に現在の平作川の原型となる川が流れる環境に変化していました。
別に依頼主がいたのかなど詳しい経緯は分かりませんが、これを見た砂村新左衛門は、新田開発に最適な環境と考えたのでしょう。

しかし、内川新田の開発は用意ではなかったようで、海水の逆流防止のために現在の平作川下流の夫婦橋付近に設けた水門(樋門)は、大雨のたびに何度も流されたようです。
この夫婦橋のたもとに建つ内川新田開発記念碑によると、そのような困難を乗り越えて、1660年(万治3年)からはじまった内川新田の開発は、8年の年月をかけた1667年(寛文7年)にようやく完成に至りました。ただし、実際にはこの後も、平作川の中流域にあたる辺りは田畑としての利用が難しかったようで、水害との戦いも昭和後期まで続くことになりました。

とは言え、内川新田は、完成当初の石高は360石余、江戸時代後期には585石余と、山がちで稲作には適さない三浦半島では最大の新田となりました。塩田利用の多さなど利用用途が異なるため、単純な比較はできませんが、ほぼ同じ時期に永島泥亀一族によって開発された泥亀新田でいきしんでん(現在の横浜市金沢区。京急線の金沢八景駅から金沢文庫駅にかけてとその周辺)と同じくらいの規模です。
また、農地としての利用だけではなく、内川新田のある久里浜エリア三浦半島で最大の平野となり、横須賀中央エリアに次ぐ横須賀市有数の市街地を形成していくことにつながっていきます。

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内川新田のその後

内川新田は当初「内川砂村新田」と呼ばれていましたが、完成後間もない延宝年間(1673年~1681年)には「内川新田」と改められてます。内川新田は独立した村になりますが、1889年(明治22年)の町村制施行により近隣の八幡久里浜村佐原村などと合併して、久里浜村の大字になりました。
その後の住居表示や地名の整理・変更などによってとても狭い範囲を示す町名となりましたが、現在も「内川新田」という地名は正業寺の近くにわずかに残っています。

なお、東京の砂村新田にも「砂村」という地名が残りましたが、大正時代の町制施行で「砂町」となり、現在は「北砂」・「南砂」・「新砂」・「東砂」として、わずかに「」の字が砂村新左衛門ゆかりの地であることを物語っています。

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正業寺境内の見どころ

正業寺・観音さま(撮影日:2024.10.11)
正業寺・観音さま(撮影日:2024.10.11)
正業寺・青面金剛像(撮影日:2024.10.11)
正業寺・青面金剛像(撮影日:2024.10.11)
正業寺・十二地蔵(撮影日:2024.10.11)
正業寺・地蔵堂(撮影日:2024.10.11)
正業寺・出世不動明王像(撮影日:2024.10.11)
正業寺・出世不動明王像(撮影日:2024.10.11)
正業寺・本堂前に広がる和順こども園の園庭(撮影日:2024.10.11)
正業寺・本堂前に広がる和順こども園の園庭(撮影日:2024.10.11)
正業寺・本堂横のミニスペースを活用した和順こども園の遊び場(撮影日:2024.10.11)
正業寺・本堂横のミニスペースを活用した和順こども園の遊び場(撮影日:2024.10.11)
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正業寺・砂村新左衛門の墓周辺の見どころ

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DATA

住所 横須賀市久里浜2-19-15
アクセス
行き方

京急久里浜線「京急久里浜駅」から徒歩約10分
JR横須賀線「久里浜駅」から徒歩約15分

駐車場 あり
料金

無料(志納)

電話番号 046-835-0112
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