薬王寺の由緒はいくつか伝わっていて、どれが正確なものなのか判断することは難しいですが、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の弟である、三河守・源範頼ゆかりの寺院であることは確かなようです。
薬王寺の本尊・薬師如来は源範頼の念持仏と伝わるもので、薬王寺には範頼の位牌も残されています。毎年、源範頼の命日とされる8月24日には、追善供養「三河忌」が行われています。
また、薬王寺の境内には、源範頼の八百回忌にあたって建立された源範頼の供養塔が建っています。
山号 | 三療山 |
宗派 | 真言宗御室派 |
寺格 | ― |
本尊 | 薬師如来 |
創建 | 鎌倉時代前期 ※前身の薬師寺 |
開山 | 尊譽 |
開基 | 不詳 |

INDEX
薬王寺のルーツは源範頼別邸に建立された寺院
金沢には、薬王寺の他にもう一つ、源範頼ゆかりの寺院、太寧寺があります。「太寧寺」の名前は、源範頼の法名「太寧寺殿道悟大禅定門」から付けられたもので、範頼の菩提を弔うために建立されたと言われています。
この太寧寺が建立された場所にもともとあったのが、薬王寺の前身の寺院である薬師寺とされています。薬師寺は源範頼が瀬ヶ崎にあった自身の別邸内に開いた寺院と見られていて、現在、薬王寺に伝わる本尊は範頼の念持仏を薬師寺から受け継がれたものです。
薬師寺があった瀬ヶ崎は、かつて、鎌倉の外港として栄えた六浦の海に面した場所で、平家討伐のため西日本に遠征していることが多かった源範頼が拠点とするのには最適な場所だったと言えます。三河守になってからは、三河国(現在の愛知県)との往復に海路を利用することがあったかもしれません。
なお、鎌倉の前浜と呼ばれた、由比ヶ浜(材木座)に人工の港「和賀江嶋(和賀江島)」が築かれたのは、もう少し後の時代、北条泰時が執権として幕府の実権を握っていた1232年(貞永元年)のことです。
