千代ヶ崎砲台は、明治時代に旧日本軍が首都東京や横須賀軍港を防衛するために建設した、東京湾要塞を構成する砲台群の一つです。
千代ヶ崎は久里浜と浦賀の間にある岬で、観音崎砲台群の南側(東京湾の入口寄り)に位置しています。千代ヶ崎砲台はその岬の上の丘陵地にある平根山に、1892年(明治25年)から1895年(明治28年)にかけて築造されました。南北に一直線に3砲座が並び、各砲座には28cm榴弾砲と呼ばれる大砲が2つずつ配置され、合計6門の大砲が備え付けられました。
千代ヶ崎砲台跡は、東京湾要塞の砲台群の中でも築造当初の姿を良好に留めていることから、近代の軍事・土木技術を理解するうえで重要な遺跡であるため、猿島砲台跡とともに、2015年に国の史跡に「東京湾要塞跡 猿島砲台跡 千代ヶ崎砲台跡」として指定されました。また、2016年には日本遺産「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成文化財の一つとして認定されました。
千代ヶ崎砲台跡は、長年、不定期に見学会が開催される以外は非公開でしたが、横須賀市によって整備され、2021年10月から土・日・祝日限定(12月29日から1月3日は除く)で一般公開が開始されました。
INDEX
千代ケ崎砲台の戦後の歩み
千代ヶ崎砲台とその周辺は、第二次世界大戦の終戦後、民間で利用されることになりました。その後、1960年(昭和35年)に概ね現在国史跡に指定されている範囲を海上自衛隊が取得し、千代ヶ崎送信所として利用するようになりました。
そのため、砲撃する目標を地上から計測する観測所などの地上施設が残っていなかったり、残っている施設でも改変された箇所があったりします。
海上自衛隊の千代ヶ崎送信所は2013年で利用が終了し、2016年からその跡地(国有地)を横須賀市が管理し、史跡として整備してきました。戦後、一旦、民間で利用されていたこともあり、現在も右翼観測所跡は民有地のままであったり、当時の千代ヶ崎砲台のすべての範囲が公開されているわけではありません。
千代ヶ崎砲台跡のある平根山には、幕末、平根山台場が置かれていました。江戸湾(東京湾)の防衛を目的とした最初の台場の一つで、1811年(文化8年)に会津藩によって築造されました。
1837年(天保8年)に発生した幕府側がアメリカの商船「モリソン号」に発砲した事件(いわゆる「モリソン号事件」)では、平根山台場から砲撃を行いました。
その後、幕府によるこの地の砲台の機能は、より海岸寄りに築かれた千代ヶ崎台場に引き継がれて、1863年(文久3年)まで使用されました。
また、千代ヶ崎砲台が完成したおよそ30年後の1925年(大正14年)には、千代ヶ崎砲台の東側の尾根に、千代ヶ崎砲塔砲台が建設されました。この砲台は、廃艦となった戦艦「鹿島」の砲塔1基を転用した砲塔砲台でした。
このように、東京湾がもっとも狭まる浦賀水道の入口に位置する千代ヶ崎周辺は、艦船が戦力の主役だった江戸時代末期から昭和前期まで、防衛上の重要な拠点となっていました。
旧軍道
他の東京湾要塞の砲台がそうであったように、千代ヶ崎砲台も東京湾を望む見晴らしの良い丘陵地に建設されました。そのため、千代ヶ崎砲台跡へは、砲台の現役時にアクセス道路として設けられた旧軍道の坂道を登って行く必要があります。この旧軍道の坂道は、約300m、ほぼ一直線に続く見通しの良い道路ということもあり、肉体的にも心理的にもなかなかきつい坂道です。
この旧軍道は、戦後、市道として利用されるようになりました。
柵門
旧軍道の長い坂道を登りきると、柵門と呼ばれる、砲台の出入口に着きます。柵門は、凝灰質礫岩切石を用いたブラフ積みの切通状の門で、砲台に出入りできる唯一のアクセス道路になっています。
土塁・掘井戸
柵門を抜けると、目の前に砲台内部の防御施設である土塁があり、その横には掘井戸が残っています。土塁は、海上自衛隊の利用時に削られていたり阪路が設けられていたり、現役時の状態から変わっていると推測されています。
ブラフ積みの石壁が整然と続く塁道
千代ヶ崎砲台は、海側に南北に砲座が並んでいて、弾薬庫や棲息掩蔽部などの関連施設は、敵艦からの砲撃の被害を少なくするために、その背後の山側の地下に造られています。
砲台内の各施設は、塁道と呼ばれる交通路で結ばれていて、トンネル(隧道)と吹き抜けの露天空間が交互に現われます。塁道の側面は、各施設表面の外壁はレンガ積みで、その他の箇所は凝灰質礫岩切石のブラフ積みになっています。
猿島の中央を貫く切通状の交通路と雰囲気が似ていますが、長い間非公開だったためか、千代ヶ崎砲台のほうが保存状態は良好です。また、建造時期に10年の違いがあることから、後年造られた千代ヶ崎砲台のほうが整然としていて完成度が高く、洗練された雰囲気さえ感じられます。(もちろん、千代ヶ崎砲台は復元直後というアドバンテージもあります)
外国からの技術を積極的に取り入れはじめた明治期の10年というのは、日本の技術革新にとってとても大きな10年だったのでしょう。
オランダ積みのレンガが綺麗に残る地下施設
塁道で結ばれた地下にある各施設では、豊富なレンガ積みの建造物を見学することができます。より古い猿島砲台や観音崎砲台群などのレンガ積みと比べても綺麗で、ここでも、後年造られた千代ヶ崎砲台の築造技術やレンガの製造技術の向上を見ることができます。
千代ヶ崎砲台でのレンガの積み方は、オランダ積み(広義のイギリス積み)が採用されています。日本でのレンガ積みの方式は、明治20年ごろを境に、それより前はフランス積み、後はイギリス積みもしくはオランダ積みに大別することができます。
同じ東京湾要塞でも、千代ヶ崎砲台より前に築造された猿島砲台のレンガはフランス積みを見ることができ、長年に渡って増改築をくり返した観音崎砲台群はフランス積みとイギリス積みの両方を見られ、築造時期によってレンガ積みの方式や土木技術の進歩を見ることができます。
棲息掩蔽部
棲息掩蔽部は、兵員の待機所や宿舎、倉庫として利用されていた施設です。
貯水所
千代ヶ崎砲台では、砲台内部で雨水を集水、ろ過して、飲用水などの生活用水として利用していました。
雨水はまず、塁道の南北2ヵ所に設けられた貯水所に、塁道に埋設されたろ過下水溝で集水されます。その後、沈殿池とろ過池で浄水されて、貯水池に貯められ、生活用水として利用されました。
交通路
塁道から各砲座へは、地下を東西に貫く交通路で移動できるようになっていました。こちらのトンネルも、側面はレンガ造です。
レンガの刻印
千代ヶ崎砲台では小菅集治監(刑務所)の煉瓦工場で造られたレンガを使用していて、そのことを示す桜の花の花の刻印が見られるレンガも見られます。
すり鉢状の穴に隠された砲座
千代ヶ崎砲台の各砲座は、地表から約6m低いすり鉢状の穴の中にありました。敵の艦艇からは見えない場所に隠されていましたが、反対にこちらから敵艦もまったく見えない場所にありました。
そのため、砲撃する目標を計測する観測所が地上にあって、そこから砲座へ指示が出されるという仕組みでした。築造当時はまだ通信が発達していない時代でしたので、連絡は伝声管と呼ばれる穴を通じて行われていました。
なお、千代ヶ崎砲台では、築造から終戦による廃止までの間、一度も敵艦に向けて実弾を発砲することはありませんでした。
2021年10月現在、砲座や地下施設の内部へは、ガイドツアーでのみ見学が可能です。(無料。予約不要)
古代遺跡か何かのようにも見える砲台上の丘陵地
一般公開後の千代ヶ崎砲台跡の地上部分は一面芝生で覆われていて、一見するととても戦争遺跡とは思えない、平穏な空間が広がっています。すり鉢状に開いた各砲座の穴も、まるで古代の遺跡かなにかのような雰囲気で、他の場所ではなかなか味わえない不思議な感覚の場所です。
当然、現役当時は、こんなに整然とした空間ではなかったでしょうから、平和な世の中になった今だからこそ見られる光景です。
いちばん南側(奥側)からは、東側に東京湾や房総半島を一望することができます。砲台が設置された場所だけあって、東京湾を航行する船はすべて見渡すことができます。
反対側の西側に目を向ければ、天気や季節、時間帯によっては、富士山の上部を望むこともできます。
千代ヶ崎砲台跡は隠れたお花見スポット
千代ヶ崎砲台跡では、砲台上の周囲を中心に、桜が多く植えられています。海上自衛隊が利用していた時代に植えられたものと、一部は自生していたものもあると考えられます。
千代ヶ崎砲台跡で見られる桜は、白い桜、オオシマザクラです。千代ヶ崎砲台の歴史を考えると、近年流行りの鮮やかな色の品種よりも、オオシマザクラのような飾り気のない桜の方が良く似合っています。
非常に残念なことは、千代ヶ崎砲台跡の一般公開は土日祝日のみのため、桜の見ごろをたのしめる機会は、週末2回分ほどしかないことです。千代ヶ崎砲台跡の桜は、とても貴重な、隠れたお花見スポットです。
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千代ヶ崎砲台跡へのアクセス方法
現在のアクセス方法
2022年12月現在、千代ヶ崎砲台跡へ乗用車でアクセスするためには、徒歩5分ほどの旧軍道の途中に設けられた駐車場(無料、自転車・二輪車も駐車可)か、徒歩10分ほどの場所にある燈明堂海岸に隣接した燈明堂緑地駐車場(有料)が最寄りの駐車場です。
路線バスの最寄りのバス停は、徒歩15分ほどの場所にある「燈明堂入口」です。
最寄りのバス停からや燈明堂緑地駐車場からのルートは、旧軍道の長い坂道を登らなければならないため、足腰に自信がない方はタクシーの利用を選択肢に入れた方が良いでしょう。
千代ヶ崎砲台跡の最寄りのバス停「燈明堂入口」には、京急線「浦賀駅」からの場合は京急バス「千代ヶ崎経由京急久里浜駅」行き、京急久里浜線「京急久里浜駅」からの場合は京急バス「千代ヶ崎経由浦賀駅」行きが停車します。
※「京急久里浜駅」から出ている「千代ヶ崎」行きバスの終点「千代ヶ崎」は最寄りではなく、千代ヶ崎砲台跡とは離れていますので、ご注意ください。
小型バスによる「MEGURU PROJECT」のガイドツアー
イベント開催時は、千代ヶ崎砲台跡と浦賀ドックをめぐる、小型バスを利用したガイドツアーが設定される場合があります。(「MEGURU PROJECT」イベント開催時の実績)
三浦半島に残る砲台跡
明治時代から第二次世界大戦にかけて、首都・東京や横須賀軍港を防衛するために要塞化されていった三浦半島には、数多くの砲台が造られました。当初は、ペリー来航に代表される幕末から建設がはじまった艦船に対する防御手段としての砲台でしたが、昭和になって前線での戦力が航空機中心になると、対空防御の砲台が造られていきました。前者は海の側の高台に造る必要がありましたが、後者は必ずしもその必要性がないことから、海から離れた山の上にも造られました。
これらの砲台は、第二次世界大戦が終戦すると、他の軍用地と同じように、さまざまな施設に転用されていきました。そのため、すでに痕跡すら見当たらない場所も多いです。
戦後しばらくして海上保安庁や自衛隊が発足すると、主に旧日本軍の施設跡を使うようになりました。千代ヶ崎砲台跡はこのケースに該当し、なおかつ大きな再開発を伴わずに非公開のまま使用されてきたため、例外的に保存状態が良い場所ということになります。
これらの戦争遺跡は、確実に「負の遺産」です。しかし、明治から昭和初期にかけての、日本の技術力の結晶という側面も持っています。
ただ単に歴史を否定したり忌避するのではなく、過去の事実や過ちを受け止めつつ、日本の近代化の歴史をたどることができる「近代化遺跡」として、訪れる価値があると思います。
三浦半島に残る、主な砲台跡を紹介します。千代ヶ崎砲台跡を除く、比較的原型を良好な姿で留めている砲台跡の5選です。この他にも、県立城ヶ島公園や剱崎、披露山公園などで、砲台跡の遺構を見ることができます。
猿島砲台跡
建設時期:主に明治10年代
現在の用途:公園(猿島公園)
見学可能日時:猿島航路運行時間中
見どころ:東京湾最大の無人の自然島である猿島は、その島の立地や地形を丸ごといかすかたちで、早い時期から要塞化が進みました。そのため、明治10年代のフランス積みのレンガ造の建造物から、その後の増改築で造られたコンクリート造の建造物まで、バリエーションが豊富です。千代ヶ崎砲台跡に比べると、一貫性がなく、雑然としているようにも見えますが、明治から昭和初期にかけての歴史が凝縮されているとも言えます。猿島砲台跡は、千代ヶ崎砲台跡とともに、2015年に国の史跡に指定されました。
観音崎砲台群跡
建設時期:主に明治10年代
現在の用途:公園(県立観音崎公園)
見学可能日時:常時見学可能
見どころ:東京湾がもっとも狭まる場所に位置するため、東京湾防衛の重要拠点として、いくつもの砲台が建設されました。フランス積みとイギリス積みという二種類のレンガの積み方の建造物を見られるのが特徴です。保存状態は悪くありませんが、緑豊かな公園の一部にあるため、自然と一体化しつつある、廃墟のようなヴィジュアルです。
走水低砲台跡
建設時期:明治10年代後半
現在の用途:公園(旗山崎公園)
見学可能日時:土日祝日のみ一般公開
見どころ:長らく非公開が続いたため、千代ヶ崎砲台跡と肩を並べるほど、保存状態が良いです。猿島や観音崎の砲台跡などと比べて地形が複雑ではなく、千代ヶ崎砲台跡よりもコンパクトであるため、全体像が分かりやすいです。施設の大部分はガイド同伴の必要がなく、自由に見学することができます。(千代ヶ崎砲台跡は、弾薬庫などの地下施設内部や砲座は、ガイド同伴が必要です)
米ヶ濱砲台跡
建設時期:明治20年代中盤
現在の用途:公園(平和中央公園)
見学可能日時:常時見学可能
見どころ:砲台の跡地は、現在、平和中央公園として整備されていて、その一角に砲台の遺構も残されています。かつての中央公園から、2021年4月にリニューアルされて、より分かりやすい展示になっています。埋め立てによって海岸線は遠のいていて、三浦半島の砲台跡の中でも周囲の景色がもっとも変化した場所の一つです。
武山防空砲台(武山高角砲台)跡
建設時期:昭和初期
現在の用途:ハイキングコースの一部(砲台山)
見学可能日時:常時見学可能
見どころ:千代ヶ崎砲台跡などとは異なり、海から離れた山の山頂にある防空砲台跡です。武山と三浦富士の間の、その名も砲台山の山頂にあります。昭和初期の建造物のため、コンクリート造です。レンガ造のような歴史の重みは少ないですが、他の用途に転用されず、原型を留めているコンクリート造の砲台跡は意外と多くないため、貴重と言えます。
千代ヶ崎砲台跡周辺の見どころ
浦賀方面に足をのばせば
浦賀レンガドックは、イベント開催時に一般公開される他、事前申込み制のガイドツアーで見学することができます。(2022年4月現在)
久里浜方面に足をのばせば
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