明治後期から昭和前期に活躍した詩人・北原白秋は、三崎に滞在中、代表作の一つである「城ヶ島の雨」を創作しました。城ヶ島北岸の遊ヶ崎には、「城ヶ島の雨」の歌碑が建っています。
また、歌碑のすぐ近くには白秋記念館があり、白秋ゆかりの品などを展示しています。
現在、城ヶ島・遊ヶ崎と白秋が滞在していた三崎・向ヶ崎とは城ヶ島大橋で結ばれていて、白秋の歌碑もこの橋のたもとに建っています。
現在、白秋碑苑(遊ヶ崎)の桟橋と三崎港のうらりとの間には、城ヶ島渡船が就航しています。現在は観光船としての運航ですが、城ヶ島大橋が開通するまでは、渡船が三崎・三浦半島と城ヶ島を結ぶ唯一の交通インフラでした。
INDEX
白秋歌碑「城ヶ島の雨」がある白秋碑苑
明治後期から昭和前期にかけて活躍した詩人・北原白秋は、1913年(大正2年)、家族とともに東京から三崎に移り住み、約9か月間過ごしました。白秋は三崎に滞在中、多くの詩歌を書き残しました。
代表作「城ヶ島の雨」もその一つで、創作当時、白秋が住んでいた三崎町向ヶ崎の対岸にあたる城ヶ島・遊ヶ崎に歌碑が建てられています。
戦時中、城ヶ島は東京湾要塞として立入や開発が厳しく制限されていたため、白秋の生前に歌碑の建立はかないませんでしたが、戦後の1949(昭和24年)に、白秋が生前希望していた「帆型の石が荒磯に突き差した」デザインで除幕されました。歌碑に刻まれた「城ヶ島の雨」の一節は、白秋自身の筆によるものです。
現在、「城ヶ島の雨」の歌碑がある周辺は、白秋碑苑として整備されています。
白秋碑苑にある砂浜は、バーベキューができるエリアになっていて(各種ルールあり)、手ぶらでBBQをたのしめるサービスも利用することができます(要予約、下記リンク参照)。
2024年海水浴場 | × 白秋碑苑(遊ヶ崎)は海水浴場ではありません |
2024年海の家開設 | × |
公衆トイレ | ○(徒歩5分ほどの場所にある城ヶ島公園第2駐車場のトイレを利用可能) |
駐車場 | ○ 県立城ヶ島公園第2駐車場 |
白秋ゆかりの品を展示している白秋記念館
北原白秋の「城ヶ島の雨」の歌碑がある白秋碑苑には白秋記念館があります。白秋直筆の資料や三崎滞在時のエピソードといった、白秋ゆかりの資料などが展示されています。
白秋記念館は休館日が多いため、訪れる際は、公式サイト(下記DATA欄参照)の休館日カレンダーもチェックしてみてください。
かつて城ヶ島の海南神社が鎮座していた遊ヶ崎
明治中期まで遊ヶ崎には、三崎の海南神社から分霊を勧請した城ヶ島海南神社が鎮座していました。三崎の祭礼の際には、神輿の海上渡御が執り行われることもありました。現在、城ヶ島海南神社は、遊ヶ崎近くの集落の奥まった場所にある高台に遷宮されています。