2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台の地となった武家の都・鎌倉。幕府が鎌倉に開かれると、多くの御家人やその家来、家族たちも鎌倉やその周辺地域に集まり、そこで多くのドラマをくり広げ、そして、生涯を終えていきました。800年も前のことですから、「鎌倉殿の13人」に登場するような有力武将の生涯ですら、さまざまな説があって、謎に包まれています。
この特集では、「鎌倉殿の13人」の主要な登場人物にゆかりがある場所に焦点を当てて、主に地元に伝わる伝承をもとに、その生涯を、できるだけ分かりやすく紹介しています。
「鎌倉殿の13人」の聖地巡礼のために用意した、この「13」の小特集を手がかりにして、ぜひ、実際に鎌倉やその周辺地域に足を運んで、中世の人たちがドラマをくり広げた場所をたのしんでください。
INDEX
鎌倉幕府の父と母
源頼朝と北条政子の出会いがなければ、鎌倉幕府も鎌倉時代も生まれていなかったでしょう。そんな、「鎌倉幕府の父と母」とも言える二人ですから、ゆかりの地もたくさんあります。鎌倉幕府成立前後に鎌倉で創建された寺社では、源頼朝にゆかりのないものを探す方が難しいですし、源氏三代の鎌倉殿亡き後も尼将軍として鎌倉殿を代行した北条政子は、夫や子ども、孫たちを追悼する場所を数多く設けることになりました。
ここではその一部を、厳選して紹介しています。
#01 源頼朝ゆかりの地
#02 北条政子ゆかりの地
明暗が分かれた源頼朝の有力御家人
鎌倉時代前期は、激動の時代でした。武力による支配を肯定するつもりはまったくありませんが、少なくともこの時代においては、公家による官僚政治から、武家による庶民のための世の中へと変革していく中では、必要悪と考えられていたのでしょう。
その明暗は、源頼朝の側近となった有力御家人たちの間でも分かれました。上総広常と畠山重忠はその象徴的な武将と言えます。
歴史を後ろから振り返ると、「鎌倉殿の13人」の主人公となった北条義時は、「明」でもあり「暗」でもある、複雑な存在です。
#03 北条義時ゆかりの地
#04 上総広常ゆかりの地
#05 畠山重忠ゆかりの地
北条氏と双璧を成した三浦一族
鎌倉は三浦半島の付け根に位置しています。鎌倉時代以前から三浦半島を治めていた三浦一族は、鎌倉幕府が形作られていく過程において、重要な役割を果たしました。その中心的な人物が、和田義盛と三浦義村です。
和田義盛は三浦半島にゆかりの地を数多く残しています。その一方で、三浦義村はあまり多く残っていません。裏表を感じさせず実直だったように見える和田義盛と、裏で政治的に暗躍していたイメージが強い三浦義村との違いは、こんなところにも表われています。
この、中世の三浦半島を代表する二人の武将は、その人物像についても深く掘り下げて紹介しています。
#06 和田義盛とは?
#07 和田義盛ゆかりの地
#08 三浦義村とは?
#09 三浦義村ゆかりの地
新世代のリーダーたち
いつの時代もそうですが、反面教師が成熟した歴史や文化を作っていくものです。その反抗が成功する場合もあれば、時代の空気には抗えずに消し去られてしまう場合もあります。
最後の源氏将軍となった源実朝と、大ベストセラーとなる法令・御成敗式目を制定した北条泰時は、その象徴のような存在です。置かれていた境遇が違いますから当たり前といえば当たり前ですが、北条泰時の視野の広さと先見の明は、そのゆかりの地にも強く表われています。