朱垂木やぐら群は、建長寺塔頭の回春院がある谷戸の最奥に、20穴ほどからなるやぐら(横穴式の墳墓または供養の場)群です。やぐら/やぐら群の名称は、その所在地にちなんで名づけられる場合と見た目の特徴から名づけられる場合に大別されます。「朱垂木やぐら群」という名前は、このやぐら群の中核をなす「朱垂木やぐら」内部の天井に朱色の垂木模様の装飾が施されていることに由来していて、後者の命名ルールの典型例と言えます。
(「塔頭(たっちゅう)」とは禅宗寺院の境内またはその周辺に建つ付属の小寺院のことで、厳密には、宗派の開祖や代々の住持、高僧の墓塔のことです)
江戸時代後期に成立した旧相模国の地誌「新編相模国風土記稿」では「西御門村」の項の中に「朱椽窟」として、同じく江戸時代後期に成立した鎌倉や金沢などの地誌「鎌倉攬勝考」では「東御門村」の山中にある「朱たるき窟」として紹介されていて、この当時には特徴的な装飾にちなんだ呼び名だったことが分かります。
また、現在の朱垂木やぐら群は鎌倉市山ノ内に所在していますが(おそらく、尾根道にかかる谷戸最奥まで建長寺の寺域のため。※建長寺は山ノ内に所在)、江戸時代当時は西御門村または東御門村の村域と認識されていたようです。
「垂木(たるき)」とは、建築において屋根の勾配にそって組まれる構造材です。屋根の下地になる部材ですが、とくに禅宗様の寺院建築では軒下の意匠の一部として重要視される傾向にありました。(有名なものとして、神奈川県で唯一の国宝の建築物である、円覚寺舎利殿があります)
「朱垂木やぐら」内部に施された朱色の垂木模様も、このようなリアルな仏教建築をイメージしてデザインされたものであると考えられています。「やぐら」という中世標準のフォーマットを使いながらも、よりフォーマルで独創的な空間に仕上げようとした、当時の職人の気概を感じさせてくれるやぐらです。
INDEX
朱色の垂木模様以外にも独特な装飾が見られる朱垂木やぐら
約20穴からなる朱垂木やぐら群の中で、明らかに特徴的な「朱垂木やぐら」は、墳墓と言うよりは仏殿のような役割をもった空間だったのではないかという見方もされています。
やぐら内部奥の壁は、風化が進んでいるため往時の詳細な姿は分かりませんが、その前方には仏像を安置できるような台座があるため、舟形光背などの壁画が施されていた可能性も考えられます。
また、やぐら前方の壁面には板碑または位牌のような彫刻が施されていて、これも他のやぐらではあまり見られない特徴です。
なお、三浦・南下浦町菊名に鎮座する白山神社の境内には、横穴の内部に家屋のような装飾が施された「切妻造妻入形横穴古墳」(三浦市指定重要文化財)があります。こちらの横穴は、内部壁面全体が朱色で塗られていたとみられています。
朱垂木やぐら群の概況
朱垂木やぐら群への行き方
天園ハイキングコース経由
もっとも分かりやすい朱垂木やぐら群への行き方は、天園ハイキングコースからのアクセスです。十王岩より少し天園よりにある「建長寺道・覚園寺道」の道標(下記写真参照。向かう方向によって「建長寺道」と「覚園寺道」どちらかの面が見えます)の分岐を、尾根道から斜面へ下るわき道に入り、しばらく下って行くと左側斜面に朱垂木やぐら群が見えてきます。
鎌倉市街地方面から西御門1丁目経由
朱垂木やぐら群へ鎌倉市街地方面から登って行く場合、西御門1丁目が登り口になります。
まずは西御門の八雲神社・来迎寺を目指します(ともに、同じ名前の神社・寺院が鎌倉の別の場所にもありますのでご注意ください)。八雲神社・来迎寺前の道(わき道ではなく鎌倉市街地方面から直進してきた道)をさらに250mほど真っすぐ登って行くと、左にそれる道がありますので、こちらに進みます。道なりにさらに坂道を登って行くと住宅地が終わり、山道に入ります。
この山道を直進して行くと建長寺・回春院方面に抜けることができますが、朱垂木やぐら群へは山道に入ってすぐの十字路を右に登る道を行きます。この登り口周辺には、回春院奥やぐら群があります。さらに15分ほど山道を登って行くと、朱垂木やぐら群に着きます。
鎌倉・逗子で見られるその他の「やぐら」
天園ハイキングコース周辺
山ノ内から二階堂にかけての天園ハイキングコースの尾根道から少し下った南側の斜面沿いは、鎌倉のなかでももっともやぐらが集中している場所の一つです。朱垂木やぐら群の東側には、鎌倉市内でも最大規模の百八やぐら群があります。