大町の八雲神社は、鎌倉最古の厄除け神社とされる古社です。境内には、厄除け祈祷の赤いのぼりが、ところ狭しと立てられています。
八雲神社の創建は、平安時代後期の永保年間(1081年~1084年)と伝えられています。京都の祇園社を勧請して創建されたことから、古くは、鎌倉祇園社や祇園天王社と呼ばれていましたが、明治維新後に八雲神社と改称されました。
主祭神 | 須佐之男命 稲田比女命 八王子命 |
旧社格等 | 旧村社 |
創建 | 1081年~1084年 (永保年間) |
祭礼 | 1月6日 初神楽「湯花神楽」 3月24日 祈年祭 7月7日から14日の間の土曜 例大祭(鎌倉大町まつり) 11月24日 新嘗祭 毎月1日 月首祭 毎月15日 月次祭 1月15日に近い休日 左義長神事「どんど焼き」 |
八雲神社の宝蔵殿(宝物殿)には、「鎌倉大町まつり」で披露される御神輿などが安置されています。
窓の外からの自由拝観というかたちではありますが、立派な御神輿を見ることができます。
INDEX
900年以上続く八雲神社の例祭「鎌倉大町まつり」
例年、7月7日から14日の間の土曜日から3日間行われる「鎌倉大町まつり」は、かつては「鎌倉祇園祭」と呼ばれた、900年以上続く八雲神社の例祭です。
初日の土曜日は、午前中に例大祭、午後に神幸祭が催されます。神幸祭では、お神輿の下を満1歳未満の幼児を抱いてくぐると健やかに育つと伝わる「おくぐり(神輿くぐり)」も行われます。夜に披露される「神輿ぶり」は、提灯に火を入れた四社の神輿が横一列に一体となって練り歩く、全国的にもめずらしい伝統行事です。
翌日の日曜日以降も、演芸大富くじ大会や盆踊り、還幸祭など、八雲神社境内を中心に賑やかな行事が続いていきます。
源義光が京都・祇園社を勧請して創建された厄除さん
八雲神社は、平安時代後期の武将・源義光が、京都の祇園社の御祭神を祀ったことがはじまりと伝えれています。
源義光は、後三年の役で苦戦していた兄・源義家に加勢するため、陸奥国に向かいました。鎌倉へはその途中に立ち寄りました。鎌倉で疫病が流行していることを知ると、義光はこれを救うために、祇園社の御祭神を勧請して、祈願しました。すると、悪疫は退散して、鎌倉の住民は救われたと言われています。
これが、八雲神社が厄除けにご利益のある神社とされる由縁で、明治維新後に八雲神社と改称されるまでは鎌倉祇園社や祇園天王社として、「祇園さま」の愛称で親しまれてきました。
源義光が怪力だったことを物語る手玉石
源義光は、近江国の新羅明神で元服したことから、またの名を新羅三郎と言いました。八雲神社の御神木の下に置かれた「新羅三郎手玉石」は、源義光が怪力だったことを物語るものなのでしょう。
源義光は甲斐源氏の祖で、現在も「鎌倉まつり」や「鶴岡八幡宮例大祭」で披露される流鏑馬などの弓術や馬術の流派である武田流や小笠原流も、その祖先は源義光にさかのぼることができます(家系については、諸説あり)。
GW前に見ごろを迎える八雲神社の八重桜
鎌倉の桜のシーズンが終わってしばらくたち、ゴールデンウイークが近づくころ、八雲神社の鳥居の前では八重桜が見ごろを迎えます。八雲神社は、このあたりのメインストリートである小町大路や大町大路にも面しておらず、八雲神社を目的に訪れる人や近所の住民しか境内の前を通ることはないため、静かに桜をたのしむことができます。
八雲神社(大町)の境内社
諏訪神社・稲荷神社・於岩稲荷社
三峰神社・御嶽神社
祇園山ハイキングコース登山口
八雲神社の境内社である三峰神社と御嶽神社の横は、祇園山ハイキングコース登山口になっています。祇園山の山名の由来は、八雲神社の旧社名である鎌倉祇園社、祇園天王社と考えられます。
八雲神社から5分ほど登り続けると、祇園山見晴台に着きます。ハイキングコースの反対側の登山口は、宝戒寺などの近くの東勝寺跡・北条高時腹切りやぐらです。
祇園山ハイキングコースはハイキングコースといっても1.5kmほどしかなく、30分ほどで歩くことができます。