海上自衛隊田戸台分庁舎は、1913年(大正2年)に横須賀鎮守府司令長官の宿舎として建てられた、和洋折衷の住居建築です。終戦後は在日米海軍司令官の住居として使用されていましたが、1969年(昭和44)に防衛庁へ移管されて、現在は海上自衛隊横須賀地方総監部が管理しています。
例年、桜の開花や紅葉の時期にあわせて一般公開される他、リビングルームとそこに置かれているスタインウェイ社製グランドピアノは演奏会や個人の練習のための貸し出しも行われています。
海上自衛隊田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)は、いち早く明治期に海外へ留学した、建築家・桜井小太郎、当時の横須賀鎮守府長官・瓜生外吉、繁子夫人、ステンドグラス作家・小川三知らによる、歴史的価値が高い作品です。
また、2016年には、文化庁により、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成文化財の一つに認定されています。
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海上自衛隊田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)春の一般公開
海上自衛隊田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)は、例年、桜の開花時期にあわせて期間限定で一般公開されます。
横須賀の隠れた桜の名所として、また、普段立ち入ることができない歴史的な建築を見学するために、訪れてみる価値があるおすすめスポットです。
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海上自衛隊田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)秋の一般公開
海上自衛隊田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)の庭園では、桜の木と同じくらい、モミジなどの紅葉する樹木が見られます。これらは秋に一般公開された際にしか見ることができませんが、海上自衛隊田戸台分庁舎は横須賀のレアで穴場の紅葉スポットでもあります。
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歴史的価値も高い和洋折衷の大正ロマン漂う邸宅
海上自衛隊田戸台分庁舎は、横須賀鎮守府司令長官の宿舎として1913年(大正2年)に完成しました。
当時、横須賀鎮守府施設部長だった桜井小太郎の設計によるもので、洋風館と和風館との和洋折衷の住居建築です。このような和洋折衷の建築は明治期からありましたが、大正初期に完成した旧横須賀鎮守府司令長官官舎は、より洗練されていて、随所にこだわりのあとが見られます。
完成当時は、開国後の明治期に海外へ留学していたパイオニア精神が強い先駆者たちが帰国して、その海外での経験を日本で実践しようとしはじめた時期でもあります。
設計者の桜井小太郎は、日本で「日本近代建築の父」とも呼ばれるジョサイア・コンドルに学んだ後、1889年(明治22年)にイギリスへ留学しました。翌年、ロンドン大学建設学科を卒業し、現地の建築事務所で2年間実務を担当した後、日本に帰国しました。この間に、日本人ではじめて英国王立建築家協会の公認建築士の称号を得ています。
桜井小太郎は、旧横須賀鎮守府司令長官官舎の他に、旧三菱銀行本店や丸の内ビルディング旧館といった当時としては高層ビルと言える建築から、現在も鎌倉に現存する古我邸(旧荘清次郎別邸)のような個人の住宅まで、幅広く手がけました。
旧横須賀鎮守府司令長官官舎建設時の横須賀鎮守府長官は、海軍中将・瓜生外吉でした。瓜生外吉は、1875年(明治8年)にアメリカへ留学し、1881年(明治14年)に海軍兵学校を卒業しています。
この留学中に知り合って、帰国後に結婚した夫人の繁子(永井しげ)は、津田梅子らとともに岩倉使節団に随行して渡米した日本初の海外女子留学生5人の内の1人です。
このような、海外の文明を肌で感じてきた背景を持つ人たちによって、旧横須賀鎮守府司令長官官舎は生まれました。
リビングルーム
旧横須賀鎮守府司令長官官舎にはじめて入居したのは、海軍中将・東伏見宮依仁親王でした。それ以降、終戦まで、31人の歴代長官がここに居住しました。
終戦後はアメリカに接収され、1964年(昭和39年)まで、9人の在日米海軍司令官等が居住しました。そのなかには、この場所からもほど近い平和中央公園に胸像がある、ベントン・W・デッカー司令官も含まれています。
海上自衛隊田戸台分庁舎のリビングルームには、スタインウェイ社製C型グランドピアノが置かれています。この場所に設置された詳しい経緯は分かっていませんが、1925年(大正14年)にドイツのハンブルグで製造された、建物同様に歴史的なピアノです。
このグランドピアノは貸し出しもされていて、リビングルームを演奏会や個人の練習で利用することができます。
ダイニングルーム
旧横須賀鎮守府司令長官官舎は、1969年(昭和44年)に防衛庁へ移管され、現在は海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎として、国内外の高官・要人の歓送迎会や観桜会、会議の場として使用されています。
サンルーム
ダイニングルームと一体的に、庭園に向けて開口部が大きく取られたサンルームが設けられています。ダイニングルームとサンルームの間仕切りの扉を開けると、とても開放的な空間が広がります。
ちょうど、障子や縁側で内部と外部がゆるやかに区切られた、日本の伝統的な数寄屋造りや書院造りに通じるところがあるようにも感じられます。
書斎とオブジェ
海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎には、歴代の長官邸居住者の紹介パネルなど、かつて、横須賀鎮守府司令長官官舎として使用されていたことを偲ばせる仕掛けが用意されています。
和室
洋風館に併設された和風館には、1階と2階それぞれに和室があります。
建物を彩る小川三知のステンドグラス
最後に、旧横須賀鎮守府司令長官官舎を語るうえで欠かせない人物がもう一人います。それは、ステンドグラスの工芸家である、小川三知です。小川三知もまた、建物の設計者である桜井小太郎らと同じように、明治期に海外へ留学をしていました。
小川三知は、1900年(明治33年)にアメリカへ留学し、ステンドグラスの技法を習得しました。1911年(明治44年)に帰国すると、慶應義塾図書館旧館や鎌倉国宝館などのステンドグラスを手がけましたが、繊細な工芸品のため、関東大震災や戦災等によって現存しているものはあまり多くありません。
海上自衛隊田戸台分庁舎では、そんな、日本のステンドグラス作家の第一人者である小川三知の初期の作品が建物の随所で見られ、大正ロマン漂う邸宅に特別な彩りを与えています。
海上自衛隊田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)周辺の見どころ
海上自衛隊田戸台分庁舎からもほど近い佐野八幡神社の社殿には、海軍大将・野村吉三郎が横須賀鎮守府司令長官だったときに筆をとった「八幡社」の扁額がかかげられています。