妙音寺は、京急久里浜線の終点「三崎口駅」近くの谷戸にある、高野山真言宗の古刹です。裏山一帯を「花山曼荼羅」と称していて、四季折々の花をたのしめる、三浦半島でも有数の「花の寺」として知られています。
「関東八十八ヵ所霊場(第58番・弘法大師)」「三浦三十三観音霊場(第14番・不空羂索観世音菩薩)」「三浦二十八不動尊霊場(第15番・末郡板不動明王)」「三浦三十八地蔵霊場(第16番)」「三浦七福神(第6番・鶴園福禄寿)」など、数多くの札所に指定されている他、境内には「四国八十八ヵ所めぐり」「関東八十八ヵ所めぐり」それぞれのお砂踏み巡礼所が設けられています。
妙音寺は、三浦市内では唯一の高野山真言宗の寺院(妙音寺の兼務寺は除く)ということもあり、この地域の大師信仰の中心地として、通称「三浦大師」として親しまれてきました。妙音寺の本寺は、「逗子大師」こと延命寺です。
| 山号 | 飯盛山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 寺格 | ― |
| 本尊 | 不空羂索観世音菩薩 |
| 創建 | 鎌倉時代初期 中興:天正年間(1573年~1592年) |
| 開山 | 不詳 中興開山:賢栄 |
| 開基 | ― |
妙音寺は、「かながわの花の名所100選」と「東国花の寺百ヶ寺(神奈川1番)」にヤマユリで選ばれています。現在の妙音寺「花山曼荼羅」のヤマユリは、最盛期ほどの勢いはなく、あじさいの季節の方が見ごたえがあります。「ヤマユリの寺」より「三浦のあじさい寺」と言う呼び名のほうが定着する日が来るかもしれません。

INDEX
後北条氏や相模三浦氏ゆかりの寺

妙音寺の創建当初の由緒は分かっていませんが、江戸時代後期に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿」によると、いにしえは「妙音寺原」と呼ばれた場所にあったのを、安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)、中興開山の賢栄によって現在地に移されたと言います。
この当時の妙音寺は、後北条氏(小田原北条氏)の祈願所となっていて、本寺の延命寺とともに、三浦郡の雨乞いの祈念が行われていたことが記録されています。
妙音寺には、寺宝として、後北条氏によって滅ぼされた相模三浦氏の三浦道寸(義同)が所持していた鐙(馬へ騎乗するときに足を乗せる馬具)が安置されていたと言い、三浦半島が後北条氏によって支配されるようになる前は相模三浦氏と関係が深かったことが想像されます。
「新編相模国風土記稿」によれば、江戸時代中期の元文年間(1736年~1741年)に妙音寺の僧が勧請した疱瘡神社には、本地仏(神の本来の姿とされた仏)として三浦道寸の子・三浦荒次郎(義意)の守護仏と伝わる十一面観音が祀られていたと言います。
妙音寺のある谷戸から1km少々南に下れば、相模三浦氏の最後の砦となった新井城の入口にあたる引橋があり、このあたりは相模三浦氏の本拠地の一つと言えるような地域に含まれていました。
延命寺もまた、後北条氏の祈願所になる前は、相模三浦氏と関係が深い寺院であったことから、戦国時代から安土桃山時代にかけての三浦半島では真言宗の影響力が大きかったと考えられます。

石仏と四季折々の花が織りなす仏の世界「花山曼荼羅」

見どころが多い妙音寺の中でも代名詞と言えるのが、境内裏山にある、100種188尊の石仏と四季折々の花が織りなす仏の世界「花山曼荼羅」です。静かに参拝する意思がある人であれば、誰でも入山することができます。
ツツジやあじさい、ヤマユリなどの季節の花々を見ながら「花山曼荼羅」を順路にしたがって登って行くと、山頂では中心仏たる大日如来が出迎えてくれます。この大日如来は高さ7mもある大仏で、台地の上からこの地域の人々を見守ってくれています。




「花山曼荼羅」以外にも見どころが多く存在する花の寺

妙音寺の駐車場から「花山曼荼羅」山頂の大日如来までは、高低差35m、距離にして250mあります。順路の途中には、急な階段も少なくありません。
そのため、体力に自信がない方は、無理して登るのは避けたほうが良いでしょう。
妙音寺では、「花山曼荼羅」以外でも、鉢植えのものを中心に、季節の花をたのしむことができます。「花の寺」と呼ばれているだけあって、いろいろな種類の花が見られるのはもちろんのこと、管理の手がよく行き届いています。






妙音寺境内のその他の見どころ
四国八十八ヶ所お砂踏み巡礼



本堂と鐘楼堂の天井絵


本堂周辺







「花山曼荼羅」大日如来周辺

大師堂には、「関東八十八ヵ所霊場」の弘法大師、「三浦七福神」の鶴園福禄寿、「秋の七草めぐり(葛の寺)」の九寿観音が安置されています。


妙音寺周辺の見どころ







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