極楽寺トンネルは、極楽寺駅と長谷駅の間にある、江ノ電唯一のトンネルです。極楽寺駅側が「極楽洞」、長谷駅側が「千歳開道(千歳洞)」というように、トンネルの両側でそれぞれ別々の名称が付けられています。
明治後期に建設された、レトロなレンガ造りの開口部が特徴的な極楽寺トンネルは、極楽寺駅近くの桜橋の上からよく見えます。
この「極楽洞」の景観は、江ノ電沿線でも屈指の鎌倉らしい風景を感じられる場所の一つとして知られていて、2010年には「鎌倉市景観重要建築物等(第33号)」に指定されました。
江ノ電は、この2つの名前を持つトンネルを境に、沿線風景が大きく変化します。
長谷駅側(鎌倉方面)は、神社の境内や民家の軒先ギリギリの場所を通りに抜けていきます。一方の極楽寺駅側(江の島方面)は、稲村ヶ崎付近で海沿いに出ると一気に視界が開け、相模湾の景色などをたのしめるようになります。
どちらも江ノ電らしい景色ですが、雰囲気はまったくといって良いほど異なり、「極楽洞」「千歳開道(千歳洞)」という2つの名前を付けたくなる気持ちも分かる気がします。
陸路では、極楽寺トンネルと並行するかたちで鎌倉七口の一つ・極楽寺坂切通(極楽寺切通し)が通っていますが、こちらは中世に開削された古道です。中世の人たちも、ここを、鎌倉の中と外を隔てる境界と認識していました。
INDEX
全国的にめずらしい現役の明治期の鉄道用トンネル
1907年(明治40年)2月に完成した極楽寺トンネルは、全工程を人力で掘りぬかれたもので、江ノ電の建設史上最大の難所だったと言います。
明治期に建設された鉄道用のトンネルが、現在もなお原型を留めたまま現役で使われている例は、全国的にもめずらしいことです。
江ノ電より歴史の古い鉄道は少なくありませんが、その多くは車両の大型化や線形・ルートの改良などによって、トンネルや橋梁などの土木施設は改良や置き換えが進められていきました。
江ノ電は、車両のサイズも路線のルートも開業当初から大きくは変わっておらず、このような鉄道自体、全国的にめずらしいと言えます。
このように歴史的価値が高い江ノ電は、2014年に「土木学会選奨土木遺産」に認定されました。その代表施設の一つとして、「極楽洞」近くには銘板が設置されています。
当時のまま残る曾禰荒助と松方正義の筆による扁額
極楽寺トンネルの上に掲げられている扁額は、極楽寺駅側の「極楽洞」が第2代韓国統監などをつとめた曾禰荒助、長谷駅側の「千歳開道」が内閣総理大臣を2度つとめた松方正義の筆によるものです。これらも、建設当時のまま現存しています。