稲村ケ崎公園(鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区)は、七里ヶ浜や江の島、空気が澄んだ晴れた日には富士山を望む、景勝地です。海に突き出た岬にある公園のため、眺望は抜群です。
稲村ヶ崎は、古くは、鎌倉幕府が滅亡するきっかけの一つとなった新田義貞の鎌倉攻めの突破口となった場所として知られています。
新田義貞の稲村ヶ崎徒渉伝説の場所として、稲村ケ崎公園は「日本の歴史公園100選」に選ばれています。
近代では、1910年(明治43年)に、逗子開成中学校ボート部七里ヶ浜沖遭難事件の悲劇が、この近くで発生しました。
また、稲村ヶ崎は、サザンオールスターズ・桑田佳祐監督の映画「稲村ジェーン」(1990年)の舞台になったことでも有名です。
稲村ヶ崎の沖合はサーフィン上級者のメッカとして知られていて、波が立っている日には、海に入って行くサーファーの姿を見かけます。
稲村ケ崎公園の周辺
極楽寺 極楽寺坂切通 成就院
七里ヶ浜海岸 鎌倉海浜公園坂ノ下地区 鎌倉海浜公園由比ガ浜地区 由比ヶ浜海岸 材木座海岸
稲村ケ崎公園は、富士山方面に落ちる夕日が美しいことで知られています。富士山と江の島をセットにした風景をたのしめる場所は他にもありますが、眼下の七里ヶ浜の海岸線に打ち寄せる白波が良いアクセントになっている点が、稲村ケ崎公園からの眺望の特徴です。
また、稲村ケ崎公園は、国土交通省によって「鎌倉市からの富士」として「関東の富士見百景」に選ばれています。
INDEX
いろいろな表情を楽しめる富士山のビュースポット
稲村ヶ崎の七里ヶ浜側に整備された稲村ケ崎公園は、鎌倉屈指の富士山のビュースポットです。
うまく岬の地形を利用して、ひな壇状になっているため、人気スポットのわりに、それほど窮屈な思いはしません。また、一番下の海岸から、中段にいくつかある展望エリアや芝生広場から、一番上段の展望広場から、といったように、いろいろな目線の高さで富士山の眺望をたのしむことができるのも、稲村ケ崎公園の特徴です。海からの景色と頂上からの景色とでは、だいぶ印象が変わります。
稲村ヶ崎に限った話ではありませんが、富士山をキレイに見られる季節は、空気が澄んでいる冬です。時間帯で言うと、やはり1日のなかでいちばん空気が澄んでいる、朝がベストということになります。
雲一つない青空なのに、日中は霞んでいて、遠くの山々までは見られないという日もあります。そんな日も、夕方に訪れると、キレイな夕焼けにシルエットが映し出された富士山を拝めることもあります。
稲村ヶ崎は鎌倉を代表する夕日の名所
鎌倉の中心市街に近い由比ヶ浜や材木座の海岸は南側に開けているのと、日が沈む西側に稲村ヶ崎の大きな岬がそびえているため、夕日スポットとして最適とは言えません(夕日が沈む方角は日々変わりますので、季節によります)。
そんななか、視界をさえぎるものがなにもなく、季節を問わず夕日をたのしめる稲村ヶ崎は、鎌倉のなかでも一、二を争う、夕日の名所と言えます。
稲村ケ崎公園の高台から望む、七里ヶ浜の海と、江の島、富士山との組み合わせは、鎌倉を代表する映えスポットです。
稲村ヶ崎から七里ヶ浜周辺では、毎年春と秋に、江の島に夕日が沈んでいくのを見ることができます。とくに、江の島の灯台「江の島シーキャンドル」に夕日が沈んでいく「ろうそく灯台」は、ダイヤモンド富士と並ぶ絶景です。
稲村ケ崎公園周辺でダイヤモンド富士を見るチャンスがあるのは、春と秋それぞれ1~2日程度ですが、この「ろうそく江の島シーキャンドル」は数日~数週間見るチャンスがあります。春は七里ヶ浜から稲村ヶ崎の方向に、秋は稲村ヶ崎から七里ヶ浜の方向に、ベストスポットは日々動いていきます。
以下のリンク先から、他の夕日のビュースポットもご覧ください。
逗子開成中学校ボート部七里ヶ浜沖遭難事件の慰霊碑
1910年(明治43年)、七里ヶ浜沖で、逗子開成中学校ボート部の生徒ら12人が乗った船が遭難して、全員が死亡するという事件が発生しました。
事件当時、逗子開成中学校の系列校であった鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)の教諭・三角錫子の作詞で鎮魂歌「真白き富士の根」(別名「七里ヶ浜の哀歌」)が作られました。
この歌の歌詞が刻まれた慰霊碑が、事件発生の場所にほど近い稲村ケ崎公園に建っています。
あじさいが咲き乱れる展望広場
公園の奥の階段を登った先には展望広場があります。公園でもっとも高台に位置しているため、ここからの相模湾の眺めは抜群です。
また、展望広場にはたくさんのあじさいが植えられていて、例年6月中旬には見ごろを迎えます。
稲村ケ崎公園では他にも園路などにあじさいが植えられていて、天気が良く、空気が澄んでいる日には、あじさい越しに富士山を見ることができます。陽当たりが良い場所では早めに見ごろが終わってしまいますが、展望広場のあじさいの見ごろはゆっくりめです。
▼その他の鎌倉のあじさいの名所はこちら▼
近代細菌学の開祖 ローベルト・コッホの碑
稲村ケ崎公園の展望広場には、近代細菌学の開祖とされるローベルト・コッホの記念碑が建てられています。
ドイツ人の細菌学者であるローベルト・コッホは炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者で、1905年(明治38年)に結核に関する研究の業績よりノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
この記念碑は、1908年(明治41年)(碑文では1年誤っていて明治42年と記載)にローベルト・コッホ博士が来日した際に、弟子である北里柴三郎博士と鎌倉を訪れ、とても気に入ったという逸話をもとに建てられたとされています。
鎌倉でのコッホ博士は、1887年(明治20年)に日本初のサナトリウム(結核療養施設)「鎌倉海濱院」として建てられ、翌年にはホテルに転身した「鎌倉海濱ホテル」に滞在していました。現在、このホテルの跡地は、鎌倉海浜公園由比ガ浜地区になっています。
3地区4か所の鎌倉海浜公園
江ノ電の旧型車両・タンコロがあるのが由比ガ浜地区、源実朝の歌碑があるのが坂ノ下地区(三角地)、市民プールがあるのが坂ノ下地区(プール前)、夕日の名所になっているのが稲村ガ崎地区です。
稲村ケ崎公園(鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区)周辺の見どころ
この記事は、稲村ヶ崎の七里ヶ浜側に整備されている稲村ケ崎公園(鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区)について書いています。ぜひ、稲村ヶ崎自体の記事も、あわせてご覧ください。