釈迦堂切通は、鎌倉の大町(県道311号逗子葉山線方面)と浄明寺(県道204号金沢街道方面)を南北に結ぶ切通です。鎌倉内部の切通のため、鎌倉の内部と外部を結ぶ、いわゆる「鎌倉七口」には数えられていません。
いつ掘られたものか分かっていませんが、切通部分はトンネル(隧道)になっていて、「鎌倉七口」の各切通では見られない特徴になっています。
切通は夏でもひんやりとした風が通り抜けていて、うっそうと茂る周囲の木々と相まって、中世の雰囲気を感じさせてくれます。
釈迦堂切通の周辺やトンネルの上部などには数多くのやぐら群や平場が点在していて、この一帯の遺跡は大町釈迦堂口遺跡と呼ばれています。やぐらは、切通のトンネル内部にも見られます。
INDEX
鎌倉内部を南北にショートカットできるバイパス
釈迦堂切通(大町釈迦堂口遺跡)の南側は名越ヶ谷と呼ばれる谷戸になっていて、切通はこの谷戸のちょうど北端にあたります。名越ヶ谷は、現在は住宅地になっていて切通のすぐ側まで開発が進んでいますが、中世には多くの寺院があったようです。
切通から谷戸を南に進むと県道311号逗子葉山線に出ます。この道は鎌倉と逗子、さらには三浦半島を南下するルートで、古くから重要な道でした。県道311号逗子葉山線を逗子方面に進むと、「鎌倉七口」の一つ名越切通があります。


一方の北側は釈迦堂ヶ谷と呼ばれる谷戸が広がっていて、北に進むと県道204号金沢街道に出ます。金沢街道は、かつては「六浦道」と呼ばれ、とくに鎌倉時代は鶴岡八幡宮や鎌倉殿(鎌倉幕府の将軍)とその側近たちの屋敷などがある幕府の中心とも言えるエリアと鎌倉の外港であった六浦を結ぶ重要な道でした。県道204号金沢街道を六浦方面に進むと、「鎌倉七口」の一つ朝夷奈切通があります。


このように釈迦堂切通は、軍事的にも経済的にも重要であった2つの道を、鎌倉の中心部を通らずにショートカットできる、バイパス的な役割も担っていたと予想できます。

謎に包まれた北条義時の供養のために建てられた釈迦堂
「釈迦堂」という名前は、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が父である第2代執権・北条義時の供養のために建てた釈迦堂に由来します。しかし、釈迦堂があった場所やその規模などの正確なことは分かっておらず、ただ名前だけが今日まで伝わってきています。

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2021年4月現在、釈迦堂切通は周辺のエリアを含めて、崩落対策工事のため立入禁止となっています。