小松ヶ池公園は、京急久里浜線の三浦海岸駅と三崎口駅の、ちょうど中間にある公園です。電車の車窓からも見える池です。
小松ヶ池は約1.5haの農業用のため池で、三浦半島有数の渡り鳥の飛来地です。コサギやゴイサギ、カモの仲間などが見られます。
渡り鳥の他にも、昆虫類や水生植物などが見られ、水辺特有の豊かな自然環境が残っています。
小松ヶ池公園は三浦海岸河津桜並木に隣接しています。桜並木とは、京急線の線路を挟んだちょうど反対側にあります。
池のほとりには、桜並木と同じように河津桜が植えられています。
小松ヶ池公園の出入口はいくつかありますが、一番分かりやすいのは、三浦海岸河津桜並木の三崎口駅寄りにある、線路をくぐって出入りする、東側出入口です。トイレも、この東側出入口の近くにあります。
三浦海岸桜まつり開催期間中、小松ヶ池公園にも屋台が数軒出店されます。線路沿いの並木道を歩いてきたら、小松ヶ池公園を最終目的地にすると、よりたのしめるでしょう。
小松ヶ池公園のトイレは、池から離れた場所に常設のものがありますが、三浦海岸桜まつり開催期間中は、池のほとりにも仮設トイレが設置されます。
※屋台の出店は、開花状況や天候等によって、お客さんが少ない日は営業していない可能性もあります。
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小松ヶ池の水辺に映える河津桜
三浦海岸河津桜並木は、三浦海岸駅と三崎口駅の間にありますので、行きと帰りを違うルートにしたい場合は、両駅間を歩くというのが選択肢になると思います。しかし、桜並木以外は住宅地の中を歩くことになり、少々単調に感じてしまうかもしれません。
そんなときは、桜並木の散策ルートに小松ヶ池公園を入れてみることをオススメします。三浦海岸駅または三崎口駅から三浦海岸河津桜並木を散策した後は、桜並木沿いの出入口から小松ヶ池公園に入って、池のまわりをぐるっと半周して、桜並木とは反対側の出入口から三浦海岸駅方面に抜ければ、水辺を歩けますし、ゆるやかな高低差がある台地のなかに畑が連なる、三浦半島南部特有の景色も見られます。そして、なによりも、水辺に咲く河津桜は、桜並木を歩いているだけでは見られない景色です。
河津桜に先行して咲きほこる水仙
小松ヶ池公園では、河津桜の開花に先行して、1月から水仙をたのしめます。例年、池のほとりや並木道からの入口付近などの斜面で花を咲かせています。池のほとりのベンチに腰かけると、水仙の芳醇な香りに包まれます。
河津桜の季節は混雑する小松ヶ池公園も、それ以外の季節は訪れる人も少なく、池を見ながらのんびり過ごすことができる穴場スポットです。
三浦半島有数の渡り鳥の飛来地
小松ヶ池公園は、三浦半島最大の渡り鳥の飛来地です。大きな池と、隠れ家にもなるアシなどの植物があり、そこに生息する魚や昆虫も豊富にいますので、渡り鳥たちにとって小松ヶ池が人気スポットになっているのもうなずけます。
アシの中に隠れている野鳥も多いですが、池のほとりの河津桜並木の先にある、人が立ち入ることができないギリギリの場所で休む姿や、カモが池の中を泳ぐ姿なども、よく見かけます。本格的に野鳥の観察をしたい場合は、双眼鏡があったほうが良いでしょう。
知る人ぞ知る小松ヶ池のラクウショウ並木
初春は河津桜の名所として知られる小松ヶ池公園ですが、晩秋にもう一つの四季の見どころがやってきます。京急線の線路を挟んで河津桜並木と反対側に並ぶラクウショウ(落羽松)並木がそれです。
ラクウショウはメタセコイアに似た落葉針葉樹で、晩秋には、オレンジ色に近い褐色に、キレイに紅葉します。ラクウショウは別名・ヌマスギ(沼杉)とも呼ばれていて、池のほとりに立ち並ぶ、小松ヶ池公園の自然環境にもよく合っていると考えられ、大木に育っています。
小松ヶ池公園のラクウショウ並木は、このあたりをよく散歩していて毎年たのしみにしているという方はいるものの、地元でもほとんど注目されることがない、紅葉の穴場スポットです。
京急線の線路沿いに立ち並んでいますが、スピードを上げている区間であることと、線路から近すぎるため、残念ながら電車の車内からはたのしむことはできません。
小松ヶ池の悲しい伝説
小松ヶ池公園は河津桜の開花時期こそ賑わいますが、それ以外の季節は落ち着いた公園です。釣りをする人やバードウォッチングをする人、ウォーキングをする人が、まばらに訪れている程度です。
小松ヶ池には、昔から悲しい言い伝えが語り継がれてきています。地元の小学生はほぼ必ず習うため、小松ヶ池=怖い場所、と植え付けられて育っている人も少なくありません。
この辺りに住んでいたお松は、意地悪な姑から、とても一人では無理な量の田植えをするよう、言いつけられていました。困り果てたお松は、あと半刻あれば田植えが終わるものを、と嘆き悲しみました。すると、西山へ沈もうとした太陽が東の空高くへと戻り、お松は田植えを終えることができました。しかし、その時、辺り一面が泥沼に変わり、お松は水の中に吞み込まれてしまいました・・・。
それからというもの、この大沼は「お松ヶ池」と呼ばれるようになり、いつの頃からかそれが「小松ヶ池」と呼ぶように変わったというお話です。