天養院は、平安時代後期から鎌倉時代前期に活躍した三浦一族の武将・和田義盛ゆかりの地である、三浦市初声町和田に建つ、浄土宗の寺院です。
創建は室町時代の1559年(永禄2年)ですが、和田義盛の本拠地近くだけあり、義盛の位牌や義盛の像を安置するなど、義盛にゆかりのある寺院です。
天養院に客仏として安置する薬師如来及び両脇侍立像は、和田義盛の館の鬼門を守護していた安楽寺(廃寺)の本尊だった仏像です。
この薬師如来像は、和田義盛の乱(和田合戦)の際に義盛の身代わりとなって傷を負い、流血していたといういわれを持っています。北条義時や三浦義村らの軍勢の前に多勢に無勢であったものの、薬師如来像のおかげで義盛はしばらく戦うことができたと言いますが、最終的には力尽きて、この戦いで最期を迎えることになります。
山号 | 五劫山 |
宗派 | 浄土宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 1559年(永禄2年) |
開山 | 性誉 |
開基 | 長沢和泉 |
県下最古級の仏像を安置していた和田義盛ゆかりの安楽寺
現在、天養院に客仏として安置されている薬師如来及び両脇侍立像(神奈川県指定重要文化財)は、安楽寺(廃寺)の本尊だった仏像です。この薬師如来像は平安中期11世紀頃の作とされ、現存するものでは、三浦半島で最古、神奈川県下でも最古級の仏像とされています。安楽寺は、江戸時代には、当時の記録によると天養院の末寺となってなっていましたので、その縁で、廃寺となる際にこれらの薬師三尊も移されたのでしょう。
安楽寺は和田義盛の館の鬼門に建立された義盛ゆかりの寺院で、義盛の手に渡り義盛の護持仏となっていた薬師如来像の他、義盛の銅像が安置されていました。安楽寺が廃寺となる際、義盛の銅像は、やはりこの近くにある、白旗神社(現在の神明白旗神社)に移されています。
安楽寺は、天養院からもほど近い、大泉寺の正面辺りにありましたが、昭和前期に行われた、現在の国道134号の拡張によって廃寺となりました。この国道は、現在の「長浜海岸入口」と「和田」の信号の間は、今は旧道となっている西側を走っていました。そのため、安楽寺の正面も現在の旧道側を向いていたと考えるのが自然でしょう。
安楽寺に関連があるものであるという確証はありませんが、現在、安楽寺があったと考えられる場所には石垣と石仏が残っていて、往時の面影をわずかに残しています。
天養院周辺の見どころ
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