陸上自衛隊久里浜駐屯地は、1950年(昭和25年)に自衛隊の前身である警察予備隊発足と同時に設置された2つの駐屯地の1つで、自衛隊で最も古い駐屯地です。(同時に設置された、もう1つの越中島駐屯地は廃止済み)
陸上自衛隊久里浜駐屯地には陸上自衛隊通信学校が設置されていて、自衛隊の通信関連の中核を担う駐屯地の一つになっています。
防衛大学校の開校の地でもあり、1955年(昭和30年)に横須賀市走水の小原台へ移転するまでは、陸上自衛隊久里浜駐屯地にありました。
例年、一年に数回、イベントで一般開放されますが、とくに、「陸上自衛隊久里浜駐屯地桜まつり」では久里浜エリアを代表する桜の名所として、近隣の住民を中心に親しまれています。
また、「久里浜ペリー祭」では放送関連の支援業務を担うなど、地域のイベントにも欠かせない存在になっています。
陸上自衛隊久里浜駐屯地では、イベントによる一般開放時以外にも、事前に手続きをすることで、歴史館や記念碑などを見学・取材することができます。(平日9時~16時の約1時間)
※施設の特性上、見学できない日があるなど、さまざまな事情により許可されない場合もあります。
INDEX
昭和初期のモダニズム建築が残る自衛隊最古の駐屯地
陸上自衛隊久里浜駐屯地は、戦後の1950年(昭和25年)、自衛隊の前身である警察予備隊が発足した際に設立された、自衛隊で最も古い駐屯地です。そのときに同時に設置された越中島駐屯地は1960年(昭和35年)に廃止となっているため、現存する唯一の最古の駐屯地ということになります。
陸上自衛隊久里浜駐屯地の本館はその当時から残る建物で、外観は無駄な装飾があまり見られない、機能的・合理的な、いわゆるモダニズム建築です。堅牢な左右対称の白亜の建物は、当時は権威主義的な意味合いもあったのでしょうが、昭和初期の貴重な近代建築としてもたのしめます。
旧海軍通信学校は横須賀と通信の歴史の原点
陸上自衛隊久里浜駐屯地の歴史は、戦前の1939年(昭和14年)、この地に海軍通信学校が開校したことにはじまります。
明治時代から横須賀には軍港としての機能が置かれてきましたが、山が海のすぐ近くまで迫っている地形のため拡張性には限界がありました。そのため、横須賀港から南へ10kmほどの場所に位置していて、東京湾に開けた三浦半島最大の平野部を持つ久里浜には、昭和初期以降、旧日本軍関連の学校や倉庫などの施設が多く進出してくるようになりました。
陸上自衛隊久里浜駐屯地もその一つですが、現在の久里浜エリアの平野部に、学校や行政などの大きな区画を持つ施設が多いのはその名残で、旧軍施設からの転用によるものです。
戦前の海軍通信学校は、戦後の陸上自衛隊通信学校につながっていき、現在も通信のエキスパートの自衛官を養成する駐屯地になっています。
高度成長期以降、横須賀にはNTT横須賀研究開発センタ(通称:通研)やその隣接地にNTTドコモR&Dセンタを中心とした横須賀リサーチパーク(通称:YRP)などの通信関連の研究所が開設されていくことになりますが、陸上自衛隊久里浜駐屯地は横須賀と通信との歴史の原点とも言えるような場所です。
当時最先端だった無線機などが展示されている歴史館
陸上自衛隊久里浜駐屯地に併設されている歴史館では、旧日本軍時代からの史料や備品などが展示されています。そのなかでも充実しているのはやはり通信関連の機材で、旧陸軍・海軍、航空機で使用されていたものなど、当時最先端だったさまざま種類の無線機が展示されています。
中には、軍国主義の黒歴史の象徴とも言える、「精神注入棒」のようなものも残されています。
「精神注入棒」とは、旧日本軍が軍人精神を叩き込むために、教育と称した体罰に使用していた、主に木製でできた棒のことです。(下記画像の手前参照)
久里浜駐屯地は久里浜エリアを代表する桜の名所
陸上自衛隊久里浜駐屯地の広いグラウンドのまわりや、駐屯地が面している平作川沿いには、たくさんの桜の木が植えられています。
例年、桜の見ごろの時期に一般開放される「陸上自衛隊久里浜駐屯地桜まつり」には、地元の住民やミリタリーファンなどの人気の場所になっています。
一方で、メジャーなお花見スポットとは言えないため、穴場的な存在としてゆったりと桜をたのしめる場所でもあります。
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イベント時に人気の自衛隊グッズを買える売店
一般開放となるイベント開催時に人気となるのが、駐屯地の売店(コンビニ)です。通常のコンビニとは一味も二味も違っていて、駐屯地ならではの品ぞろえをたのしめます。自衛官が必要とする超実務的なものから、お土産に最適な自衛隊グッズまであり、ここを目的に訪れるファンもいそうです。