スポンサーリンク

寿福寺・源実朝と北条政子の墓 | 源氏ゆかりの地に建つ鎌倉最古の禅宗寺院

寿福寺・山門(撮影日:2021.03.24) 鎌倉
寿福寺・山門(撮影日:2021.03.24)

寿福寺じゅふくじ(壽福寺)は、源頼朝の死の翌年に、北条政子頼朝の菩提を弔うために開いた禅宗寺院です。山号になっている「亀谷山」は、寺の背後にある源氏山の別名です。
鎌倉五山第三位に列せられ、最盛期には10を超える塔頭が建ち並ぶ大寺院でした。

境内は一般には公開されておらず、参拝できるのは、山門から中門までの参道と、本殿(仏殿)の背後にある墓地のみになります。(2021年3月現在、墓地へは境内の左側をまわり込んで入ることができます。例年、境内はお正月の1週間程度とゴールデンウイークに特別公開されます)

山号亀谷山きこくさん
宗派臨済宗建長寺派
寺格鎌倉五山第三位
本尊釈迦如来
創建1200年(正治2年)
開山明菴栄西みょうあん えいさい(ようさい)
開基北条政子

寿福寺の裏手にある墓地には、北条政子と鎌倉幕府第三代将軍・源実朝の墓(供養塔)と伝わる五輪塔が祀られているやぐらがあります。そのまわりにもたくさんの中世のものと思われるやぐらが残されています。

スポンサーリンク

鎌倉最古の禅宗寺院

寿福寺・中門(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・中門(撮影日:2021.03.24)

寿福寺は、北条政子によって招かれた明菴栄西が開山となって、1200年(正治2年)に建立されました。
栄西は日本の臨済宗の開祖とされ、南宋で修業をした後、1195年(建久6年)、福岡に聖福寺を建立しました。これが、日本における最初の禅宗専門寺院とされています。
栄西は最初天台宗を学び、南宋からの帰国後は禅とともに真言も学んでいて、寿福寺も創建当初は禅だけでなく天台・真言との三宗兼学として開かれました。

寿福寺より50年ほど後の1253年(建長5年)に創建された建長寺のほうが臨済宗としての格が高いとみなされているのは、建長寺が、禅のみを学んだ南宋からの渡来僧である蘭渓道隆によって創建された、「純粋禅」などとも称される教えを説く、鎌倉で最初の禅宗専門の寺院だったことが理由にあげられます。

栄西寿福寺の後に開いた京都の建仁寺も創建当初は禅・天台・真言の三宗兼学で、禅は他の宗派を否定するものではないというスタンスと、とくに京都では強い勢力を持っていた天台・真言の宗派に配慮したことが背景にあるようです。

また、栄西は、南宋(現在の中国の一部)での修行から帰国する際、茶の苗を持ち帰り、日本に喫茶の習慣を広めたことでも知られています。寿福寺に伝わる「喫茶養生記」は、栄西が宋で学んだ茶の効用についてまとめた書で、国の重要文化財に指定されています。同様の書は、源実朝にも献上されています。

寿福寺・本堂(仏殿)(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・本堂(仏殿)(撮影日:2021.03.24)
スポンサーリンク

源実朝と北条政子の墓

寿福寺・本堂(仏殿)裏のやぐら群(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・本堂(仏殿)裏のやぐら群(撮影日:2021.03.24)

本殿(仏殿)の裏手には、平地に現代の墓地があり、そのまわりの山の斜面には中世のやぐら(平地が少ない鎌倉特有の、横穴式の墓、または供養の場)が数多く残っています。
これらの中には、源頼朝の妻・北条政子と鎌倉幕府第3代将軍・源実朝の墓と伝わる五輪塔が安置されたやぐらもあります。

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、源実朝北条政子は、死没するとそれぞれ「勝長寿院」(廃寺)に葬られたと書かれています。そのため、寿福寺の五輪塔は、実際に埋葬した墓ではなく供養塔であるか、勝長寿院から移されたものである可能性があります。
また、大町の安養院にも、北条政子の墓と伝わる宝篋印塔が残されています。

寿福寺・北条政子の墓(五輪塔)(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・北条政子の墓(五輪塔)(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・源実朝の墓(五輪塔)(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・源実朝の墓(五輪塔)(撮影日:2021.03.24)

以下のリンク先からその他の【源実朝ゆかりの地】もご覧ください

源実朝ゆかりの地 | 和歌などの朝廷文化を愛した最後の源氏将軍
スポンサーリンク

寿福寺は源氏ゆかりの地

寿福寺の山門前に建つ「源氏山」の石碑(撮影日:2022.12.07)
寿福寺の山門前に建つ「源氏山」の石碑(撮影日:2022.12.07)

寿福寺のある亀ヶ谷かめがやつ扇ヶ谷おうぎがやつ)と呼ばれる谷戸は源頼朝の父・義朝の館があった場所で、それ以前にも、頼朝らの祖先にあたる平安時代中期の武士・源頼義が拠点にするなど、源氏(河内源氏)ゆかりの地です。

南関東で勢力拡大をはかっていた源義朝は、逗子の沼間沼浜城)からこの場所に館を移していますし、鎌倉入りを果たした源頼朝は、はじめ、この場所に館を構えようとしました。
後に寿福寺が建てられたこの土地は、源氏(河内源氏)にとってそれくらいシンボリックな場所だったのです。

境内の脇からは、寿福寺の裏山にあたる、「源氏」の名が付いた源氏山公園に登る入口があります。
源氏山公園へ行くルートは複数あります。寿福寺から登るルートはメジャーではありませんが、とくに登りはじめはいきなり急峻な地形が目の前に立ちはだかり、中世の雰囲気をよく感じさせてくれます。
途中には、寿福寺のお隣りに建つ英勝寺のあたりに屋敷を構えていた太田道灌の墓もあります。

寿福寺・源氏山公園への入口(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・源氏山公園への入口(撮影日:2021.03.24)

以下のリンク先からその他の【源頼朝ゆかりの地】もご覧ください

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地
スポンサーリンク

北条政子を象徴しているような寿福寺の紅葉

寿福寺・参道の紅葉(撮影日:2022.12.07)
寿福寺・参道の紅葉(撮影日:2022.12.07)

寿福寺の紅葉は控えめですが、参道の杉並木の中にポツンと立つモミジの木は文字通り紅一点で映えます。それは、武家政権という男社会を力強く生き抜いた尼将軍・北条政子を象徴しているかのようにも見えます。

寿福寺・山門の横の紅葉(撮影日:2022.12.07)
寿福寺・山門の横の紅葉(撮影日:2022.12.07)

以下のリンク先からその他の【北条政子ゆかりの地】もご覧ください

北条政子ゆかりの地
スポンサーリンク

寿福寺周辺の見どころ

英勝寺
英勝寺えいしょうじは、江戸幕府初代将軍・徳川家康の側室・お勝の方が開いた、鎌倉唯一の尼寺です。お勝の方は、室町時代後期に扇谷上杉家の重臣として活躍した太田道灌おおた どうかんの子孫です。家康の死...
源氏山公園
源氏山公園は、源頼義や頼朝の父・源義朝の屋敷があったとされる寿福寺周辺の背後にある源氏山の山頂一帯に整備された公園です。公園内には、源頼朝像や日野俊基ひのとしもとの墓(宝篋印塔ほうきょういんとう)、...
仮粧坂(化粧坂切通し)
仮粧坂けはいざかは、鎌倉の扇ガ谷と現在の源氏山公園を結ぶ古道です。「化粧坂」や「化粧坂切通し」と表現される場合もあります。「仮粧坂」も「化粧坂」も、読み方は「けはいざか(けわいざか)」です。「鎌倉七...
岩船地蔵堂
岩船地蔵堂いわふねじぞうどうには、源頼朝と北条政子の最初の子である大姫おおひめの守り本尊と伝わる地蔵尊が祀られています。諸説ありますが、源頼朝と北条政子の次女・乙姫(三幡)がこの近くに葬られ、墳墓堂...
浄光明寺
浄光明寺じょうこうみょうじは、鶴岡八幡宮境内の西側に位置する扇ヶ谷(亀ヶ谷)の支谷の一つ・泉ヶ谷にある、真言宗泉涌寺派の準別格本山です。開基は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼と第6代執権・北条長時...
鏑木清方記念美術館
鏑木清方記念美術館は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家・鏑木清方かぶらき きよかたの業績を後世に広く伝えることを目的とした美術館です。企画テーマに沿った展覧会を、年に8回開催しています。...

DATA

住所 鎌倉市扇ガ谷1-17-7
アクセス
行き方

JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約10分

駐車場 なし
営業時間

参拝は参道から中門までと墓地は自由。境内は非公開。
※例年、お正月とゴールデンウイークに境内が特別公開されます。

料金

無料(志納)

電話番号 0467-22-6607
※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。
※地図は、右上のレイヤーボタンから、「オープンストリートマップ」「地理院地図」「Google マップ」に切り替えられます。大まかな場所を知りたい場合は「Google マップ」、目的地付近の詳細な道路地図を調べたい場合は「オープンストリートマップ」または「地理院地図」を選択すると分かりやすいです。左上の縮尺ボタンとあわせてご活用ください。
error: 申し訳ありません。コピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました