桐ヶ谷家先祖やぐら横穴は、逗子・沼間の堀の内と呼ばれる場所にある、古墳時代から奈良時代の横穴式墳墓です(逗子市指定重要文化財)。横穴内部の発掘調査で発見された、中世以前に多く作られた須恵器や土師器類、主に鎌倉時代以降に供養の際に利用された「かわらけ」といった、時代の異なる出土品などから、奈良時代またはそれ以前に当地の有力者の墳墓として造られた横穴を、鎌倉時代にやぐら(主に中世に造られた横穴式の墳墓または供養の場)として再利用されたものと考えられています。やぐら奥の棺室には、五輪塔が安置されています。
この先祖やぐら横穴は、逗子・沼間の旧家・桐ヶ谷家の裏山にあり、桐ヶ谷家の先祖やぐらとして伝えられてきたことから、この名称が付けられています。
桐ヶ谷家の邸宅から先祖やぐら横穴に続く山道の途中には、江戸時代前期の万治3年(1660年)の年号が刻まれた墓の残る、桐ヶ谷家の墓地があります。この桐ヶ谷家の墓は、逗子市に現存する最古の墓とされています(歴史上の人物の墓・供養塔等は除く)。
※桐ヶ谷家先祖やぐら横穴の見学は、桐ヶ谷歴史庭園の開園日時内(記事後半のDATA欄参照)に、私設資料館「かわせみの家」での受付をした後に可能です。桐ヶ谷歴史庭園は、平安時代に活躍した武将で、河内源氏第6代棟梁の源義朝の館・沼浜城跡(沼浜亭跡)と推定される場所にある桐ヶ谷氏私設の庭園です。
7穴確認された桐ヶ谷家の沼間横穴群
昭和期の調査では、桐ヶ谷家の裏山には、先祖やぐら横穴の他に7穴の横穴が確認されています。こちらは発掘調査まではされていないようですが、先祖やぐら横穴と同様に、奈良時代ごろに造営されたものを、中世にやぐらとして再利用したものとみられています。
これらの横穴群も先祖やぐら横穴と同じ条件で見学をすることができますが、横穴のいくつかは崖地の高い場所にあるため、現在、桐ヶ谷歴史庭園から確認することができるのは4穴程度に留まります。
内部でつながっている横穴(下記写真)も確認されていますが、内部に入ることは禁止されています。
古代や中世の沼間・堀の内
桐ヶ谷家先祖やぐら横穴のある「堀の内」は、桐ヶ谷家の家号(屋号)です。「堀の内」は中世の館跡に多く見られる地名であり、矢の根川(逗子海岸で相模湾にそそぐ、田越川の上流部の別称)と、「げないぼう」と呼ばれる谷戸から流れ出る矢の根川の支流による、天然の堀に囲まれたこの場所の地理的特徴とも合致しています。土塁とみられる遺構も確認できたと言い、武家の屋敷だったことを裏付けるような立地にあります。
また、古代の田越川流域には、古東海道(律令時代の畿内から常陸国に至る官道で、相模国と上総国の間は、鎌倉、逗子、葉山から三浦半島を東西に横断して、走水付近より海路で房総半島に渡るというルートだったと考えられています)のルートの一つが走っていたと考えられていて、長柄桜山古墳群や池子遺跡などの古くから人が生活していた痕跡を示す遺跡も多く見つかっています。
桐ヶ谷家先祖やぐら横穴や周辺の横穴群も、これらの遺跡と関係があるものなのかもしれません。
鎌倉・逗子で見られるその他の「やぐら」
逗子のやぐら群と言えばまんだら堂やぐら群(季節曜日限定公開)が有名です。
まんだら堂やぐら群は鎌倉・逗子でも最大規模のやぐら群のため、これほど大規模なものはなかなか見られませんが、以下のような場所でも、それぞれ特徴的なやぐらを見ることができます。