走湯神社は、平安時代後期の1087年(寛治元年)に、伊豆国の走湯神社を三浦・金田に勧請して祀ったのがはじまりと伝えられています。明治維新までは「走湯権現社」と呼ばれていたと言います。
伊豆の走湯神社も明治維新までは「走湯大権現」などと呼ばれていて、現在は伊豆山神社と称しています。
走湯神社の詳しい由緒は残されていませんが、紀伊由来の熊野神社や伊勢由来の神明神社と同じように、走湯神社も伊豆から太平洋を海伝いにやって来た漁師などの移住者によって創建されたとみられています。
主祭神 | 天忍穂耳尊 須佐之男尊 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 1087年(寛治元年) |
祭礼 | 3月14日 祈年祭 7月22日 八雲祭 10月14日 例祭 12月14日 新嘗祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
三浦半島周辺では勧請されている例がほとんどないため、この辺りではあまりなじみのない伊豆の走湯神社ですが、平安時代後期に、伊豆に流されていた源頼朝が源氏再興を祈願した神社として知られています。また、後に妻となる北条政子との逢瀬の場としても有名で、縁結びの神様としても親しまれています。
御祭神の天忍穂耳尊もまたあまりなじみのない神様かもしれませんが、日本神話に登場する天照大神の子です。稲穂の「穂」の字が含まれているとおり、稲穂の神や農耕の神とされています。
「走湯神社」や「走湯大権現」という名前自体は、伊豆山海岸に湧き出る霊湯「走り湯」を神格化したものだと言われています。
INDEX
「かまくらと三浦半島の古木・名木50選」選出のイチョウの大木
走湯神社の境内はそれほど広いわけではありませんが、境内のまわりを囲んでいる樹齢数百年はくだらない大木が、歴史の長さと重みを感じさせてくれます。
神社周辺は背の低い民家の他は畑が広がっているという地域のため、この鎮守の杜のスケール感は際立っていて、文字どおり神々しくもあります。
走湯神社のイチョウの大木(雄雌の2本)は、かながわトラストみどり財団・三浦半島地区推進協議会が選定した「かまくらと三浦半島の古木・名木50選」に選ばれています。また、これらの木々を含むイチョウやイヌマキの大木は、三浦市保護樹木にも指定されています。
龍の彫刻が見事な走湯神社の朱塗りの社殿
現在の走湯神社の社殿は、1925年(大正14年)に大改修を行い、朱塗り銅板葺きで造営されたものです。
この見事な権現造りの社殿で特筆すべき点は、建物の左右(拝殿の後ろ)にはめ込まれている龍の彫刻です。それほど目立つ部分ではありませんが、細部へのこだわりが見てとれます。
海上交通の要衝だった金田の湊
走湯神社の境内は、社殿にしても、石灯籠などの奉納された品々にしても、大木に育った木々にしても、一見すると周辺ののどかな雰囲気とは不釣り合いと思えるほど、どれも立派なものばかりです。
走湯神社の鎮座する金田は、最寄駅(三浦海岸駅)から3km以上離れているうえ、近くにスーパーマーケットや大手コンビニもなく、現代の基準から考えると生活するのには不便な地域と言えるでしょう。
鉄道や自動車がない時代、海に面した金田の人たちは、遠くへ行くためには船を活用していました。明治時代から昭和初期までは、東京と直につながる汽船の定期航路(東京~浦賀~下浦~金田~松輪~三崎)も就航していました。
そのような意味では、今よりも都会と近い場所にあったと言えます。きっとそれは、定期航路が開設される以前、東京が中心ではない時代でも、同じことが言えるでしょう。有史以来、近代に入ってからも、舟という交通手段が最強だった時代が長く長く続いていたわけで、当然、人や物の交易も盛んに行われていて、その当時最先端だった情報や技術も手に入ったことでしょう。
現代の価値観では不便な場所であっても、金田の文化レベルは周辺地域と比べて高いものであったことがうかがい知れます。
金田には、鎌倉時代前期に活躍した武将・三浦義村が開いた福寿寺や、三浦義村の墓があります。三浦義村と金田とのつながりは詳しくは分かっていませんが、交通アクセスが良い穴場リゾート地のような場所として、別荘でも設けていたのかもしれません。おそらく港町としての機能は、すでにこの頃から有していたのでしょう。
古墳や遺跡など、金田にはもっともっと古い時代から人が暮らしていた痕跡が認められることから、根をおろせば生活がしやすい場所だったと想像できます。
久里浜と野比の境である千駄ヶ崎から金田の松輪の境にあたる雨崎にかけて大きな弧を描く湾を金田湾と言います。近代的な動力を持たない舟ならば、江戸湾(東京湾)と外洋を行き来する際にどこかへ寄港を求めるでしょう。そのような舟が立ち寄りやすい場所と言えば、湾の奥に位置する三浦海岸や津久井浜などよりは、金田湾の南端に位置する金田の湊ということになります。
このような地形的な特徴が、金田に人や物、文化をもたらしたのでしょう。
走湯神社の神様もまた、このようにして、伊豆の人々とともに海から流れ着いたものの一つです。
その他の走湯神社境内の見どころ
境内社
旧金田村の村社だった走湯神社には、数多くの境内社も祀られています。残念ながら経年劣化が激しいものも少なくありません。
庚申塔
鳥居の横には、6基の庚申塔が並んでいます。