長勝寺は、鎌倉時代の中頃に、日蓮宗(法華宗)の宗祖である日蓮が、鎌倉で布教を開始した際に、この地の領主で、日蓮に深く帰依した石井長勝が自邸に小庵を建てて寄進したのがはじまりと伝わる寺院です。
長勝寺は、もとは本国寺(現在、京都市山科区にある本圀寺)という名前の寺院でした。しかし、本国寺は、南北朝時代の1345年(貞和元年/興国6年)に、室町幕府初代将軍・足利尊氏の叔父にあたる日静によって幕府のある京都に移されました。
荒廃していたその跡地に、日隆によって石井長勝の名にちなみ「長勝寺」として復興されたのが、現在の長勝寺です。
長勝寺の現在の行政上の所在地は鎌倉市材木座ですが、かつては、大町や名越に含まれていた場所で、松葉ヶ谷と呼ばれる谷戸に含まれています。
この松葉ヶ谷や、日蓮が辻説法を開いていたとされる、この近くの小町大路沿いには、日蓮宗の寺院や日蓮ゆかりの場所が数多く残っています。
山号 | 石井山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 大曼荼羅 |
創建 | 1253年(建長5年) |
開山 | 中興:日隆 |
開基 | 石井長勝 |
毎年2月11日に長勝寺で執り行われる「大国祷会成満祭」は、千葉県市川市の法華経寺で、極寒の中、100日間の荒行を終えた修行僧が、日蓮が唱えた立正安国や世界平和を祈念し、最後の仕上げに水行を行う儀式です。歴史ある寺院の多い鎌倉ですが、現在でも大きな行事として水行が続けられている例はそれほど多くありません。
INDEX
日蓮聖人と四天王の銅像と帝釈天大堂
日蓮聖人と四天王の銅像
長勝寺は、同じ松葉ヶ谷にある、安国論寺、妙法寺とともに、鎌倉入りした日蓮の松葉ヶ谷草庵跡とされる、日蓮ゆかりの寺院です。
長勝寺の境内中央には、日蓮聖人と四天王の銅像が鎮座しています。
このうち日蓮辻説法像は高さ4mにも及ぶ迫力ある銅像で、日蓮が足を洗ったという言い伝えがある東京の洗足池から移されたものです。日蓮辻説法像の作者は、上野恩賜公園の西郷隆盛像などを手がけた彫刻家・高村光雲です。
帝釈天大堂
日蓮聖人と四天王の銅像の背後に建つ帝釈天大堂の名前は、日蓮が唱えた「立正安国論」の中で念仏批判をされた念仏者たちに襲われた松葉ヶ谷法難の際、日蓮を導いて難を逃した白猿が帝釈天の使いであるという言い伝えに由来します。
神奈川県唯一の中世五間堂・法華堂(祖師堂)
長勝寺の法華堂(祖師堂)は、鎌倉でも数えるほどしか残っていない室町時代末期のものと見られる唐様建築です。神奈川県唯一の中世五間堂とされ、県の文化財に指定されています。
法華堂(祖師堂)の前では、春には境内の桜を、晩秋にはモミジの紅葉をたのしめます。
長勝寺境内の見どころ
山門
本師堂(八角堂)
久遠堂
梵鐘
六地蔵
赤木圭一郎の胸像
赤木圭一郎(本名:赤塚親弘)は、21歳という若さでこの世を去った映画俳優です。石原裕次郎、小林旭に続く日活のアクション俳優と期待されたスターで、トニーの愛称で親しまれていました。赤木圭一郎は高校時代まで鎌倉や藤沢などで過ごしていて、この辺りにゆかりのある人物です。
長勝寺の大イチョウ
長勝寺の山門近くには、大町・名越周辺ではもっとも大きなイチョウの木が立っています。晩秋に黄金色に輝くと、この長勝寺の大イチョウは、周辺のどこからでも目立つ、まちのシンボルツリーのような存在です。
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