浄妙寺は、足利氏ゆかりの地に建つ、鎌倉五山第五位の禅寺です。
他の鎌倉五山の寺院が北条氏や源氏ゆかりの寺院なのに対して、浄妙寺は唯一それ以外の足利氏ゆかりの寺院です。
鎌倉五山という制度が確立したのも、室町幕府第3代将軍・足利義満の時代で、浄妙寺の最盛期もこの頃です。
開基の足利義兼は源頼朝に仕えた武将で、創建以来、足利氏が天下を取った室町時代に至るまで、浄妙寺周辺は足利氏の鎌倉での拠点として重要な土地でした。
山号になった寺の裏山・稲荷山には鎌足稲荷神社の祠があります。
この地に藤原鎌足が鎌を埋めたことが「鎌倉」という地名の由来となったという伝説が残っています。
山号 | 稲荷山 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
寺格 | 鎌倉五山第五位 |
本尊 | 釈迦如来像 |
創建 | 1188年(文治4年) |
開山 | 退耕行勇 |
開基 | 足利義兼 |
浄妙寺では、本堂前の前庭、喜泉庵の枯山水庭園、石窯ガーデンテラスのイングリッシュガーデンと、三者三様の庭園をたのしむことができます。
INDEX
浄妙寺と浄明寺
浄妙寺の周辺は、源頼朝に仕えた足利義兼がこの地に屋敷を構えて以来、室町時代の鎌倉公方(足利公方)に至るまで、足利家代々ゆかりの地です。
足利義兼が浄妙寺を創建した当初は極楽寺という真言宗の寺院でしたが、建長寺を開山した蘭渓道隆の弟子・月峯了然が禅宗の寺院に改宗しました。浄妙寺は、中興開基の足利貞氏の戒名です。
浄妙寺が建つあたりの地名は「浄明寺」と言います。もちろん、地名の由来は「浄妙寺」です。
「妙」と「明」の、「みょう」の漢字が一字違いなのは、鎌倉五山第五位という寺格と足利氏の菩提寺である浄妙寺に配慮してと言われています。
庭園と本堂
山門をくぐると、庭園と本堂が目に入ります。いつでもキレイに整然としているとても心地よい空間です。
庭園や本堂のまわりでは、梅やツバキなどの季節の花々や、苔などをたのしむことができます。
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足利貞氏と足利直義の墓
中興開基の足利貞氏は、室町幕府初代将軍・足利尊氏の父です。貞氏自身は、鎌倉幕府が滅亡するよりも前に亡くなっています。
浄妙寺の本堂の裏の墓所には、足利貞氏の墓と伝わる宝篋印塔が残されています。
浄妙寺の山すそには、足利貞氏の三男・直義の墓と伝わるやぐらがあります。
足利直義は、兄・尊氏とともに室町幕府創設に深く関わりましたが、二人は幕府の内乱(観応の擾乱)で対立し、最終的に尊氏に敗れた直義は現在の浄妙寺境内にあった幽閉先の延福寺(廃寺)で没しました。
喜泉庵と石窯ガーデンテラス
境内にある喜泉庵では、枯山水庭園を見ながらお抹茶や菓子をいただけます。(有料)
また、同じく境内には石窯ガーデンテラスという、洋館のカフェレストランがあります。(来店には浄妙寺の拝観料が必要)
この洋館は、足利直義最期の地・延福寺の跡地に貴族院議員・犬塚勝太郎の邸宅として1922年(大正11年)に建てられました。その後、長らく廃れていましたが、2000年に石窯ガーデンテラスとしてオープンしました。
石窯ガーデンテラスにはイングリッシュガーデンがあり、季節の花々が美しい浄妙寺・本堂の前庭と喜泉庵の枯山水庭園と合わせて、趣の異なる3つの庭園を一つの境内でたのしむことができます。
浄妙寺で見られるその他の花々
本堂から石窯ガーデンテラスにかけては散策路になっていて、こちらの周辺でも、さまざまな花を見ることができます。
また、石窯ガーデンテラスと足利直義の墓の間には竹林もあって、大正ロマンと中世の悲劇を結ぶ緩衝地帯のような趣があります。
イチョウの黄葉とモミジの紅葉の競演
浄妙寺では、本堂の前や庭園にイチョウとモミジの木が、割と近い場所にあります。そのため、晩秋には、イチョウの黄葉とモミジの紅葉の競演をたのしむことができます。とくに本堂前の大銀杏は見事です。
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