久里浜は、三浦半島最大の河川である平作川の河口に位置しています。この平作川の河口に架かる開国橋の南側に広がる海岸が久里浜海岸で、北側の小さな海岸が長瀬海岸です。久里浜海岸は砂浜の海岸ですが、長瀬海岸は波打ち際からすぐに岩礁になる磯浜です。
この久里浜海岸では、およそ700年続いた武家政権の「はじまり」と「終わり」という、日本の歴史上もっともエポックメーキングだったと言える2つの時期に、それぞれ大きな出来事がありました。
一つは、平安時代末期、源頼朝の平家討伐の挙兵に呼応した三浦一族が平家方に追われて、房総半島に逃れる際に出航した場所が久里浜でした。三浦一族は本拠地であった三浦半島を一時的に放棄することになりましたが、時の当主であった三浦大介義明の命と引き換えに大部分は生き残ることができました。東京湾を挟んだ対岸の房総半島で源頼朝や北条時政・義時らと合流するとすぐに再起をはかり、三浦一族は源氏方の主力として鎌倉幕府の創設に大きく貢献することになります。
もう一つは、幕末のペリーの来航です。浦賀沖に姿を現わしたペリー提督率いる黒船艦隊は、久里浜海岸に上陸して、米国大統領の親書を日本側に受け渡しました。久里浜から、近代日本の幕は開けていくことになりました。
久里浜海岸と長瀬海岸の間に架かる開国橋の名前は、この歴史的な出来事に由来します。
例年、ペリーが久里浜海岸に上陸した7月14日に近い土曜日には「久里浜ペリー祭花火大会」が開催され、久里浜海岸の目の前から約3,500発の花火が打ち上がります。
INDEX
ペリー上陸の地・久里浜海岸
歴史の教科書などではペリーは黒船で浦賀に来航したと習うことが多いと思いますが、ペリーが上陸して米国大統領の親書の受渡式が行われたのは久里浜海岸です。
当時、浦賀には奉行所があり、このあたりの中心地でしたが、浦賀周辺には大勢の人が一堂に会することができる開けた土地がなく、岬を挟んだ隣りにある久里浜海岸が会場に選ばれました(諸説あります)。
このとき、ペリー提督率いる海兵隊とともに上陸した軍楽隊によって久里浜海岸で演奏された「ヤンキードゥードゥル」(日本では「アルプス一万尺」として親しまれている曲)が、日本ではじめて演奏された本格的な西洋音楽だったとされています。
ネット上のブログなどでも、「浦賀の久里浜に上陸した」とか「浦賀に上陸したけれど、記念碑は久里浜に建てられた」といったような間違った記事が見受けられますが、久里浜海岸を含む「久里浜」(幕末は久里浜村)が「浦賀」(幕末は東浦賀村と西浦賀村)の一部だったことは一度もありませんし、ペリーが上陸したのは紛れもなく「浦賀」ではなく「久里浜」です。(浦賀奉行所の管轄と言う意味では、江戸時代には三浦半島ほぼ全域がそのような対象でした)
ペリー祭では多くの屋台が建ち並ぶ久里浜海岸沿いのペリー通り
ペリー上陸の地・久里浜では、毎年、ペリーが上陸した7月14日に近い土曜日に「久里浜ペリー祭」が開催されています。
「久里浜ペリー祭」当日は、昼間から、商店街で開国バザール、ペリー公園で水師提督ペリー上陸記念式典、そして、久里浜のまちを横断するように日米親善ペリーパレードが開催され、久里浜のまち全体がお祭りムード一色になります(日米親善ペリーパレードのみ、2023年は中止)。
夜には、「久里浜ペリー祭」のクライマックスとして、久里浜海岸の目の前から約3,500発の花火が打ち上がります。
「久里浜ペリー祭」当日の夕方からは、久里浜海岸沿いのペリー通りが歩行者天国となって、数多くの屋台が営業します。1か所で営業する屋台の店舗数としては、三浦半島のイベントのなかでも最大級のもので、毎年大きな賑わいをみせています。
目の前で出入りするカーフェリーを見られる海岸
久里浜海岸の両側の岬は埋め立てられて護岸整備された人工的な港などになっていますが、その間にわずかに残された砂浜は、まちのなかの貴重なオアシス的な存在になっています。
久里浜海岸はすぐ近くに東京湾フェリーの港があります。遠浅の海ではないため、海水浴場は開設されません。砂浜から大型のカーフェリーが発着するところを間近で見られるのは、めずらしいかもしれません。
東京湾フェリーはまた、鎌倉時代前夜に三浦一族がたどった久里浜と南房総の間を結んでいます。
久里浜海岸は、昭和初期までは、住吉神社(東京湾フェリー久里浜港の近く)があるあたりまで砂浜が続いていましたが、現在はその長さは半減しています。
1941年(昭和16年)に横須賀軍港の副港として久里浜港の整備が開始され、戦後も遠洋漁業の基地や缶詰工場(閉鎖済み)が造られるなどして、現在の規模まで縮小しました。
2024年海水浴場 | × 久里浜海岸・長瀬海岸は海水浴場ではありません |
2024年海の家開設 | × |
公衆トイレ | ○ ペリー公園 |
駐車場 | ○ 東京湾フェリー久里浜ターミナル くりはま花の国第二駐車場 他 |
久里浜海岸の北側の長瀬海岸も同様に、現在、横須賀刑務支所や久里浜少年院がある辺りの岬が埋め立てられ、海軍対潜学校が置かれるなど、戦前から開発が進み、自然海岸は減少していきました。
現在の長瀬海岸は、砂浜が広がる久里浜海岸と異なり、100mほどの磯浜が残る小さな海岸になっています。
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久里浜海岸・長瀬海岸周辺の見どころ
久里浜港や久里浜海岸周辺の施設は、2018年に国土交通省が定める「みなとオアシス」に「みなとオアシス”ペリー久里浜”」として登録されました。
また、久里浜海岸の近くには、軍港時代の名残りとも言える、陸上自衛隊久里浜駐屯地があります。