海蔵寺は、鎌倉・扇ガ谷の谷戸の奥に位置する、扇谷上杉家ゆかりの寺院です。扇谷上杉家は、室町時代から戦国時代にかけて栄えた上杉氏の諸家の一つで、歴代の鎌倉公方や古河公方に仕えた他、相模三浦氏の三浦道寸(三浦義同)を輩出しています(道寸は三浦時高に養子入り)。
海蔵寺は、鎌倉時代には七堂伽藍の大寺院でしたが、鎌倉幕府滅亡の際に戦火で焼失してしまいました。
その後、1394年(応永元年)に、第2代鎌倉公方・足利氏満の命により、扇谷上杉家の当主だった上杉氏定が心昭空外(源翁禅師)を招いて再建しました。
海蔵寺は、一年中境内に花が途絶えないことから「花の寺」と呼ばれたり、山門の前に鎌倉十井の一つ「底脱の井」が、境内の外れの岩窟には「十六の井」があることから「水の寺」と呼ばれたりしています。「海蔵寺」という名前からも、「水の寺」であることを連想できます。
山号 | 扇谷山 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
寺格 | ― |
本尊 | 薬師如来 |
創建 | 1253年(建長5年) 中興:1394年(応永元年) |
開山 | 藤原仲能 中興:心昭空外(源翁禅師) |
開基 | 宗尊親王 中興:上杉氏定 |
海蔵寺は、扇ヶ谷の谷戸にいちばん奥に位置しているため、駅から離れていてバスの便もなく、訪れる人はそこまで多くありません。その分、静かな落ちついた環境で、お参りや、四季の花々や美しい紅葉を楽しむことができます。
一見、鎌倉の周遊コースには入れにくいように見えますが、海蔵寺の山門の手前から分岐して、仮粧坂(化粧坂切通し)を経由して源氏山公園に登れば、銭洗弁財天や佐助稲荷神社、鎌倉大仏方面や北鎌倉方面に向かうルートなど、さまざまなバリエーションを選ぶことができます。
INDEX
鎌倉三十三観音・第26番札所の十一面観音を安置する本堂
海蔵寺の本堂には、十一面観音菩薩が安置されています。この十一面観音菩薩で、海蔵寺は鎌倉三十三観音・第26番の札所となっています。
海蔵寺は、鎌倉二十四地蔵・第15番の札所にもなっています。これは、境内から少し離れた、亀ヶ谷坂切通しの入口に建つ岩船地蔵堂を海蔵寺が管理しているためで、ここに安置されている岩船地蔵尊が選ばれていることによります。
「啼き薬師」の伝承が残る本尊・薬師如来像
海蔵寺の本尊・薬師如来像は、本堂に向かって左側に建つ薬師堂(仏殿)に安置されています。この薬師堂は、江戸時代の1776年(安永5年)に山ノ内の浄智寺から移されたものと伝わります。
薬師如来像を安置する海蔵寺の薬師堂は、鎌倉十三仏霊場・第7番の札所となっています。
本尊・薬師如来像の胎内には、中興開山の心昭空外(源翁禅師)が、赤ん坊の泣き声がする場所で土の中を掘り起こしてみると薬師の面が出てきたため、それが納められていると伝えられています。そのため、この薬師如来像には「啼き薬師」という別名が付いています。
海蔵寺裏山のやぐら群
海蔵寺の裏山の山すそには、中世の横穴式の墳墓または供養の場である複数の「やぐら」が残っています。やぐらの中には五輪塔や石塔などが安置されています。
山すそを見上げると、やぐらは崖の上のほうにもあることが分かります。
16個の丸穴に水が湧く 十六の井
やぐら群の一つに「十六の井」という井戸があります。十六の井が「やぐら」と呼べるものなのかどうかは分かりませんが、かつては、1306年(嘉元4年)銘の阿弥陀三尊来迎図が刻まれた板碑が安置されていました(現在は鎌倉国宝館に寄託)。
「十六の井」の名前の由来は、この横穴内に、16個の丸穴があり、水が湧いているためとされています。
鎌倉十井の一つ 底脱の井
海蔵寺の山門の手前にある底脱の井は、鎌倉十井の一つに数えられている井戸です。この「底脱の井」の名前の由来には、2つの説が残されています。
一つは、鎌倉時代中期に活躍した武将・安達泰盛の娘・千代能がこの井戸に水を汲みに来た際に、水桶の底が抜けて、「千代能がいただく桶の底ぬけて、水たまらねば月もやどらず」と詠んだことに由来するとされるものです。千代能は、この出来事がきっかけで、悟りを開いたと言います。(現地案内板および「新編鎌倉志」より)
もう一つが、上杉家の尼が「賎の女が戴く桶の底ぬけて、ひた身にかかる有明の月」と詠んだことに由来するとされるものです。(「新編鎌倉志」より)
海蔵寺の初春を彩る梅
例年、2月中旬になると、海蔵寺の境内では徐々に梅が開花しだします。山門から入ってすぐ左手にある枝垂れ梅は、枝ぶりも雄大で、花をつかせるととても見ごたえがあります。
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山門周辺などで見られる海蔵寺の紅葉
海蔵寺の紅葉は、JR横須賀線の線路方面から続く参道の山門周辺などで見られます。
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