葛原岡神社は、鎌倉幕府倒幕を計画していた後醍醐天皇の側近・日野俊基を祀る神社です。
後醍醐天皇や日野俊基らは、当時、悪政を敷いていたとされる鎌倉幕府を改めようとする計画を立てていました。しかし、事前に幕府側に知られてしまい、捕らえられた俊基は鎌倉に送られ、処刑場であった化粧坂の上の葛原岡で処刑されてしまいました。
俊基の死の翌年、護良親王や楠木正成、新田義貞らの活躍によって、鎌倉幕府は終焉を迎えることになります。
主祭神 | 日野俊基 |
旧社格等 | ― |
創建 | 1887年(明治20年) |
日野俊基はその目で建武の新政(建武の中興)を見ることはできませんでしたが、新しい世の中に導いた「開運の神様」としてあがめられています。
境内にはこの他にも、「良縁の神様」として知られる大黒様を祀る「縁結び石」や、幸せを勝ち取る石とされる「魔去ル石」などがあり、葛原岡神社は鎌倉でも有数のパワースポットとして人気があります。
また、葛原岡神社は表参道沿いに咲く春の桜が有名ですが、「俊基卿祭」の頃のイチョウの黄葉も見ごたえがあります。
INDEX
国史跡に指定されている 日野俊基の墓所
葛原岡神社の境内は、源氏山公園の北西にあります。日野俊基の墓所(宝篋印塔)は、葛原岡神社の表参道沿いにあり、国の史跡に指定されています。
また、葛原岡神社の本殿の横には、「俊基卿終焉之地」の碑が建っています。
葛原岡神社は由比ヶ浜の総鎮守
日野俊基の命日である6月3日に「例大祭(神前祭・墓前祭)」が執り行われます。6月3日に近い土日(通常、6月最初の土日)には、葛原岡神社の氏子地域である由比ガ浜地区で神輿渡御が行われます。
源氏山にある葛原岡神社と由比ヶ浜海岸に面した地域の由比ガ浜は少し離れていますが、葛原岡神社は由比ガ浜の総鎮守です。
また、毎年12月第一日曜日には日野俊基を供養する「俊基卿祭」が執り行われます。
日野俊基は新しい世の中に導いた 開運の神様
明治維新後の1884年(明治17年)、倒幕の功労者として明治天皇によって評価された日野俊基には従三位が追贈され、1887年(明治20年)には俊基最期の地となった葛原岡に宮内省よりの下賜金をもって葛原岡神社が創建されました。
葛原岡神社は、明治のはじめに明治天皇によって創建された鎌倉宮と並んで、鎌倉のなかでは新しい神社の一つです。
日野俊基を祀る葛原岡神社の本殿の前には、神様のお使いという「昇運の神龍」の彫刻が掲げられていて、お参りすると願いが早く叶うそうです。この「昇運の神龍」は、120年以上に渡って、旧本殿で御祭神をすぐ側からお護りしてきたという神龍です。
葛原岡神社は恋愛成就のパワースポット
葛原岡神社は「恋愛成就」をはじめとした「良縁」のご利益があることでも知られています。境内の「縁結び石」は「良縁の神様」として知られる大黒様が祀られていて、男性に対する良縁は「男石」に、女性に対する良縁は「女石」に、人間関係等に対する良縁は中央の石に、赤い糸を結びつけることで願いが叶うとされています。
また、幸せを勝ち取る石とされる「魔去ル石」も祀られています。「魔が去る」が転じて「勝(まさる)」ということで、幸せを勝ち取るとされています。
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源頼朝像の広場と並ぶ源氏山公園の桜の名所
葛原岡神社がある源氏山公園は、鎌倉を代表する桜の名所の一つに数えられていて、神社周辺は公園の中央にある源頼朝像がある広場と並ぶ見どころになっています。満開の頃には、葛原岡神社の表参道に桜のトンネルができあがります。
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イチョウの黄葉が見事な晩秋の葛原岡神社
晩秋の葛原岡神社境内は、イチョウの黄葉で黄金色に輝きます。石鳥居の両脇やこもれび広場の立派なイチョウが見事に色づきます。
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源氏山公園と葛原岡神社はあじさいの穴場スポット
葛原岡神社は周辺の源氏山公園一帯とともに、あじさいの穴場の鑑賞スポットです。葛原岡神社の境内はもちろんのこと、境内に隣接するこもれび広場やあじさい小径など、あじさいの見どころがたくさんあります。
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刀鍛冶を守護する刃稲荷が前身の合鎚稲荷社
葛原岡神社の境内に祀られている合鎚稲荷社は、もともとは、現在、鎌倉歴史文化交流館のある無量寺谷にありました。
江戸時代、無量寺谷には、相州伝の刀工「正宗」の後裔である綱廣の屋敷があり、刀鍛冶を守護する刃稲荷が祀られていたと考えられています。三菱財閥当主の岩崎家の別荘となっていた1919年(大正8年)には合鎚稲荷として復興され、社祠や神狐像、参道、鳥居などが整備されました。
その後、2000年には、老朽化していた社祠が再建されましたが、鎌倉市が世界遺産への登録を見越してガイダンスセンターを設置する目的でこの土地を取得した際に、社祠や神狐像、参道、鳥居が葛原岡神社に移設されました。(「武家の古都・鎌倉」として、鎌倉市などが中心となり世界遺産への登録を目指していましたが、2013年に、世界遺産の諮問機関であるイコモスによって不登録勧告を受けたため、日本政府によって登録推薦も取り下げとなりました。2017年には、元からこの場所にあった個人住宅を鎌倉市がリフォームして、鎌倉歴史文化交流館として開館させています)
葛原岡神社や葛原岡・大仏ハイキングコース周辺の見どころ
葛原岡神社は北鎌倉の浄智寺方面から続く葛原岡・大仏ハイキングコースの中継地点にあたり、ここから先は鎌倉大仏や長谷方面に抜けることができます。