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源頼朝法華堂跡&白旗神社 | 鎌倉幕府を創設した頼朝の墓所

法華堂跡(源頼朝墓)(撮影日:2019.02.26) 鎌倉
法華堂跡(源頼朝墓)(撮影日:2019.02.26)

鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝は、1199年2月9日(建久10年1月13日)に、享年53(満51歳没)で死去しました。前月の1月25日(建久9年12月27日)に催された相模川の橋供養からの帰路で落馬したことが死につながったとする説(「吾妻鏡」に記された死因)が有力なようですが、詳しいことは分かっていません。

源頼朝は死後、鶴岡八幡宮の東側で、頼朝の住まいでもあった大倉御所(大倉幕府)を南側に見下ろす山の中腹の平場にあった法華堂ほっけどう(持仏堂)に葬られました。
頼朝の法華堂は日本初となる武家政権の創設者の墓として、後の権力者にもあつく信仰を集めました。その後、幾度かの火災のたびに焼失と再建をくり返しましたが、17世紀初頭までには法華堂は滅失してしまいました。

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現在の源頼朝墓は薩摩藩主・島津重豪によって整備

現在の源頼朝の墓(石塔)は、この法華堂の跡地に、江戸時代後期の1779年(安永8年)、薩摩藩主・島津重豪しげひでによって整備されたものです。頼朝の墓の石塔手前に設けられている線香立てに、島津氏の家紋である「丸に十の字」が刻まれているのは、そのためです。
島津氏の祖である島津忠久ただひさ頼朝の子(庶子)であるとされていて(諸説あり)、代々、本姓を清和源氏と名乗っています。

源頼朝の墓は、この東側の隣りにあった北条義時よしときの法華堂跡とともに、「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」として国の史跡に指定されています。
北条義時の法華堂跡の背後にある山の中腹には、島津氏の祖・島津忠久の墓もあります。

法華堂跡(源頼朝墓)を下から見上げる(撮影日:2019.02.26)
法華堂跡(源頼朝墓)を下から見上げる(撮影日:2019.02.26)
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源頼朝を祀った白旗神社

法華堂跡(源頼朝墓)の下に建つ白旗神社(撮影日:2019.02.26)
法華堂跡(源頼朝墓)の下に建つ白旗神社(撮影日:2019.02.26)

源頼朝の墓へと登る石段の入口には、源頼朝を祀った白旗神社があります。神仏分離によって、1872年(明治5年)に創建されました。境内には、源氏の旗印である白旗がいくつもたなびいています。

同じ白旗神社という名前の神社は、こちらの白旗神社のすぐ側の、源頼朝が創建した鶴岡八幡宮の境内にもあります。鶴岡八幡宮内の白旗神社のほうが歴史はずっと古く、1200年(正治2年)に北条政子が創建した神社です。

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白旗を連想させるような白旗神社の桜

白旗神社の桜-1(撮影日:2022.03.31)
白旗神社の桜-1(撮影日:2022.03.31)

源頼朝法華堂跡(源頼朝墓)白旗神社のすぐ手前の、大倉御所(大倉幕府)跡周辺の小路は、ソメイヨシノの桜並木になっています。しかし、白旗神社の一角だけはオオシマザクラが植えられています。源頼朝を祀る神社に薄紅色のソメイヨシノを植えずに、白色が映えるオオシマザクラを選んだのは、源氏の旗印である白旗にちなんでのことでしょう。

白旗神社の桜-2(撮影日:2022.03.31)
白旗神社の桜-2(撮影日:2022.03.31)

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【2022 No.3】特集 | 鎌倉 三浦半島お花見スポット・桜の名所20選

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鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地
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法華堂跡(源頼朝墓)&白旗神社周辺の見どころ

北条義時法華堂跡(北条義時墓)周辺

鎌倉宮方面

鶴岡八幡宮方面

DATA

住所 鎌倉市西御門2-687
アクセス
行き方

JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行き、「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『岐れ道』下車徒歩約3分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約20分

駐車場 なし(周辺にコインパーキングあり)
料金

無料

電話番号 0467-61-3857(鎌倉市 教育文化財部文化財課)
ウェブサイト https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/209910
※掲載の内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。

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