黄梅院は、円覚寺に20か院近くある塔頭の1院で、円覚寺15世の夢窓疎石(夢窓国師)の塔所です。円覚寺開基・北条時宗の正室・覚山尼が時宗追善のために建立した華厳塔の敷地に建てられました。夢窓疎石は、円覚寺開山の無学祖元(仏光国師)の孫弟子にあたります。
(「塔頭(たっちゅう)」とは禅宗寺院の境内またはその周辺に建つ付属の小寺院のことで、厳密には、宗派の開祖や代々の住持、高僧の墓塔のことです)
円覚寺の塔頭の多くは拝観寺院とはなっておらず、通常非公開です。黄梅院は数少ない、常時公開されている塔頭の一つです。
黄梅院は、円覚寺境内がある谷戸の、一番奥に位置しています。そのため、訪れる人もそれほど多いとは言えません。そのため、拝観寺院としての円覚寺の中では、静寂に包まれた空間で、もっとも落ちついてお参りできる場所です。
なお、円覚寺境内の裏山には六国見山がそびえていますが、建長寺境内最奥の半僧坊から天園ハイキングコースへ抜けるようなルートはなく、黄梅院で行き止まりとなっています。
山号 | 伝衣山 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
寺格 | ― |
本尊 | 千手観音菩薩坐像 |
創建 | 1354年(文和3年) |
開山 | 方外宏遠 |
開基 | 饗庭氏直 |
黄梅院の山門をくぐり、一歩、黄梅院の境内へ足を踏み入れると、これまで歩いてきた円覚寺の境内とは空気感がまるで変わります。庭園には草花が多く植えられていて、華やかな雰囲気があります。質実剛健な禅寺の中にあって、黄梅院はオアシス的な存在と言えるかもしれません。
風光明媚な環境を好み日本史上最も重要な作庭師でもある夢窓疎石
夢窓疎石(夢窓国師)の前半生は、あまり一つの拠点、一人の師匠のもとに留まらず、鎌倉と京都を中心に移動をくり返していました。その後、一度は隠居しますが、その名声を耳にした後醍醐天皇や足利尊氏といった時の権力者たちから引っぱりだこ状態になったため、後半生もやはり、移動をくり返していました。そのため、多くの寺の創建に関与して、多くの弟子をかかえることになり、その門派は「夢窓派」と呼ばれました。
夢窓疎石は風光明媚な環境を好んだようで、隠居時代には横須賀の海辺に泊船庵(現在の米海軍横須賀基地内)を結んだり、自らが鎌倉に開いた瑞泉寺の裏山・錦屏山の山頂に鎌倉や富士山を一望できる徧界一覧亭を建てたり、定住しないからこそなのか、ロケーションには強いこだわりを持っていました。
夢窓疎石は、世界遺産に登録されている京都の西芳寺(苔寺)や天龍寺の庭園を設計したことでも知られていて、日本史上最も重要な作庭師の一人でもあります。景勝地に寺を開けないのであれば、寺の中に景勝地を造ってしまおうという考えだったのかもしれません。
鎌倉では、瑞泉寺庭園が鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園として有名です。円覚寺総門から黄梅院へと続く参道沿いにある妙香池周辺にも夢窓疎石が作庭した庭園があったと伝えられていて、今もその遺構を見ることができます。
黄梅院庭園の季節の草花
黄梅院の庭園は、夢窓疎石の代表作とされるような庭とは趣が異なりますが、四季折々の草花を多く見られる、どこかプライベートな感じのする空間です。
黄梅院境内のその他の見どころ
山門
本堂
黄梅院の本堂には、本尊・千手観音菩薩坐像や夢窓国師坐像などが安置されています。
観音堂
黄梅院境内の一番奥、すなわち、円覚寺境内の一番奥に建つ、観音堂には、聖観世音菩薩像が安置されています。