金沢八景権現山公園は、徳川家康ゆかりの旧円通寺境内に整備された公園です。京急線・金沢八景駅ホームの金沢文庫駅寄りから間近に見える、茅葺屋根が特徴の日本家屋は、円通寺の客殿として使用されていた建物です。この旧円通寺客殿は、一度、解体されましたが、調査の後、解体した部材を用いて、同じ場所で復元されました。
金沢八景権現山公園は、金沢シーサイドラインの京急線・金沢八景駅への延伸工事や東西自由通路の整備の一環で誕生した公園で、2022年4月1日にオープンしました。
復元された旧円通寺客殿の他、東照宮跡の高台に設けられた休憩デッキや、トイレなどがある休憩室が設けられています。中庭の中央には、シンボルツリーとして桜の木が植えられています。
INDEX
徳川家康のお気に入りの場所だった権現山
公園の名前になっている「権現山」とは、旧円通寺客殿の裏山にあたる山のことです。かつて、権現山の山腹の平地には東照宮があり、円通寺はその別当寺(神社を管理するための寺院)でした。
「東照宮」とは、日光東照宮や久能山東照宮に代表されるように、徳川家康を祀る神社のことです。家康は死後、朝廷から「東照大権現」の神号を賜りました。
徳川家康は、生前、この権現山から望む金沢の風光明媚な景観を気に入っていたとされています。家康は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの直前、大坂城から会津上杉征伐へ向かう途中に、この地を訪れています。その気に入りようは、晩年、駿府に隠居してからも、江戸へ赴く際は権現山に立ち寄っていたほどです。
また、権現山は、鎌倉時代から江戸時代初期まで貿易港として栄えていた六浦の湊(港)を一望できる場所でもありました。
後に、この場所からも見える風光明媚な場所の数々は「金沢八景」として紹介され、江戸の人々に人気の観光地となっていきます。(「金沢八景」のはじまりは、能見堂から見た眺望がもとになったとされています)
好学の士であった徳川家康は、日本最古の武家文庫である金沢文庫(の蔵書)がお気に入りだったことでも知れらていて、多くの蔵書を江戸へ持ち出しています。その蔵書のほとんどは、いまだに「貸出中」のままになっています(国立公文書館や宮内庁に引き継がれ、管理されています)。
また、日本初の武家政権を築いた源頼朝を尊敬し、清和源氏の末裔と公言していた家康は、散逸していた鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」を収集して、愛読書としていました。
徳川家康は新しいもの好きでも知られていて、家康に外交顧問として仕えたウィリアム・アダムス(三浦按針)からは、幾何学や数学、航海術などを学びました。ウィリアム・アダムスは、家康から、三浦半島の逸見の地を領地として与えら、逸見周辺を望む現在の塚山公園内に墓所があります。
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旧円通寺客殿と権現山は金沢八景の原風景
権現山の東照宮は、徳川家康の死後、家康が気に入っていたというこの地に、金沢の代官・八木次郎右衛門によって万治年間(1658~1661年)に創建されました。別当寺である円通寺も、同じ時期に建立されたとみられています。
その後、円通寺は、明治初期の廃仏毀釈により廃寺となり、東照宮はこの場所からほど近い瀬戸神社に合祀されました。
このとき、東照宮や円通寺の本堂は取り壊されましたが、旧円通寺客殿は、還俗した円通寺最後の住職・木村芳臣の住居になりました。旧円通寺客殿は、これ以降、5代にわたって木村家住宅として使われてきました。
この旧円通寺客殿は、江戸時代後期の建築とみられています。1995年には、「旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)」として、横浜市認定歴史的建造物に指定されています。
また、2007年には、権現山が、隣接する御伊勢山とあわせて、「金沢八景御伊勢山・権現山の樹叢」として、横浜市指定史跡名勝天然記念物に指定されました。
この、京急線・金沢八景駅のホームや電車の車窓から見える茅葺屋根の日本家屋とその裏の権現山が織りなす景観は、周囲がどんなに開発されていっても変わることのない、金沢八景の原風景のような場所でした。
2016年には、金沢シーサイドラインの京急線・金沢八景駅への延伸工事や東西自由通路の整備とともに、公園として整備されることになり、旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)は一度解体されました。金沢八景の原風景が失われることに、さびしく感じた方も多かったことでしょう。
その後、旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)は、調査の後、金沢八景権現山公園として整備された公園内の元の場所に、解体した部材を用いて復元されました。
旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)
コンパクトで機能的な間取り
旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)は、東照宮を参拝する上客の休憩所として使われていたと考えられています。
旧円通寺客殿は内部を見学することができます。比較的コンパクトながらも、客間の他にもたくさんの部屋があり、従者や奉公人の部屋、倉庫など、小さな部屋が機能的に隠されています。
徳川家康ゆかりの場所であることを示す葵の御紋
純日本家屋の質素な室内で目立つのは、部屋の随所で黄金色に輝いている「葵の御紋」です。「葵の御紋」は徳川将軍家の家紋で、部屋の随所にあるのは、これが釘の頭を隠すための釘隠しの装飾に使われているためです。
それぞれは小さなものですが、徳川家康ゆかりの場所であることを、もっとも強く実感させられる装飾です。
広々とした天井の空間が広がる茅葺屋根の内部
旧円通寺客殿の内部を見学するうえでのハイライトは、茅葺屋根を内部から観察できることではないでしょうか。日本の伝統的な建築工法である、面ではなく軸組を用いた、柱と梁、筋交いで屋根を支える小屋組の構造がよく分かります。
歴史を感じさせてくれる黒くいぶされた小屋組みの部材と、新しく葺き替えられたばかりの茅葺屋根のコントラストもおもしろいです。
展望広場・展望デッキ
東照宮が建っていた場所は、現在、金沢八景権現山公園の展望広場になっています。
発掘調査では、東照宮の規模などの詳細は確認できなかったとのことですが、東照宮の前に置かれていた石灯籠2基が、金沢八景権現山公園から徒歩5分ほど海側に行った場所にある瀬戸神社に現存しています。
展望広場からは、金沢八景駅を出入りする、京急や金沢シーサイドラインの電車が良く見えます。かつては、海への眺望も素晴らしかったのでしょうけれど、駅周辺のビル群でその面影はありません。
権現山公園山頂
展望広場からさらに裏山である権現山を登って行くと、金沢八景権現山公園でもっとも高い場所にある山頂にたどり着きます。標高がそれほどあるわけではありませんし、展望広場からは1、2分で着いてしまうような場所にありながら、真上に登って行った場所にあるため、眼下に見える旧円通寺客殿もずいぶん小さく見えます。
この、徳川家康も眺めたであろう権現山公園山頂からは、かつて海や入り江が大きく広がっていた、六浦の湊の一部だった平潟湾や金沢文庫方面の眺望が素晴らしいです。
また、権現山公園山頂は、金沢文庫の京急の車庫や、平潟湾沿いを走る金沢シーサイドラインが一望できる、絶好の電車のビュースポットでもあります。展望広場よりも広範囲に見られるため、よりダイナミックな電車ビューをたのしむことができます。
金沢八景権現山公園の敷地はここまでで、権現山公園山頂から先の御伊勢山方面へは、2022年5月現在、通行止めになっています。(横浜市によってハイキングコースを整備予定で、これが完成すると、六浦や釜利谷方面に通り抜けられるようになります)
金沢八景権現山公園の桜
金沢八景権現山公園の旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)の中庭では、1本の桜の古木が植栽されています。
決して派手さはありませんが、金沢八景権現山公園のシンボルツリーとして、茅葺屋根の日本家屋ともよくマッチしています。
この桜の古木は、まわりをぐるりと一周して見られるだけでなく、金沢八景駅西口の階段から見下ろすこともできます。木の形が特徴的なため、角度によってまったく違う表情を見せてくれるのがおもしろいです。
この桜の木は、公園として整備される前からこの場所に植えられていた木で、旧円通寺客殿の建物とともに金沢八景駅や京急の電車を見守り続けてきた古木です。(場所は、十数mほど離れた場所から移植されています)
また、公園として整備されるにあたって、裏の権現山にも、若い桜の木が数本植えられています。
金沢八景権現山公園の紅葉
金沢八景権現山公園の旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)前では、控えめなモミジの木が植栽されています。
金沢八景権現山公園では他にも、展望広場周辺などで、紅葉する樹木を大小問わずさまざまな種類見られて、気軽に紅葉狩りをたのしむことができます。
金沢八景駅とエレベーターで直結の駅近の公園
金沢八景権現山公園は、京急線・金沢シーサイドラインの金沢八景駅直結の、駅近の公園です。開園日・開園時間内であれば、京急線の改札口や東西自由通路があるデッキから、西口側(横浜市立大学や金沢高校方面)のエレベーターを使ってアクセスすることができます。(駅のデッキは3階で、公園入口は2階です)
エレベーターを出て目の前にある管理休憩棟には、自由に利用できるイスやテーブル、トイレなどがあります。
金沢八景駅の東口は再開発によって都市化が進みましたが、その反対側にある金沢八景権現山公園は対照的と言えるくらい自然が多く残されている都会のオアシスのような場所です。