覚園寺は、1218年(建保6年)に鎌倉幕府第2代執権・北条義時が建立した大倉薬師堂を前身とする寺院です。
鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が鶴岡八幡宮で公暁に暗殺される前年、義時の夢に十二神将の戌神が現われて、翌年の危難を知らせるお告げがあったと言います。この夢の後、義時は大倉薬師堂を建立して、十二神将を祀りました。
翌年、実朝は鶴岡八幡宮で公暁に暗殺されましたが、戌神のお告げにしたがって実朝のお供をしなかった義時は難を逃れました。
これ以降、大倉薬師堂は北条得宗(嫡流)家によって篤く信仰されていくことになりました。
1296年(永仁4年)、第9代執権・北条貞時の時代に、元寇の再来がないように祈願して、大倉薬師堂は正式な寺院・覚園寺として改められました。
山号 | 鷲峰山 |
宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
寺格 | ― |
本尊 | 薬師如来 |
創建 | 1296年(永仁4年) |
開山 | 智海心慧 |
開基 | 北条貞時 |
覚園寺の本堂・薬師堂などの境内の大部分は案内人と同伴でめぐる必要があり、写真撮影も禁止されていますが、観光地化されていない信仰の場を参拝することができる、鎌倉でも貴重な寺院です。(2023年3月末まで拝観案内は休止中で、個々に参拝可)
INDEX
観光地化されていない信仰の場を参拝できる貴重な寺院
覚園寺の境内は、山門から山門の正面にある愛染堂前までは自由に行き来することができますが、その先にある本堂・薬師堂や地蔵堂などへは、拝観料を納めて、案内の方といっしょに参拝する必要があります。また、拝観受付所より先は撮影も禁止されています。
その分、観光地化されていない信仰の場を、古と同じように、純粋に五感で味わうことになります。
現在の薬師堂は1354年(文和3年)に再建されたもので、改修・改築されながら今日まで使用されています。本尊・薬師如来像と、その両脇に日光菩薩像と月光菩薩像、さらにその外側には北条義時の夢に現れた十二神将像(室町時代の作)が祀られています。
また、薬師堂には、現在は廃寺となった理智光寺の阿弥陀堂の本尊であった阿弥陀如来坐像(鞘阿弥陀)も安置されています。
地蔵堂に祀られた地蔵菩薩像は、毎年8月10日の黒地蔵縁日(午前0時から正午ごろまで)にのみ一般公開される秘仏です。
山門の正面にある愛染堂は、覚園寺の近くにあった大楽寺(廃寺)の仏堂を移築したものです。情熱をつかさどる愛染明王像など、旧大楽寺の仏像が安置されています。
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ライトアップもされる紅葉の名所
覚園寺は、鎌倉宮から北に向かった場所にある、薬師堂ヶ谷と呼ばれる奥まった谷戸に位置しています。山門の少し手前にある庚申塔近くには天園ハイキングコースの覚園寺入口があり、建長寺や明月院などの北鎌倉方面や鎌倉市の最高峰である大平山や天園、横浜の金沢区方面などにつながっています。
覚園寺の山号になっている鷲峰山山頂付近は、天園ハイキングコースの北鎌倉方面、天園・金沢区方面、今泉台・散在ガ池森林公園方面への分岐点になっています。
例年、11月下旬から12月上旬にかけて覚園寺の境内や周囲の山々は紅葉の見ごろを迎えます。このあたりは住所こそ二階堂ですが、西隣の谷戸には建長寺があり、鎌倉でも北側の山深いエリアに位置していて、美しい紅葉を見ることができます。紅葉の見ごろの時期には、覚園寺の境内では紅葉のライトアップも行われます。
鎌倉駅からは少し離れた場所にあり、交通の便も良いとは言えませんが、とくに紅葉の季節は、天園ハイキングコースを使った鎌倉の名刹・古刹めぐりに組み入れたい寺院の一つです。
天園ハイキングコースを使った鎌倉の名刹・古刹めぐり
天園ハイキングコースの尾根道沿い
北鎌倉方面
今泉台方面
日中の覚園寺の紅葉
ライトアップされた覚園寺の紅葉
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覚園寺裏山に残る百八やぐら
谷戸の奥に建てられた鎌倉の寺院には、その背後の山に中世の横穴式の墳墓または供養の場である「やぐら」が残っていることが多いです。
覚園寺の山号にもなっている寺の背後の山・鷲峰山では、鎌倉エリアでも最大規模のやぐら群である、百八やぐらを見ることができます。百八やぐらは、天園ハイキングコースの覚園寺入口から登山道を登り切って、尾根道(北鎌倉方面、天園方面、今泉台方面との交差点)に出る直前の脇道から入ることができます。
このような位置関係からも、覚園寺と百八やぐらとの関係は深いものであったと考えられます。
覚園寺に限ったことではありませんが、中世の寺域は、現在一般的に認識されている境内よりも、ずっと広かったということをうかがい知ることができます。