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鎌倉宮(大塔宮)| 明治天皇が創建した護良親王を祀る神社

鎌倉宮(大塔宮)・拝殿と桜(撮影日:2022.03.31) 鎌倉
鎌倉宮(大塔宮)・拝殿と桜(撮影日:2022.03.31)

鎌倉宮かまくらぐうは、明治天皇の勅命によって創建された、後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりながしんのう/もりよししんのう)を祀る神社です。護良親王は、還俗する前は大塔宮(おおとうのみや/だいとうのみや)と呼ばれていたため、鎌倉宮も通称「大塔宮」と呼ばれることがあります。鎌倉宮の最寄りのバス停も「大塔宮」(読み方は「だいとうのみや」)という名前になっています。

鎌倉時代やその前後の時代まで歴史をさかのぼることができるような古社・古刹が多く残る鎌倉にあっては、明治初期に創建された鎌倉宮は「新しい神社」と言えます。

境内には、護良親王が9ヶ月に渡って幽閉されていたとされる土牢があり、拝観コースで見学することができます。(要拝観料)
また、鎌倉宮は、神苑あじさいをはじめ、河津桜ソメイヨシノ)、紅葉など、四季を通じて見どころが絶えません。

主祭神護良親王
旧社格等官幣中社
創建1869年(明治2年)

例年10月上旬に鎌倉宮の境内では「鎌倉薪能」(事前予約制)が催されます。「鎌倉薪能」は1959年(昭和34年)から行われている鎌倉を代表する伝統行事の一つです。

薪能は、夜の能楽堂などで、かがり火を焚いた幽玄な雰囲気のなかで演じられるです。起源は平安時代に奈良の興福寺で催されたものとされ、昭和期以降には全国に広まりました。「鎌倉薪能」は全国で3番目に古い歴史があります。

鎌倉宮(大塔宮)・手水舎を見つめる獅子頭守(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・手水舎を見つめる獅子頭守(撮影日:2021.09.07)
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鎌倉宮の御祭神は護良親王

鎌倉宮(大塔宮)・拝殿を正面から見る(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・拝殿を正面から見る(撮影日:2021.09.07)

鎌倉宮の御祭神である護良親王は、武家政権であった鎌倉幕府を倒幕して、護良親王の父である後醍醐天皇を中心とする建武の新政建武の中興)を成し遂げた功労者でした。
同じように武家政権から天皇を中心とする社会に変革する明治維新を実現した明治天皇は、深く敬慕する護良親王の功績をたたえて、親王の終焉の地である東光寺跡に鎌倉宮の造営を命じました。

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境内社の村上社と南方社

鎌倉宮(大塔宮)・撫で身代わり様と村上社(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・撫で身代わり様と村上社(撮影日:2021.09.07)

鎌倉幕府倒幕に向けて、護良親王は奈良の吉野城で挙兵しましたが、鎌倉幕府軍に追い詰められてしまいます。このとき、護良親王の家臣である村上義光親王の鎧をまとって、身代わりとなり切腹しまし、親王は逃れることができたと言います。
拝殿の右横に建つ村上社護良親王を救った村上義光を御祭神として祀っていて、その社殿の前には「撫で身代わり様」と呼ばれる、自分の身体の具合が悪い場所を撫でると良くなるという、村上義光のエピソードにあやかった等身大の木造があります。

一度は窮地を救われた護良親王も、二度目は生き延びることができず、囚われの身となった親王は鎌倉へ送られ、二階堂にあった東光寺鎌倉宮が建つ場所にあった、現在の横浜市金沢区にある東光禅寺の前身の寺院)で最期を迎えます。

このとき、護良親王の身のまわりの世話や親王の最期を見届けて、親王の父である後醍醐天皇に報告したとされるのが南御方です。
本殿の左前方に建つ南方社では、その南御方を御祭神として祀っています。

護良親王の亡骸は、鎌倉宮からもほど近い、理智光寺の山に葬られました。理智光寺は廃寺となり残っていませんが、現在は宮内庁の管理で親王の墓所だけが残っています。

また、護良親王の子とされる日叡が再興した妙法寺の山上にも、日叡が両親を弔うために建立したと伝わる護良親王の墓があります。

鎌倉宮(大塔宮)・南方社(撮影日:2022.03.31)
鎌倉宮(大塔宮)・南方社(撮影日:2022.03.31)
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9ヶ月に渡って護良親王が幽閉されていた土牢

鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢の前の門構え(開閉はしません)(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢の前の門構え(開閉はしません)(撮影日:2021.09.07)

建武の新政が開始されると、護良親王は、後醍醐天皇との関係も良好で、鎌倉幕府倒幕の功労者の一人であり武将として勢力を増す一方の足利尊氏は対立するようになります。これに皇位継承の争いもからみ、無実の罪を着せられた護良親王は父である後醍醐天皇によって捕らえられ、足利尊氏に引き渡されてしまいます。

足利尊氏の弟の直義の監視下に置かれた護良親王は、鎌倉の東光寺土牢に幽閉されます。
護良親王はこの土牢に9ヶ月幽閉された後、鎌倉幕府第14代執権・北条高時の遺児・北条時行を擁立して鎌倉幕府を再興しようとした中先代の乱の混乱に乗じて殺害されてしまいます。
護良親王の最期は、東光寺の書院で写経中に足利直義に殺害されたとも、足利直義の命を受けた淵辺義博によって土牢で殺害されたとも、伝わります。

鎌倉宮本殿の裏手には、護良親王が幽閉されていたとされる土牢が残されています。拝殿本殿より後方にある土牢神苑宝物殿の参拝は、別途拝観料が必要です。社務所横にある拝観受付から入り、宝物殿神苑土牢を、自由に参拝することができます。

鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢-1(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢-1(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢-2(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢-2(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢前から見た門構え(開閉はしません)(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢前から見た門構え(開閉はしません)(撮影日:2021.09.07)
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宝物殿はかつての明治天皇行在所

鎌倉宮(大塔宮)・宝物殿(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・宝物殿(撮影日:2021.09.07)

拝観受付を抜けてすぐの場所にあるのが、宝物殿です。
宝物殿ではかつて明治天皇行在所として使われた建物で、護良親王ゆかりの品など宝物が展示されています。

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鎌倉宮の鎮守の杜「神苑」

鎌倉宮(大塔宮)・神苑(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・神苑(撮影日:2021.09.07)

宝物殿の先に広がっている場所が神苑になります。鎌倉宮鎮守の杜のような存在で、さまざまな樹木が植えられています。2021年に、約50年ぶりに大規模な整美が行われました。

神苑の森林の中には、いくつかの石碑や史跡などがあります。

鎌倉宮碑

鎌倉宮(大塔宮)・鎌倉宮碑(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・鎌倉宮碑(撮影日:2021.09.07)

明治天皇鎌倉宮を創建する際に、太政大臣・三条実美に語られたお言葉が刻まれている石碑です。

御構廟(御首級)

鎌倉宮(大塔宮)・御構廟(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・御構廟(撮影日:2021.09.07)

足利直義に命じられて護良親王を殺害した淵辺義博が、この場所に親王の首級(討ち取った首)を置いて逃げ去ったと伝わる場所です。

教育勅語・五箇条の御誓文の碑

鎌倉宮(大塔宮)・教育勅語・五箇条の御誓文の碑(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・教育勅語・五箇条の御誓文の碑(撮影日:2021.09.07)

上皇陛下(当時の皇太子殿下)ご成婚を祝して建立された石碑です。

紫陽花

鎌倉宮(大塔宮)・神苑のヤマアジサイ-1(撮影日:2022.06.01)
鎌倉宮(大塔宮)・神苑のヤマアジサイ-1(撮影日:2022.06.01)

鎌倉宮神苑ではヤマアジサイホンアジサイが植栽されています。初夏には、神苑の散策路を鮮やかに彩ります。

鎌倉宮(大塔宮)・神苑のヤマアジサイ-2(撮影日:2022.06.01)
鎌倉宮(大塔宮)・神苑のヤマアジサイ-2(撮影日:2022.06.01)
鎌倉宮(大塔宮)・神苑のヤマアジサイ-3(撮影日:2022.06.01)
鎌倉宮(大塔宮)・神苑のヤマアジサイ-3(撮影日:2022.06.01)

▼その他の鎌倉のあじさいの名所はこちら▼

【2025 No.9】特集 | 鎌倉あじさいの名所
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梅と桜の季節の鎌倉宮

鎌倉宮(大塔宮)・鳥居前の初春桜(河津桜)(撮影日:2024.02.20)
鎌倉宮(大塔宮)・鳥居前の初春桜(河津桜)(撮影日:2024.02.20)

鎌倉宮では拝殿の周辺などでが見られます。まだ若木ですが、早咲きの初春桜・如月桜(河津桜)も植えられています。

手水舎横の「将軍梅」は、鎌倉宮の御祭神・護良親王の弟・懐良親王(かねよししんのう/かねながしんのう)お手植えのから実生したと伝わるものです。懐良親王は幼いころに征西大将軍に任命されたため、九州を拠点としていました。この「将軍梅」も、九州・八代から移植されたものです。

鎌倉宮(大塔宮)・手水舎横の将軍梅(撮影日:2024.02.20)
鎌倉宮(大塔宮)・手水舎横の将軍梅(撮影日:2024.02.20)

▼その他の鎌倉の梅の名所はこちら▼

【2025 No.4】特集 | 鎌倉梅の名所

初春桜・如月桜(河津桜)

鎌倉宮の早咲きの河津桜は、一の鳥居横のが「初春桜」、二の鳥居横のが「如月桜」と名付けられています。「初春桜」は、左側のほうがより早咲きで、例年、1月に見ごろを迎えます。右側のほうは、例年2月に見ごろを迎えます。「如月桜」は、その名のとおり、2月に開花します。

鎌倉宮(大塔宮)・鳥居前の初春桜(河津桜)(撮影日:2024.01.11)
鎌倉宮(大塔宮)・鳥居前の初春桜(河津桜)(撮影日:2024.01.11)
鎌倉宮(大塔宮)・如月桜(河津桜)と白梅(撮影日:2024.02.20)
鎌倉宮(大塔宮)・如月桜(河津桜)と白梅(撮影日:2024.02.20)

ソメイヨシノ

鎌倉宮(大塔宮)・拝殿越しに南方社の前の桜を望む(撮影日:2022.03.31)
鎌倉宮(大塔宮)・拝殿越しに南方社の前の桜を望む(撮影日:2022.03.31)

▼その他の鎌倉の桜の名所はこちら▼

【2025 No.6】特集 | 鎌倉桜の名所

さまざまな祭事の舞台となる拝殿

鎌倉宮(大塔宮)・拝殿(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・拝殿(撮影日:2021.09.07)

拝観コースの入口に近い鎌倉宮拝殿では、毎月1日に「月首祭」、20日に「月次祭」が執り行われていて、予約なしで誰でも見学することができます。

鎌倉宮(大塔宮)・月次祭(撮影日:2023.07.20)
鎌倉宮(大塔宮)・月次祭(撮影日:2023.07.20)

厄除け・魔除けのご利益がある鎌倉宮の獅子頭守

鎌倉宮(大塔宮)・宝物殿を見つめる獅子頭守(撮影日:2021.09.07)

鎌倉宮の御守りと言えば、朱塗りで木製の「獅子頭守り」です。護良親王も戦の際に兜に忍ばせていたと言われています。獅子頭は古来から、厄を食べ、幸せを招くと言われています。

鎌倉宮の休憩所には、大小さまざまな獅子頭が鎮座しています。

鎌倉宮・大小の獅子頭(撮影日:2022.11.02)
鎌倉宮・大小の獅子頭(撮影日:2022.11.02)
鎌倉宮(大塔宮)・獅子頭守(撮影日:2025.11.28)
鎌倉宮(大塔宮)・獅子頭守(撮影日:2025.11.28)

その他の鎌倉宮の見どころ

手水舎

鎌倉宮(大塔宮)・手水舎の無数の獅子頭守(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・手水舎の無数の獅子頭守(撮影日:2021.09.07)

鎌倉宮では大小何種類かの「獅子頭守り」が境内のいろいろな場所で見られます。とくに、手水舎には無数の「獅子頭守り」が飾られています。

鎌倉宮(大塔宮)・手水舎(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・手水舎(撮影日:2021.09.07)

亀若丸

鎌倉宮(大塔宮)・亀若丸(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・亀若丸(撮影日:2021.09.07)

手水舎の傍らで本殿の方を見つめているのは「亀若丸」です。この「亀若丸」の頭を撫でて、折り鶴を一つ持ち帰ると、鶴と亀がそろって、健康が成就するそうです。

社務所

鎌倉宮(大塔宮)・社務所前の門(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・社務所前の門(撮影日:2021.09.07)

社務所では、御朱印をいただくことができます。たとえば、10月は薪能など、月替わりの限定御朱印もあります。

鎌倉宮(大塔宮)・社務所(撮影日:2021.09.07)

御神木・小賀玉の木

鎌倉宮(大塔宮)・小賀玉の木(撮影日:2021.09.07)
鎌倉宮(大塔宮)・小賀玉の木(撮影日:2021.09.07)

社務所の前には、御神木である小賀玉の木がたっています。

紅葉の季節の鎌倉宮

鎌倉宮(大塔宮)・紅葉の頃の境内(撮影日:2020.12.08)
鎌倉宮(大塔宮)・紅葉の頃の境内(撮影日:2020.12.08)

鎌倉宮では、例年11月下旬から12月上旬にかけて、境内入口の参道沿い社務所の前などで紅葉が見事に赤く色づきます。

とくに社務所前のモミジは、天井を覆うように紅く染まるため、「紅天井」と呼ばれています。この鎌倉宮の紅天井は、数ある鎌倉の紅葉の名所のなかでも、単体のスポットとしては、5本の指に入るような美しい紅葉スポットです。

鎌倉宮 紅天井【2025.11.28】- "BENI-TENJOU" at KAMAKURAGUU-Shrine – 真っ赤に色づいたモミジの大木が頭上を覆う
鎌倉宮(大塔宮)・社務所前の紅葉「紅天井」(撮影日:2023.12.01)
鎌倉宮(大塔宮)・社務所前の紅葉「紅天井」(撮影日:2023.12.01)
鎌倉宮(大塔宮)・紅葉の頃の境内(撮影日:2025.11.28)
鎌倉宮(大塔宮)・紅葉の頃の境内(撮影日:2025.11.28)

以下のリンク先からその他の【鎌倉の紅葉おすすめスポット】の情報もご覧ください

【2025 No.11】特集 | 晩秋の鎌倉・モミジの紅葉
【2025 No.11】特集 | 晩秋の鎌倉・イチョウの黄葉

鎌倉宮周辺の見どころ

護良親王墓&理智光寺跡
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【2025 No.3】特集 | 鎌倉の最強パワースポット

DATA

住所 鎌倉市二階堂154
アクセス
行き方

JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで終点下車
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約25分

駐車場 あり
営業時間

境内参拝自由

<拝観コース(土牢、神苑、宝物殿を自由に参拝可能)>
2月~11月 9:30~16:30(受付終了16:00)
12月~1月 9:30~16:00(受付終了15:30)

<社務所>
9:00~16:00

料金

<拝観コース(土牢、神苑、宝物殿を自由に参拝可能)拝観料>
中学生以上 300円
小学生 150円
※拝観コースに含まれる、土牢、神苑、宝物殿以外の参拝は無料

電話番号 0467-22-0318
ウェブサイト https://www.kamakuraguu.jp/
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