鎌倉・坂ノ下にある御霊神社は、たしかな創建時期は分かっていませんが、鎌倉幕府成立前の平安時代に創建された神社と伝えられています。
当初は、相模国鎌倉郡を中心に活躍した、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の関東平氏の先祖の霊を祀っていました。その後、鎌倉権五郎景政の武勇が名高いため、景政を祀るようになり、「五霊」が「御霊」に転じたと言われています(諸説あり)。そのため、御霊神社は「権五郎神社」という通称でも親しまれています。
鎌倉権五郎景政の武勇は後々の時代にも語り継がれ、武士たちが手玉石(約105kg)と袂石(約60kg)を使って力比べをしたと言われています。御霊神社の境内には今も、この二つの石が祀られています。
例年9月の祭礼で行われる面行列「面掛行列」は、全国的に希少となった中世の「伎楽面風流」に起源があるとされ、県指定無形民俗文化財に指定されています。
主祭神 | 鎌倉権五郎景政 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 不詳 (平安時代後期) |
御霊神社(権五郎神社)は、鳥居のすぐ前を江ノ電が走っていて、神社と民家の間を小さな電車が通り抜ける、鎌倉らしい風景を感じられます。
※撮影する際は、線路内に立ち入ったり電車の運行を妨げるような行為はおやめください。
御霊神社(権五郎神社)では、境内での撮影が禁止されています。(2023年12月現在)
INDEX
目の神様と崇められるようになった権五郎景政の武勇
鎌倉権五郎景政は平安時代後期に活躍した武将で、16歳の時、河内源氏第3代棟梁・源義家(源頼朝の4代前)に従って後三年の役に従軍しました。
鎌倉権五郎景政は、敵方の鳥海弥三郎が放った矢に左目を射られたものの、矢が刺さったまま鳥海弥三郎を追い、射ち落したと言う逸話から、勇猛な武士として語り継がれています。
このとき、同じ源義家の軍勢として参戦していた三浦氏第2代当主・三浦為継は、鎌倉権五郎景政の左目に刺さった矢を顔に足をかけて抜こうとしましたが、弓矢に当たって死ぬのは武士の本望だが、土足で顔を踏まれるのは侮辱だと逆上され、為継は膝をかがめて矢を抜いたと言います。
この逸話が転じて、権五郎景政を祀る御霊神社は、眼病平癒のご利益がある、目の神様として親しまれています。
四季が凝縮された御霊神社境内
御霊神社は小さな境内ですが、春の桜、初夏のあじさい、秋にはイチョウの黄葉と、四季ごとに味わい深い印象を与えてくれます。
桜は社殿のまわりで見られます。あじさいは、江ノ電の線路沿いで見られる他、例年、境内に数多くの鉢植えが並べられます。
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境内のすぐ前を江ノ電が走る鎌倉らしいロケーション
御霊神社の境内は江ノ電の線路に接していて、鳥居の前にすぐ踏切があります。
似たようなロケーションは北鎌倉の円覚寺とJR横須賀線の踏切にも見られますが、御霊神社のほうが小ぢんまりとしていて、線路までが近く、より一体感があり、鎌倉らしさを感じられます。
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御霊神社の御神木・たぶの木
御霊神社(権五郎神社)の境内に立つ御神木のタブノキは、樹齢約400年と言われ、「かながわの名木100選」や鎌倉市の天然記念物に指定されています。
夫婦円満・家内安全・子宝安産のシンボルとなっている夫婦銀杏
御霊神社の境内には、イチョウの大木もそびえています。晩秋に黄金色に色づくと、境内の外からでもよく目立ちます。
とくに、雌雄並んでそびえ立つイチョウは「夫婦銀杏」と呼ばれていて、毎年多くのギンナンの実を結ぶことから、夫婦円満・家内安全・子宝安産のシンボルとされています。
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鎌倉や三浦半島エリアの「御霊神社」
「御霊神社」という名前の神社は、全国的にはメジャーな社名ではありませんが、鎌倉を中心に三浦半島などのその周辺地域に多く分布しています。いずれも、創建された年は、平安時代後期から鎌倉時代前期に集中しています。
藤沢・宮前の御霊神社は、平安時代中期の940年(天慶3年)に、村岡五郎良文(平良文)が平将門討伐の戦勝祈願のために、京都の御霊神社を勧請したのがはじまりと伝えられています。村岡五郎良文は、鎌倉を中心に活躍した鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の5氏や、これら5氏とも関係の深い三浦氏などの先祖にあたる武将です(諸説あり)。
藤沢・宮前の御霊神社の由緒によれば、鎌倉・坂ノ下の御霊神社(権五郎神社)を含む鎌倉周辺の御霊神社は、村岡五郎良文が創建した藤沢・宮前の御霊神社から分社したものとされています。良文の子孫にあたる氏族の繁栄と勢力地域の広がりとともに、周辺地域にも御霊神社が広がっていったことが考えられます。
神社名 | 御祭神 | 創建年 | 創健者 | 鎮座地 |
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御霊神社(権五郎神社) | 鎌倉権五郎景政 | 不詳(平安時代後期) | ― | 鎌倉市坂ノ下 |
五霊神社 | 天手力男命 | 不詳(源義朝の東国下向時の、1100年代中盤) | ― | 逗子市沼間 |
御霊神社 | 大己貴命 御霊命 (鎌倉権五郎景政) | 1177年~1181年(治承年間) | 長江太郎義景 (鎌倉権五郎景政の孫) | 葉山町長柄 |
御霊神社 | 三浦義明 | 1212年(建暦2年) | 和田義盛 (三浦義明の孫) | 横須賀市大矢部 (満昌寺境内) |
御霊神社 | 三浦義明 | 1194年(建久5年) | ― | 横須賀市衣笠町 (衣笠城跡、旧蔵王権現社) |
御霊神社 | 鎌倉権五郎景政 | 1151年(仁平元年) | 一説には、佐原十郎義連 (三浦義明の子) | 横須賀市佐原 |
御霊神社 | 鎌倉権五郎景政 | ― | ― | 三浦市三崎 (海南神社境内) |