鎌倉歴史文化交流館は、鎌倉で発掘された出土品を中心に、原始・古代から近現代に至る鎌倉の歴史を紹介する博物館です。埋蔵文化財の宝庫である鎌倉では、毎年のように新たな発見が生まれていますが、それらの最新の成果をふまえた企画展、講座、ワークショップなどのイベントも開催されています。
鎌倉歴史文化交流館の建物は、イギリスの著名な建築家ノーマン・フォスター氏の設計事務所(フォスター+パートナーズ)が、個人住宅「Kamakura House」として2004年に竣工したものです。その後、2013年に鎌倉市が土地と建物を取得して、展示施設としてリフォームし、2017年に鎌倉歴史文化交流館として開館しました。
建物の取得当時は、鎌倉市や神奈川県などが中心となり「武家の古都・鎌倉」として世界遺産への登録を目指していた時期で、登録された際にはこの場所をガイダンス施設として整備する予定でした。(「武家の古都・鎌倉」は、2013年に、世界遺産の諮問機関であるイコモスによって不登録勧告を受けたため、日本政府によって登録推薦も取り下げとなりました)
鎌倉歴史文化交流館は、事実上の、鎌倉市の人文系(歴史・考古・民俗)博物館の機能を担っている施設です(2023年3月現在、博物館法の「登録博物館」ではありません)。
鎌倉には市立の総合博物館がありません。市立の博物館としては、市内の社寺から国宝、重要文化財等の文化財を数多く寄託されている、中世から近世の仏教美術・仏教史などを専門とした鎌倉国宝館があります。
鎌倉市では、鎌倉歴史文化交流館の博物館としての機能の充実をはかるとともに、鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館を中核施設として、市内全域に点在する歴史・文化・自然・産業等の遺産をあわせてミュージアムとして捉える、エコミュージアムの構想もあります。
鎌倉歴史文化交流館の展示品は、そのほとんどが写真撮影OKで、ネットでの公開もSNSでの投稿も許可(推奨)されています。(企画展の展示品などで、一部撮影禁止のものもあります。禁止されている場合は、展示品の前に明記されています)
鎌倉市所有や当館収蔵の品が多かったり、展示品にはレプリカも少なくないという理由もありますが、多くの人に興味を持ってもらおうという態度を示している、現代的で持続可能な博物館と言えます。
INDEX
鎌倉歴史文化交流館の展示室
鎌倉歴史文化交流館は本館と別館に分かれていて、本館に通史展示室、中世展示室、近世・近現代展示室が、別館に考古展示室と交流室があります。エントランスは本館に設けられています。
エントランス
鎌倉歴史文化交流館のエントランス周辺では、鎌倉を代表するイベントである流鏑馬の写真や、名刀「正宗」の伝統を受け継ぐ山村綱廣氏作の刀剣、「鎌倉武士の鑑」と称された畠山重忠所用大鎧の精巧なレプリカなどが展示されています。
エントランスは、ガレージだった場所です。
通史展示室
通史展示室では、原始・古代から近現代に至る鎌倉の歴史を、写真パネルによる解説やそれに関連した実物展示によって、通史的に紹介しています。大画面で見られる、鎌倉の通史を3分半にギュッと詰め込んだ映像展示もあります。
通史展示室は、ゲストルームだった部屋で、2部屋を1部屋にまとめて、空間を広げています。
中世展示室
現在の鎌倉の基礎は、源頼朝が鎌倉幕府を開き、武家の都として栄えたことによって築かれたと言えます。中世展示室では、考古資料と写真パネルを中心に、中世の鎌倉と武士の営みを紹介しています。瓦などを実際に触れて感じることができるハンズオン展示や、鎌倉の地形模型に映像を投影して視覚的に分かりやすく解説してくれるジオラマプロジェクションマッピングも見どころです。
中世展示室は、リビングだった部屋です。壁一面に広がる大きな窓が特徴の、明るい部屋です。
近世・近現代展示室
近世・近現代展示室では、武家の都としての機能を失いながらも、観光地化が進んでいった近世から近代、現代までの鎌倉を、パネル展示を中心に紹介しています。
近世・近現代展示室は、寝室だった部屋です。
考古展示室
考古展示室では、鎌倉で発掘された出土品を、企画展ごとに展示品を入れ替えて、古の鎌倉の人々の暮らしの実像に迫ります。
交流室
交流室は、考古展示室のすぐ隣りにあって、企画展に連動した展示などに使われる他、休憩などに利用できるフリースペースになっています。ワークショップや講座などが開催される場合もあります。
この交流室は、毎週金曜日夜間(休館日、年末年始、展示替えなどを除く、17:00~20:00。有料)には、施設の貸出も行われています。
交流室の大きな開口部を持つ窓からは、目の前に広がる裏庭の鑑賞もできます。
鎌倉歴史文化交流館の土地の来歴
無量寺谷の歴史
鎌倉歴史文化交流館がある扇ヶ谷の南端に位置する谷戸は、無量寺谷と呼ばれています。鎌倉時代、無量寺谷には、幕府の有力御家人の一人だった安達氏の居館や安達氏の菩提寺である無量寿院(無量寺)があったとされています。
江戸時代には、相州伝の刀工「正宗」の後裔である綱廣の屋敷があったと伝わり、大正年間には、三菱財閥第4代当主の岩崎小弥太が母・早苗のために療養所を兼ねた別荘を構えていました。
1997年から2004年にかけて、イギリスの著名な建築家ノーマン・フォスター氏の設計事務所(フォスター+パートナーズ)によって、2棟の個人住宅「Kamakura House」が建設されました。
2013年には、鎌倉市が土地と建物を所有者のセンチュリー文化財団等から取得して、2017年に鎌倉歴史文化交流館として開館しました。
中世の岩庭とやぐらの跡
現在の鎌倉歴史文化交流館の前身である「Kamakura House」を建築する前の発掘調査では、玉砂利を敷いた鎌倉時代後期の池と遣水の遺構が発見されました。夢窓疎石が岩盤を彫刻的手法によって庭園となした瑞泉寺庭園と同じような岩庭が、この場所にもあったと考えられています。
また、別館の裏庭の山すそには、中世のやぐら(横穴式の墳墓または供養の場)と、岩崎家の別荘時代に築かれたとされる3つの横穴が空いています。やぐらは、この他にも、エントランスの横や本館南側の庭園などで確認でき、この場所に宗教施設があったことがうかがい知れます。
合鎚稲荷跡の見晴台
相州伝の刀工「正宗」の後裔・綱廣の屋敷があった江戸時代には、刀鍛冶を守護する刃稲荷が祀られていたと考えられています。岩崎家の別荘となっていた1919年(大正8年)には合鎚稲荷として復興され、社祠や神狐像、参道、鳥居などが整備されました。
センチュリー文化財団がこの土地を取得した後の2000年には、老朽化していた社祠が再建されましたが、鎌倉市が土地を取得した際に、社祠や神狐像、参道、鳥居は、鎌倉歴史文化交流館から源氏山公園を挟んだ北側に鎮座している葛原岡神社に移設されました。
合鎚稲荷があった裏庭の上部は、現在、見晴台になっています(雨天時は閉鎖)。見晴台からは、由比ヶ浜方面の鎌倉市街地を一望できます。
フォスター+パートナーズによる21世紀のモダニズム建築
「自然と人工との調和」
鎌倉歴史文化交流館の建物を手がけたフォスター+パートナーズを率いる建築家ノーマン・フォスター氏は、香港上海銀行「香港本店ビル」(1985年)やアップル本社「Apple Park」(2017年)などの設計者として知られています。ノーマン・フォスター氏の建築は、機能的・合理的な造形理念に基づくモダニズム建築の流れを汲み、より前衛的でエコロジカルな要素を取り入れてることが特徴です。
古典的なモダニズム建築としては、鎌倉では、鶴岡八幡宮の境内にある、旧「神奈川県立近代美術館・鎌倉館」(現「鎌倉文華館鶴岡ミュージアム」)(1951年)がよく知られています。旧「神奈川県立近代美術館・鎌倉館」は、モダニズム建築の巨匠と称されたル・コルビュジエに師事した建築家・坂倉準三による設計です。
鎌倉歴史文化交流館の建物は、中世からのこの土地の来歴をふまえながら、「自然と人工との調和」に意を注いだ建築とされています。
平行構造の壁が連なる外観が特徴的な建物は、プライヴェートな空間である裏庭側に大きな開口部を持つ窓があり、岩庭の庭園を借景とした外部との連続性が意識された空間になっています。
遊び心のある内部空間
外部からは見えない空間には、奈良時代などに宮殿や寺院の屋根の装飾に使った鴟尾や平安時代に貴族の住居などに用いられた寝殿造の廊下など、いろいろな時代の建築様式をミックスさせた和風建築が建てられています。この和風建築もフォスター+パートナーズによる住居建築として建てられた当初からあるもので、現代の宮大工によって施工されました。現在は建物内部の見学はできず、本館の窓越しに見ることができます。
鎌倉歴史文化交流館周辺の見どころ
鎌倉駅から銭洗弁財天や源氏山公園方面へ向かうルートは複数あります。その一つが鎌倉歴史文化交流館周辺を通るルートです。ポピュラーな行き方ではありませんが、人通りもあまり多くなく、古の雰囲気も感じられるため、オススメです。