回春院奥やぐら群は、その名前のとおり、建長寺・塔頭の回春院の奥に点在するやぐら(横穴式の墳墓または供養の場)群です。さまざまな形式のやぐらが見られますが、内部には、五輪塔などの原型を留めた副葬品や遺物はほとんど残っていません。
(「塔頭(たっちゅう)」とは禅宗寺院の境内またはその周辺に建つ付属の小寺院のことで、厳密には、宗派の開祖や代々の住持、高僧の墓塔のことです)
現在の回春院奥やぐら群周辺は、まばらな杉林になっています。そのため少し分かりにくいですが、やぐら群の前面は大きな平場になっています。
江戸時代初期かそれ以前までは、この回春院奥やぐら群前の平場に回春院がありました。
やぐらは、大きく分けると、寺院に伴うものと、切通などが残る鎌倉中心部とその外の境にあたるような場所で多く確認されていますが、回春院奥やぐら群は前者に分類されると考えられます。
しかし、後者にも、往時には埋葬者を供養するための寺院や仏堂が伴う場合も多かったと考えられます。けれども、やぐら造成期(おそらく室町期くらいまで)を過ぎると廃絶してしまったのか、その多くは残っていません。
回春院奥やぐら群の場合は、すぐそばにあった寺院こそ残っていませんが、回春院あるいは建長寺に関係するやぐらだったと考えるのが自然でしょう。
「地獄谷」と呼ばれていた回春院の谷戸
建長寺は、鎌倉時代中期の1253年(建長5年)、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって創建されました。それ以前の寺域は罪人の処刑場で、「地獄谷」と呼ばれていました。そこには伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていましたが、建長寺創建にあたって心平寺は近くの巨福呂坂に移転しています。
江戸時代の延宝年間(1673年~1681年)の建長寺の古地図によると、現在、回春院(当時は「回春庵」)のある奥の谷戸を指して「地獄谷」と呼んでいます。そして、そのさらに奥に「回春庵跡」が示されています。
おそらく、建長寺創建前は、回春院の境内を含めた谷戸一帯が地獄谷と呼ばれていて、心平寺もこの谷戸のどこかにあったのでしょう。
「わめき十王やぐら」と呼ばれた十王岩を頂点にしたこの地獄谷は、鎌倉の中でもやぐらが多く確認されている谷戸の一つで、回春院奥やぐら群の他にも朱垂木やぐら群など、少なくとも数十穴が点在しています。ごく特別な場合は除いて、やぐらに罪人が葬られるということはなかったでしょうから(やぐらに葬られたのは、武士や僧など一部の上流階級に限られていたと考えられています)、処刑場だった時代のものではないとみられますが、建長寺や回春院が創建された後も、墓場や供養の場とみなされていた空間だったようです。
回春院奥やぐら群の現況
今では住宅地がすぐそばまで迫る回春院奥やぐら群
回春院奥やぐら群は、江戸時代以降は管理が行き届いた寺院の境内ではなく(正確には寺域だったとしても)、住宅地がすぐ近くまで迫っているような立地ということもあり、容易に不特定多数の人間が出入りできるため、遺跡としての保存状態は良いとは言えません。
しかし、現在の回春院奥やぐら群周辺は、回春院や公益財団法人鎌倉風致保存会によって保全の活動が行われていますので、おそらく昭和期などよりは改善されているものとみられます。それでも、失われたものが戻ってくるわけではありませんので、継続的に保全されてきた保存状態が良いとされる中世の遺跡は、とても奇跡的なものだと言えます。
回春院奥やぐら群(回春庵旧跡)への行き方
回春院奥やぐら群(回春院旧跡)への行き方は、大きく分けて、鎌倉市街地方面から西御門1丁目経由、建長寺・回春院経由、天園ハイキングコースから朱垂木やぐら群経由の3通りあります。このうち、もっとも市街地から近いのは「鎌倉市街地方面から西御門1丁目経由」ですが、(わずかにですが)最寄りのバス停から近く高低差も少ないのは「建長寺・回春院経由」です。
鎌倉市街地方面から西御門1丁目経由
回春院奥やぐら群へ鎌倉市街地方面から登って行く場合、西御門1丁目が登り口になります。
まずは西御門の八雲神社・来迎寺を目指します(ともに、同じ名前の神社・寺院が鎌倉の別の場所にもありますのでご注意ください)。八雲神社・来迎寺前の道(わき道ではなく鎌倉市街地方面から直進してきた道)をさらに250mほど真っすぐ登って行くと、左にそれる道がありますので、こちらに進みます。道なりにさらに坂道を登って行くと住宅地が終わり、山道に入ります。
この山道を直進して行くと建長寺・回春院方面に抜けることができますが、回春院奥やぐら群へは山道に入ってすぐの十字路を右に登る道(上記写真参照)を行きます。登りきるとすぐに回春院跡の平場が現われ、この左手の山すそ沿いに回春院奥やぐら群が広がっています。
建長寺・回春院経由
建長寺・回春院からは、建長寺庭園~半僧坊参道方面から向かう場合、大覚池を過ぎて、池に流れ込む小川に沿うようにして続く細い道を東に進みます。大覚池から200mほど進むと西御門1丁目の住宅地が見えてきますが、住宅地手前の十字路を左に登る道(上記写真参照。鎌倉市街地方面から西御門1丁目経由の登り口と共通)を行きます。登りきるとすぐに回春院跡の平場が現われ、この左手の山すそ沿いに回春院奥やぐら群が広がっています。
天園ハイキングコースから朱垂木やぐら群経由
天園ハイキングコースからは、朱垂木やぐら群経由で西御門1丁目に降りてくるルートでアクセスできます。十王岩より少し天園よりにある「建長寺道・覚園寺道」の道標(下記写真参照。向かう方向によって「建長寺道」と「覚園寺道」どちらかの面が見えます)の分岐を、尾根道から斜面へ下るわき道に入り、しばらく下って行くと左側斜面に朱垂木やぐら群が見えてきます。朱垂木やぐら前面の平場へは向かわずに、そのまま山道を下って行くと回春院跡の平場が現われ、この右手の山すそ沿いに回春院奥やぐら群が広がっています。
鎌倉・逗子で見られるその他の「やぐら」
天園ハイキングコース周辺
山ノ内から二階堂にかけての天園ハイキングコースの尾根道から少し下った南側の斜面沿いは、鎌倉のなかでももっともやぐらが集中している場所の一つです。