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鎌倉最大のやぐら「明月院やぐら」・上杉憲方の墓所
本堂の左手に進むと明月院やぐらがあります。このやぐらは数ある鎌倉のやぐらのなかでも最大級のもので、開基・上杉憲方の墓所(極楽寺切通近くの山すそにも、憲方の墓と伝わる七層塔があります)とされています。
壁面には釈迦如来や多宝如来、十六羅漢などと見られる石仏が浮き彫りされていて、「羅漢洞」とも呼ばれています。
「明月庵」を創建した山内首藤俊通の墓所
明月院の寺伝によると、明月院やぐらは、1160年(永暦元年)に平治の乱で戦死した山内首藤俊通を偲んで、子の経俊が俊通の墓所としたものと伝えられています。
やぐらはしばしば再利用されることがあり、山内首藤俊通・経俊父子が生きた平安時代後期から鎌倉時代前期と上杉憲方が生きた南北朝時代から室町時代初期は200年ほどの開きがありますので、明月院やぐらも時代とともに祀られる対象が変わっていったものと考えられます。
明月院の直接の前身である「明月庵」自体も、山内首藤俊通の供養のため、子・経俊によって創建された寺院であると伝えられています。
山内首藤俊通は、源頼朝の父・源義朝に仕え、明月院の建つ山ノ内を領していたため山内姓を名乗っていました。平治の乱に参戦した俊通は京都で平氏方に討たれ、長らく墓所(埋葬地)も京都にありましたが、2023年に、墓所のあった旧吉水園(ウェスティン都ホテル京都の前身)から俊通供養のため創建された明月院(明月庵)境内に改葬されました。
前身の「最明寺」を創建した北条時頼の墓所
境内には、明月院の前身である最明寺を創建した、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の墓所があります。
時頼は当時最先端の文化であった禅宗を中国(当時の南宋)から鎌倉にいち早く取り入れ、1253年(建長5年)には建長寺を建立します。宗教心が厚かった時頼は、その3年後には最明寺を建立して、自らも最明寺で出家します。
最明寺は時頼の死後に廃寺となりますが、時頼の子・北条時宗によって禅興寺として再興されます。
その禅興寺も1868年(明治元年)に廃寺となり、現在は塔頭の1院であった明月院のみが残っています。
総門の近くには「最明寺」の文字が見られる古い道標が立っています。
「うさぎ寺」でもある明月院
明月院にはうさぎ小屋があり、実際にうさぎが飼われています。うさぎ小屋では、うさぎが月に住んでお餅をつくようになったという逸話が紹介されています。(詳しくは、ぜひ現地でご覧になってください!)
「明月院」の文字に月という字が入っていたり、「悟りの窓」の丸窓(円窓)が月のようだったり仏教の輪廻を表現しているように思えたり、いろいろなことを連想しますが、境内のいろいろな場所にある月のオブジェやうさぎさん(カメさんもいます)などから、自分なりに物語を想像してみるのもたのしいかもしれませんね。
▼鎌倉の「うさぎ神社」はこちら▼
▼うさぎ寺以外の鎌倉のパワースポットはこちら▼
明月院のその他の見どころ
本堂
開山堂
「鎌倉十井」の一つ 瓶ノ井
開山堂や明月院やぐらの近くには、「鎌倉十井」の一つに数えられている、瓶ノ井があります。
花想い地蔵
花想い地蔵は開山堂の正面に、向かい合うように建っています。
竹林
茶室「月笑軒」
茶室「月笑軒」の隣りには、おみやげコーナーもあります。