建長寺は、1253年(建長5年)に、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって創建された、鎌倉で最古の禅宗専門の寺院です。
臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山の第一位に列せられています。
鎌倉幕府滅亡以降は、北条氏という後ろ盾を失い、さらに度重なる火災や災害などで衰退していきましたが、江戸時代になって徳川家による保護を受けて復興していきました。
数少ない創建当初からの遺品で、現在は国宝に指定されている1255年(建長7年)鋳造の梵鐘には、「建長禅寺」という文字が見られ、建長寺は「禅寺」を称した日本ではじめての寺院とされています。
また、境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されていて、庭園も「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されています。
建長寺境内は、鎌倉でも屈指の桜や紅葉の名所としても知られています。
精進料理の代名詞的存在である「けんちん汁」(漢字では「建長汁」と書く)は建長寺の精進料理が由来で、今でも建長寺周辺の飲食店では看板メニューの一つになっています。(諸説あり)
山号 | 巨福山 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
寺格 | 臨済宗建長寺派大本山 鎌倉五山第一位 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建 | 1253年(建長5年) |
開山 | 蘭渓道隆(大覚禅師) |
開基 | 北条時頼 |
建長寺境内のいちばん奥にある半僧坊から急な階段で勝上嶽展望台まで登れば、鎌倉市街から富士山まで見渡すことができる、絶景が広がっています。
また、勝上嶽展望台からは天園ハイキングコースで、明月院方面、覚園寺方面、瑞泉寺方面といった鎌倉の名所や、横浜・金沢区方面につながっています。
INDEX
鎌倉最古の禅宗専門寺院創建の歴史的背景
北条時頼と蘭渓道隆の思惑が一致して実現した建長寺創建
禅の精神と武士の在り方に共通項を見出しており、さらに武士独自の文化を築き上げようとしていた鎌倉幕府第5代執権・北条時頼は、南宋からの渡来僧・蘭渓道隆を鎌倉に招いて、南宋式の本格的な禅宗寺院・建長寺を創建することになります。
建長寺は鎌倉でもっとも古い禅宗専門の寺院であり、日本国内でも福岡の聖福寺に次ぐ古さです。
建長寺の創建より前にも禅宗を扱う寺院はありました。鎌倉では、鎌倉五山第三位に列せられる寿福寺や、建長寺創建前に蘭渓道隆が拠点とした常楽寺などがそれにあたります。
しかし、当時の寺院は複数の宗派を兼ねていることが多く、とくに京都では天台宗の中心寺院だった比叡山延暦寺の影響力が強く及んでいました。
このような背景もあり、北条時頼による京都とは異なる文化を鎌倉に築こうという朝廷への対抗心と、蘭渓道隆による鎌倉では純粋な禅を広めやすいという思惑が重なり、鎌倉ではじめての禅宗専門寺院創建が実現したものと考えられます。
鎌倉仏教の聖地になったかつての地獄谷
建長寺が創建される前、この地は「地獄谷」と呼ばれる、罪人の処刑場でした。そこには伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていましたが、建長寺創建にあたって心平寺は近くの巨福呂坂に移転しています。
現在いわゆる「北鎌倉」と呼ばれる建長寺などがある山ノ内は、鶴岡八幡宮の鎮座する鎌倉の中心地からは一山越えた場所で、当時の鎌倉の縁にあたりました。
源氏将軍が三代で滅び、第5代執権・北条時頼の時代には執権北条氏の権力は盤石なものになっていました。しかし、政治的な面での権力は圧倒的でも、源頼朝が築いた鶴岡八幡宮や永福寺などのような、上流階級から庶民まで誰が見ても分かりやすい権力の象徴までは、自らの手でつくることができずにいました。
源氏将軍の時代からの従来の鎌倉中心地はすでに手狭になっていたため、執権北条氏は大規模開発の地を山ノ内に求めます。
建長寺の創建を足掛かりに、北条時頼の菩提寺である最明寺(現在の明月院の前身)や円覚寺、浄智寺、東慶寺など、執権北条氏によって次々と禅寺が創られていき、山ノ内は、平安仏教の影響が色濃い京都とも、源氏将軍による従来の鎌倉とも異なる、鎌倉仏教の聖地と呼べるような場所になっていきます。
後世に振り返ってみれば、この山ノ内の発展は、執権北条氏の時代が安定期に入ったことの表われであり、短命に終わった源氏将軍では実現できなかった鎌倉時代の文化的な面での醸成に中心的な役割を果たしたと言えます。
往時を彷彿とさせる伝統的な禅宗様式の伽藍配置
最盛期の1300年前後(鎌倉時代末期)には、総門から、三門、仏殿、法堂、方丈などの主要な建物が直線的に並び、禅堂や食堂などがそれらの建物に左右対称で配される伝統的な禅宗寺院の伽藍配置だったと言われ、中国宋時代の禅寺・径山万寿禅寺を模して造られたとされています。
建物こそかつてと違いますが、現在も、総門、三門、仏殿、法堂、方丈の並びに、最盛期の面影を見ることができます。
別名「巨福門」と呼ばれる 総門
建長寺の総門は「巨福門」とも呼ばれ、1783年(天明3年)に建立された京都の般舟三昧院の門を1940年(昭和15年)に移築したものです。
門に掲げられた額の「巨福山」は、第10世住職・一山一寧の筆と伝わるものです。
総門から三門までのアプローチは桜並木になっていて、質実剛健な禅寺の雰囲気のなかにあって、刹那的な美しさが際立ちます。
禅宗の大寺院らしい壮大な 三門
三門とは三解脱門の略で、この門をくぐるとあらゆる執着心から解き放たれて心が清浄になるという、たいへんありがたい門です。
現在の三門は1775年(安永4年)に再建されたもので、楼上に五百羅漢像など(非公開)が安置されている二重門です。
鎌倉五山の第一位に列せられるだけあって、とても堂々とした佇まいです。
優しげな表情の仏像と格子天井の花鳥図が独特な 仏殿
建長寺の仏堂には、建長寺の本尊である、地蔵菩薩が安置されています。
また、建長寺が創建される前にこの地にあった心平寺の旧本尊と伝わる地蔵菩薩坐像も安置されています。
1647年(正保4年)に、東京・芝の増上寺にあった江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の夫人・崇源院の霊屋(墓のお堂)を移築したものです。
このような経緯から、格子天井には花鳥図が並んでいて、一般的な禅宗仏殿の雰囲気とは違った独特なものになっています。
天井の雲龍図に圧倒される 法堂
建長寺の法堂は関東最大級の木造建築で、1814年(文化11年)に再建されたものです。
鎌倉五山のなかで法堂が残されているのは建長寺だけです。
もともと法堂は、建長寺の僧侶全員が集まって住職の説法を聞くような際に使われるお堂でしたが、現在は法要・講演・展覧会などに使われています。
堂内には、本尊として千手観音が、またその手前には釈迦苦行像が、安置されています。
天井には、建長寺の創建750年を記念して日本画家・小泉淳作によって描かれた、水墨の雲龍図が掲げられています。
桃山風向唐破風のデザインが特徴の 唐門
唐門は、桃山風向唐破風のデザインが特徴的です。
仏殿と同様、1647年(正保4年)に東京・芝の増上寺から移築されたものです。
現在は方丈(龍王殿)の正門ですが、もとは崇源院の霊屋(現仏殿)の唐門(勅使門)でした。
坐禅会の会場にもなる 方丈(龍王殿)
総門と同様、1940年(昭和15年)に京都の般舟三昧院から移築されたものです。
方丈では、一般の人も参加できる坐禅会が定期的に開かれています。
坐禅会開催時以外でも方丈は中に入ることができ、裏にまわると庭園を眺めることができます。
国の史跡・名勝に指定されている庭園
建長寺の庭園は、「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されています。
指定範囲は、方丈裏の庭園と、仏殿前のビャクシンの植栽です。
方丈裏の池泉庭園
現在の方丈裏の庭園は、江戸時代に大規模な改造工事を行ったものがもとになっていると考えられています。
緩やかに傾斜が付けられた池泉庭園は、方丈の裏の廊下に備え付けられているベンチに腰かけて、ゆっくりと鑑賞することができます。
仏殿前のビャクシンの庭
仏殿の前に立つビャクシン(柏槇)の古木は樹齢750年以上と言われ、開山の蘭渓道隆の手植えと伝えられています。
「かながわの名木100選」にも選ばれていて、建長寺創建当時からの貴重なものです。
日本ではじめて「禅寺」と称した国宝の梵鐘
仏殿横の鐘楼に架かる梵鐘は、国宝に指定されています。1255年(建長7年)に、大和権守・物部重光が鋳造したものです。
開山の蘭渓道隆による銘文の中には「建長禅寺」という文字も見られ、これが日本ではじめて「禅寺」と名乗ったものとされています。
天園ハイキングコースに通じる建長寺最奥の半僧坊・勝上嶽展望台
建長寺の鎮守・半僧坊
禅宗様式の伽藍が並ぶ境内を過ぎて、さらに奥へ奥へと進んでいくと、徐々に谷が狭まっていきます。
途中から階段が続くようになり、鳥居をいくつかくぐると、建長寺の鎮守・半僧坊にたどり着きます。総門からゆっくり歩いて20~30分くらいです。
半僧坊は、建長寺のなかでは歴史が浅く、1890年(明治23年)に静岡・奥山の方広寺から勧請した半僧坊権現が祀られています。
半僧坊権現は天狗の姿をしていると考えられているため、半僧坊の近くの山肌には天狗の像が何体も立っています。
半僧坊には、家内安全、商運隆昌、開運守護、学業成就、無病息災、良縁成就など数多くのご利益があると言われ、半僧坊に向かう参道には企業や個人から寄進された無数の石塔や石碑が並んでいます。
建長寺随一の絶景スポット・勝上嶽展望台
半僧坊の右手横からはさらに急な階段が続いていて、勝上嶽展望台まで登ると、眼下に建長寺の境内を一望でき、気象条件が合えば富士山もよく見えます。
半僧坊にも富士見の展望台がありますが、勝上嶽展望台のほうがかなり高い場所にあるため、景色の広がり方がまったく違います。
鎌倉市街地のほうを見渡せば、よく言われるように、鎌倉が、”三方を山に囲まれた天然の要害” であったことが良く分かります。
勝上嶽展望台からはさらに、「鎌倉アルプス」とも呼ばれる天園ハイキングコースに続いています。
天園ハイキングコースは、明月院方面、覚園寺方面、瑞泉寺方面など、鎌倉のいろいろな名所に抜けるルートがあり、横浜の金沢区方面まで続いています。
どこを切り取っても絵になる建長寺の桜
建長寺の広い境内では、春になるといたるところで桜が咲きます。
桜のトンネルが参拝者のテンションを一気に上げてくれる総門から三門までの桜並木、唐門の近くで可憐にたゆたう八重枝垂れ桜、背後の山の緑とのコントラストも美しい一直線に続く半僧坊参道の桜並木。どこを切り取っても絵になります。
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鎌倉屈指の紅葉の名所
海から離れている、北鎌倉・山ノ内の谷戸にある建長寺は、鎌倉の中でも寒暖の差が大きく、紅葉の季節は境内が赤や黄色に染まります。
とくに、境内のいちばん奥の半僧坊に向かう参道沿いは、イチョウとモミジと陽の光が織りなす錦絵のような世界が見事です。
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