スポンサーリンク

建長寺 | 北条時頼創建の日本ではじめて「禅寺」と称した鎌倉五山第一位

建長寺・桜と三門(撮影日:2021.03.26) 鎌倉
建長寺・桜と三門(撮影日:2021.03.26)

建長寺けんちょうじは、1253年(建長5年)に、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼ほうじょう ときよりによって創建された、鎌倉で最古の禅宗専門の寺院です。
臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山の第一位に列せられています。

鎌倉幕府滅亡以降は、北条氏という後ろ盾を失い、さらに度重なる火災や災害などで衰退していきましたが、江戸時代になって徳川家による保護を受けて復興していきました。

数少ない創建当初からの遺品で、現在は国宝に指定されている1255年(建長7年)鋳造の梵鐘には、「建長禅寺」という文字が見られ、建長寺「禅寺」を称した日本ではじめての寺院とされています。

また、境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されていて、庭園も「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されています。
建長寺境内は、鎌倉でも屈指の桜や紅葉の名所としても知られています。

精進料理の代名詞的存在である「けんちん汁」(漢字では「建長汁」と書く)は建長寺の精進料理が由来で、今でも建長寺周辺の飲食店では看板メニューの一つになっています。(諸説あり)

山号巨福山こふくさん
宗派臨済宗建長寺派
寺格臨済宗建長寺派大本山
鎌倉五山第一位
本尊地蔵菩薩
創建1253年(建長5年)
開山蘭渓道隆(大覚禅師)
開基北条時頼

建長寺境内のいちばん奥にある半僧坊はんそうぼうから急な階段で勝上嶽しょうじょうけん展望台まで登れば、鎌倉市街から富士山まで見渡すことができる、絶景が広がっています。
また、勝上嶽展望台からは天園ハイキングコースで、明月院めいげついん方面、覚園寺かくおんじ方面、瑞泉寺ずいせんじ方面といった鎌倉の名所や、横浜・金沢区方面につながっています。

スポンサーリンク

鎌倉最古の禅宗専門寺院創建の歴史的背景

北条時頼と蘭渓道隆の思惑が一致して実現した建長寺創建

建長寺・三門を斜め前から望む(撮影日:2020.10.26)
建長寺・三門を斜め前から望む(撮影日:2020.10.26)

禅の精神と武士の在り方に共通項を見出しており、さらに武士独自の文化を築き上げようとしていた鎌倉幕府第5代執権・北条時頼は、南宋からの渡来僧・蘭渓道隆らんけい どうりゅうを鎌倉に招いて、南宋式の本格的な禅宗寺院・建長寺を創建することになります。

建長寺鎌倉でもっとも古い禅宗専門の寺院であり、日本国内でも福岡の聖福寺しょうふくじに次ぐ古さです。
建長寺の創建より前にも禅宗を扱う寺院はありました。鎌倉では、鎌倉五山第三位に列せられる寿福寺や、建長寺創建前に蘭渓道隆が拠点とした常楽寺などがそれにあたります。

しかし、当時の寺院は複数の宗派を兼ねていることが多く、とくに京都では天台宗の中心寺院だった比叡山延暦寺の影響力が強く及んでいました。
このような背景もあり、北条時頼による京都とは異なる文化を鎌倉に築こうという朝廷への対抗心と、蘭渓道隆による鎌倉では純粋な禅を広めやすいという思惑が重なり、鎌倉ではじめての禅宗専門寺院創建が実現したものと考えられます。

鎌倉仏教の聖地になったかつての地獄谷

勝上嶽展望台より建長寺境内と鎌倉市街地方面を望む(撮影日:2021.02.05)
勝上嶽展望台より建長寺境内と鎌倉市街地方面を望む(撮影日:2021.02.05)

建長寺が創建される前、この地は「地獄谷」と呼ばれる、罪人の処刑場でした。そこには伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていましたが、建長寺創建にあたって心平寺は近くの巨福呂坂に移転しています。

現在いわゆる「北鎌倉」と呼ばれる建長寺などがある山ノ内は、鶴岡八幡宮の鎮座する鎌倉の中心地からは一山越えた場所で、当時の鎌倉の縁にあたりました。

源氏将軍が三代で滅び、第5代執権・北条時頼の時代には執権北条氏の権力は盤石なものになっていました。しかし、政治的な面での権力は圧倒的でも、源頼朝が築いた鶴岡八幡宮永福寺などのような、上流階級から庶民まで誰が見ても分かりやすい権力の象徴までは、自らの手でつくることができずにいました。

源氏将軍の時代からの従来の鎌倉中心地はすでに手狭になっていたため、執権北条氏は大規模開発の地を山ノ内に求めます。
建長寺の創建を足掛かりに、北条時頼の菩提寺である最明寺(現在の明月院の前身)や円覚寺浄智寺東慶寺など、執権北条氏によって次々と禅寺が創られていき、山ノ内は、平安仏教の影響が色濃い京都とも、源氏将軍による従来の鎌倉とも異なる、鎌倉仏教の聖地と呼べるような場所になっていきます。

後世に振り返ってみれば、この山ノ内の発展は、執権北条氏の時代が安定期に入ったことの表われであり、短命に終わった源氏将軍では実現できなかった鎌倉時代の文化的な面での醸成に中心的な役割を果たしたと言えます。

スポンサーリンク

往時を彷彿とさせる伝統的な禅宗様式の伽藍配置

建長寺・仏殿、法堂、方丈が直線的に並ぶ(撮影日:2020.12.08)
建長寺・仏殿、法堂、方丈が直線的に並ぶ(撮影日:2020.12.08)

最盛期の1300年前後(鎌倉時代末期)には、総門から、三門さんもん仏殿法堂はっとう方丈などの主要な建物が直線的に並び、禅堂食堂などがそれらの建物に左右対称で配される伝統的な禅宗寺院の伽藍配置だったと言われ、中国宋時代の禅寺・径山万寿禅寺きんざんまんじゅぜんじを模して造られたとされています。

建物こそかつてと違いますが、現在も、総門三門仏殿法堂方丈の並びに、最盛期の面影を見ることができます。

別名「巨福門」と呼ばれる 総門

建長寺・総門を正面から望む(撮影日:2020.10.26)
建長寺・総門を正面から望む(撮影日:2020.10.26)

建長寺総門は「巨福門こふくもん」とも呼ばれ、1783年(天明3年)に建立された京都の般舟三昧院はんじゅざんまいいんの門を1940年(昭和15年)に移築したものです。
門に掲げられた額の「巨福山」は、第10世住職・一山一寧いっさんいちねいの筆と伝わるものです。

総門から三門までのアプローチは桜並木になっていて、質実剛健な禅寺の雰囲気のなかにあって、刹那的な美しさが際立ちます。

禅宗の大寺院らしい壮大な 三門

建長寺・三門(撮影日:2020.10.26)
建長寺・三門(撮影日:2020.10.26)

三門とは三解脱門さんげだつもんの略で、この門をくぐるとあらゆる執着心から解き放たれて心が清浄になるという、たいへんありがたい門です。

現在の三門は1775年(安永4年)に再建されたもので、楼上に五百羅漢像など(非公開)が安置されている二重門です。
鎌倉五山の第一位に列せられるだけあって、とても堂々とした佇まいです。

優しげな表情の仏像と格子天井の花鳥図が独特な 仏殿

建長寺・仏殿を正面から望む(撮影日:2020.10.26)
建長寺・仏殿【重要文化財】を正面から望む(撮影日:2020.10.26)

建長寺仏堂には、建長寺の本尊である、地蔵菩薩が安置されています。
また、建長寺が創建される前にこの地にあった心平寺の旧本尊と伝わる地蔵菩薩坐像も安置されています。

1647年(正保4年)に、東京・芝の増上寺にあった江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の夫人・崇源院霊屋(墓のお堂)を移築したものです。
このような経緯から、格子天井には花鳥図が並んでいて、一般的な禅宗仏殿の雰囲気とは違った独特なものになっています。

建長寺・仏殿の堂内(撮影日:2020.10.26)
建長寺・仏殿【重要文化財】の堂内(撮影日:2020.10.26)

天井の雲龍図に圧倒される 法堂

建長寺・法堂を斜め前から望む(撮影日:2020.10.26)
建長寺・法堂【重要文化財】を斜め前から望む(撮影日:2020.10.26)

建長寺法堂関東最大級の木造建築で、1814年(文化11年)に再建されたものです。
鎌倉五山のなかで法堂が残されているのは建長寺だけです。

もともと法堂は、建長寺の僧侶全員が集まって住職の説法を聞くような際に使われるお堂でしたが、現在は法要・講演・展覧会などに使われています。

堂内には、本尊として千手観音が、またその手前には釈迦苦行像が、安置されています。
天井には、建長寺の創建750年を記念して日本画家・小泉淳作によって描かれた、水墨の雲龍図が掲げられています。

建長寺・法堂の堂内(撮影日:2020.10.26)
建長寺・法堂【重要文化財】の堂内(撮影日:2020.10.26)

桃山風向唐破風のデザインが特徴の 唐門

建長寺・唐門(撮影日:2021.03.26)
建長寺・唐門(撮影日:2021.03.26)

唐門からもんは、桃山風向唐破風むこうからはふのデザインが特徴的です。
仏殿と同様、1647年(正保4年)に東京・芝の増上寺から移築されたものです。
現在は方丈龍王殿)の正門ですが、もとは崇源院霊屋(現仏殿)の唐門勅使門)でした。

坐禅会の会場にもなる 方丈(龍王殿)

建長寺・方丈(龍王殿)(撮影日:2021.03.26)
建長寺・方丈(龍王殿)(撮影日:2021.03.26)

総門と同様、1940年(昭和15年)に京都の般舟三昧院から移築されたものです。

方丈では、一般の人も参加できる坐禅会が定期的に開かれています。
坐禅会開催時以外でも方丈は中に入ることができ、裏にまわると庭園を眺めることができます。

建長寺・方丈(龍王殿)・堂内(撮影日:2020.10.26)
建長寺・方丈(龍王殿)・堂内(撮影日:2020.10.26)
スポンサーリンク

国の史跡・名勝に指定されている庭園

建長寺庭園は、「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されています。
指定範囲は、方丈裏の庭園と、仏殿前のビャクシンの植栽です。

方丈裏の池泉庭園

建長寺・庭園(撮影日:2021.03.26)
建長寺・庭園(撮影日:2021.03.26)

現在の方丈裏の庭園は、江戸時代に大規模な改造工事を行ったものがもとになっていると考えられています。
緩やかに傾斜が付けられた池泉庭園ちせんていえんは、方丈の裏の廊下に備え付けられているベンチに腰かけて、ゆっくりと鑑賞することができます。

仏殿前のビャクシンの庭

建長寺・仏殿前のビャクシン(撮影日:2021.03.26)
建長寺・仏殿前のビャクシン(撮影日:2021.03.26)

仏殿の前に立つビャクシン柏槇)の古木は樹齢750年以上と言われ、開山の蘭渓道隆の手植えと伝えられています。
かながわの名木100選」にも選ばれていて、建長寺創建当時からの貴重なものです。

スポンサーリンク

日本ではじめて「禅寺」と称した国宝の梵鐘

建長寺・梵鐘(撮影日:2020.12.08)
建長寺・梵鐘【国宝】(撮影日:2020.12.08)

仏殿横の鐘楼に架かる梵鐘ぼんしょうは、国宝に指定されています。1255年(建長7年)に、大和権守・物部重光ものべのしげみつが鋳造したものです。
開山の蘭渓道隆による銘文の中には「建長禅寺」という文字も見られ、これが日本ではじめて「禅寺」と名乗ったものとされています。

建長寺・梵鐘のアップ(撮影日:2021.03.26)
建長寺・梵鐘のアップ(撮影日:2021.03.26)
スポンサーリンク

天園ハイキングコースに通じる建長寺最奥の半僧坊・勝上嶽展望台

建長寺・源氏山公園より勝上献展望台方面を望む、中央の建物が半僧坊の社務所でその左上の頂が勝上献展望台(撮影日:2020.12.01)
源氏山公園より勝上嶽展望台方面を望む、中央の建物が半僧坊の社務所でその左上の頂が勝上嶽展望台(撮影日:2020.12.01)

建長寺の鎮守・半僧坊

禅宗様式の伽藍が並ぶ境内を過ぎて、さらに奥へ奥へと進んでいくと、徐々に谷が狭まっていきます。
途中から階段が続くようになり、鳥居をいくつかくぐると、建長寺の鎮守・半僧坊にたどり着きます。総門からゆっくり歩いて20~30分くらいです。

半僧坊は、建長寺のなかでは歴史が浅く、1890年(明治23年)に静岡・奥山の方広寺から勧請した半僧坊権現が祀られています。
半僧坊権現天狗の姿をしていると考えられているため、半僧坊の近くの山肌には天狗の像が何体も立っています。

半僧坊には、家内安全、商運隆昌、開運守護、学業成就、無病息災、良縁成就など数多くのご利益があると言われ、半僧坊に向かう参道には企業や個人から寄進された無数の石塔や石碑が並んでいます。

建長寺随一の絶景スポット・勝上嶽展望台

半僧坊の右手横からはさらに急な階段が続いていて、勝上嶽展望台まで登ると、眼下に建長寺の境内を一望でき、気象条件が合えば富士山もよく見えます。
半僧坊にも富士見の展望台がありますが、勝上嶽展望台のほうがかなり高い場所にあるため、景色の広がり方がまったく違います。

鎌倉市街地のほうを見渡せば、よく言われるように、鎌倉が、”三方を山に囲まれた天然の要害” であったことが良く分かります。

勝上嶽展望台からはさらに、「鎌倉アルプス」とも呼ばれる天園ハイキングコースに続いています。
天園ハイキングコースは、明月院方面、覚園寺方面、瑞泉寺方面など、鎌倉のいろいろな名所に抜けるルートがあり、横浜の金沢区方面まで続いています。

建長寺・勝上献展望台より富士山を望む(撮影日:2021.02.05)
建長寺・勝上嶽展望台より富士山を望む(撮影日:2021.02.05)

どこを切り取っても絵になる建長寺の桜

建長寺・三門前の桜並木(撮影日:2021.03.26)
建長寺・三門前の桜並木(撮影日:2021.03.26)

建長寺の広い境内では、春になるといたるところでが咲きます。
桜のトンネルが参拝者のテンションを一気に上げてくれる総門から三門までの桜並木唐門の近くで可憐にたゆたう八重枝垂れ桜、背後の山の緑とのコントラストも美しい一直線に続く半僧坊参道桜並木。どこを切り取っても絵になります。

建長寺・唐門近くの八重枝垂れ桜(撮影日:2021.03.26)
建長寺・唐門近くの八重枝垂れ桜(撮影日:2021.03.26)
建長寺・半僧坊参道の桜並木(撮影日:2021.03.26)
建長寺・半僧坊参道の桜並木(撮影日:2021.03.26)

▼その他の鎌倉の桜の名所はこちら▼

【2024 No.6】特集 | 鎌倉桜の名所

鎌倉屈指の紅葉の名所

建長寺・法堂の横の紅葉(撮影日:2020.12.08)
建長寺・法堂の横の紅葉(撮影日:2020.12.08)

海から離れている、北鎌倉・山ノ内の谷戸にある建長寺は、鎌倉の中でも寒暖の差が大きく、紅葉の季節は境内が赤や黄色に染まります。
とくに、境内のいちばん奥の半僧坊に向かう参道沿いは、イチョウモミジと陽の光が織りなす錦絵のような世界が見事です。

建長寺・半僧坊への参道のイチョウとモミジ(撮影日:2020.12.08)
建長寺・半僧坊への参道のイチョウとモミジ(撮影日:2020.12.08)
建長寺・半僧坊大権現と紅葉(撮影日:2020.12.08)
建長寺・半僧坊大権現と紅葉(撮影日:2020.12.08)

▼その他の鎌倉の紅葉・黄葉の名所はこちら▼

【2024 No.12】特集 | 晩秋の鎌倉・モミジ&カエデの紅葉
【2024 No.12】特集 | 晩秋の鎌倉・イチョウの黄葉

建長寺境内の見どころ

建長寺周辺の見どころ

円応寺(えんま様の寺)
円応寺(圓應寺)えんのうじは、巨福呂坂洞門こぶくろざかどうもんの北鎌倉側にある、閻魔大王を本尊とする「えんま様の寺」です。亡者が冥界において出合う十人の王「十王」を祀っていることから、「十王堂」...
長寿寺
長寿寺は、足利尊氏が自身の邸宅跡に創建した、臨済宗建長寺の塔頭寺院です。北鎌倉・山ノ内から鎌倉駅方面の扇ガ谷に抜ける亀ヶ谷坂(亀ヶ谷坂切通)の、北鎌倉側の入口に位置しています。境内の裏山...
亀ヶ谷坂(亀ヶ谷坂切通し)
亀ヶ谷坂かめがやつざかは、鎌倉の扇ガ谷と北鎌倉の山ノ内を結ぶ古道です。「亀ヶ谷坂切通し」と表現される場合もあります。「鎌倉七口かまくらななくち(鎌倉七切通)」の一つに数えられていて、国の史跡に指定さ...
明月院(あじさい寺)
明月院めいげついんは北鎌倉を代表する花の寺として知られていて、とくに、6月には約2,500株のアジサイが境内を埋めつくすことから「あじさい寺」「紫陽花寺」という愛称で親しまれています。また、明月...
浄智寺
浄智寺じょうちじは、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の三男・宗政の菩提を弔うために創建された、臨済宗円覚寺派の寺院です。最盛期には七堂伽藍を備えた大寺院で、建長寺、円覚寺、寿福寺(壽福寺)に次ぐ、鎌...
東慶寺
北鎌倉・山ノ内にある東慶寺とうけいじは、女性のための縁切寺だったことで知られ、かつては男子禁制の尼寺でした。封建的な時代にあっては、女性の味方である、とても貴重な存在だったことに間違いないでしょ...
北鎌倉古民家ミュージアム
北鎌倉古民家ミュージアムは、北鎌倉駅の駅近、円覚寺のお隣りにある、再生した古民家を利用した美術館です。毎回趣向をこらした展覧会はもちろんのこと、築100年以上の3棟の建物を合体・再生した古民家自体も...
円覚寺
円覚寺えんがくじは、1282年(弘安5年)に、鎌倉幕府第8代執権・北条時宗によって創建された寺院です。禅を広めて、災いや戦乱をしずめ国の平安をまもることと、元寇(蒙古襲来)による殉死者を敵味方の...

DATA

住所 鎌倉市山ノ内8
アクセス
行き方

●山門側(北鎌倉駅方面)
JR横須賀線・湘南新宿ライン「北鎌倉駅」より徒歩約15分、または、江ノ電バス「鎌倉駅」行きで『建長寺』下車すぐ
もしくは、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約30分、または、江ノ電バス「大船駅」行き、「上大岡駅」行き、「本郷台駅」行きで『建長寺』下車すぐ

●半僧坊側(天園ハイキングコース方面)
天園ハイキングコースの各入口から勝上嶽展望台経由で入山可能
勝上嶽展望台と半僧坊のあいだは、上り徒歩約10分、下り徒歩約5分

駐車場 あり(有料)
営業時間

<拝観時間>
8:30~16:30

料金

<拝観料>
大人(高校生以上)500円
子ども(小中学生)200円
※天園ハイキングコースから入る場合も必要

電話番号 0467-22-0981
ウェブサイト https://www.kenchoji.com/
※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。
※地図は、右上のレイヤーボタンから、「オープンストリートマップ」「地理院地図」「Google マップ」に切り替えられます。大まかな場所を知りたい場合は「Google マップ」、目的地付近の詳細な道路地図を調べたい場合は「オープンストリートマップ」または「地理院地図」を選択すると分かりやすいです。左上の縮尺ボタンとあわせてご活用ください。
error: 申し訳ありません。コピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました