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安国論寺 | 自身の代表著作執筆や松葉ヶ谷法難の舞台となった日蓮ゆかりの地

安国論寺・本堂としだれ桜(撮影日:2024.04.02) 鎌倉
安国論寺・本堂としだれ桜(撮影日:2024.04.02)

安国論寺あんこくろんじは、鎌倉時代の中頃に、日蓮宗(法華宗)の宗祖である日蓮が、鎌倉で布教を開始した際に草庵を結んだ場所に建てられた寺院です。日蓮は、安房国(現在の千葉県、房総半島南部)の清澄寺を拠点に修行した後、政治の中心であった鎌倉に移り住みました。
日蓮はこの地で、自身の代表著作となる「立正安国論」を執筆したと言われています。

安国論寺は、松葉ヶ谷まつばがやつと呼ばれる谷戸にあります。この松葉ヶ谷がある現在の鎌倉市大町や、日蓮が辻説法を開いていたとされる小町大路沿いには、日蓮宗の寺院日蓮ゆかりの場所が数多く残っています。

また、安国論寺は、しだれ桜の大木や日蓮ゆかりの妙法桜などのをはじめとした、季節の花々が咲き乱れる花の寺でもあります。安国論寺のある大町エリア花の名所とされるお寺が少なめということもあり、鎌倉の他のエリアと比べると混雑を避けて、落ちついて参拝することができます。

山号妙法華経山
宗派日蓮宗
寺格
本尊久遠実成本師釈迦牟尼仏
十界未曾有大曼荼羅
創建1253年(建長5年)
開山日蓮
開基

安国論寺は、鎌倉幕府が整備した六大路の一つである大町大路沿いにあります。
大町大路は、極楽寺坂切通方面と名越切通方面を結ぶ、鎌倉市街を東西に横断する、かつてのメインストリートの一つです。現在の県道311号鎌倉葉山線に相当しますが、安国論寺の周辺は県道から外れた旧道沿いにあるため、街なかの喧騒から逃れた閑静な谷戸のなかにあります。

安国論寺・妙法桜と御小庵(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・妙法桜と御小庵(撮影日:2024.04.08)
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安国論寺が舞台となった立正安国論の執筆と松葉ヶ谷法難

安国論寺・本堂の扁額「立正安国」(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂の扁額「立正安国」(撮影日:2023.03.22)

日蓮は、鎌倉で布教をするにあたって、現在、安国論寺が建つ場所に草庵を結んだと言われています。現在の御小庵ごしょうあんの奥にある御法窟ごほうくつ(非公開)と呼ばれる岩窟がその場所で、日蓮が「立正安国論」を執筆したのもこの岩窟とされています。御小庵の前には、「立正安国論」の石碑が建っています。

日蓮は「立正安国論」で、法華経(妙法蓮華経)を信じれば国家も国民も安泰になると説き、もしそのようにしなければ、他国から侵略を受け、国内では内乱が起きるだろうと唱えています。
実際にこの後、モンゴル帝国による「元寇」や北条一門による内乱「二月騒動」が起こり、日蓮の訴えは予言のように的中することになります。

1260年(文応元年)、日蓮は「立正安国論」を書きあげると、時の権力者、鎌倉幕府第5代執権(前執権)・北条時頼に提出しました。

しかし、北条時頼は、中国より新しく伝来した禅宗を信仰していたため、「立正安国論」を無視し、日蓮を相手にしませんでした。

一方で、「立正安国論」の中で念仏批判をされた念仏者たちからは怒りを買い、日蓮は草庵を焼き討ちに遭いました。この際、日蓮白猿に導かれて難を逃れたとされる場所が、安国論寺の裏山の中腹にある南面窟なんめんくつと呼ばれている岩窟です。
日蓮はこの南面窟で一夜を明かした後、尾根沿いに逗子方面へ進み、名越切通を越えた先にある法性寺に逃れたと言われています。

安国論寺・「松葉谷日蓮上人遺蹟」の石碑(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・「松葉谷日蓮上人遺蹟」の石碑(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・「立正安国論」の石碑(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・「立正安国論」の石碑(撮影日:2023.03.22)
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安国論寺境内の見どころ

山門

安国論寺・ツツジの頃の山門(撮影日:2016.04.23)
安国論寺・ツツジの頃の山門(撮影日:2016.04.23)

安国論寺山門は、1746年(延享3年)に、尾張徳川家によって再建されたもので、現存するものでは、安国論寺最古の木造建築物です。山門に掲げられている「安國法窟」という扁額は、1691年(元禄4年)に佐々木文山によって揮毫されたものです。

山門の前には、「日蓮上人草庵蹟」の石碑が建っています。

安国論寺・山門の扁額「安國法窟」(撮影日:2016.04.23)
安国論寺・山門の扁額「安國法窟」(撮影日:2016.04.23)

正岡子規の歌碑

安国論寺・正岡子規の歌碑(撮影日:2016.04.23)
安国論寺・正岡子規の歌碑(撮影日:2016.04.23)

山門を入ってすぐの参道沿いに、正岡子規の歌碑が建っています。正岡子規は2度鎌倉を訪れていて、安国論寺へも足を運んだと言います。
この正岡子規の歌碑には、安国論寺の建つ松葉ヶ谷について詠まれた歌が刻まれています。

本堂

安国論寺・本堂としだれ桜(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂としだれ桜(撮影日:2023.03.22)

安国論寺本堂は、1962年(昭和37年)に再建されたものです。堂内には柱が1本もないめずらしい構造で、法事などが行われている場合を除いて、自由にお参りすることができます。

安国論寺・花まつりの花御堂(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・花まつりの花御堂(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・本堂の前に置かれた足形(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂の前に置かれた足形(撮影日:2023.03.22)

御小庵

安国論寺・御小庵(撮影日:2024.04.02)
安国論寺・御小庵(撮影日:2024.04.02)

御小庵は、日蓮の草庵跡とされる御法窟拝殿です。江戸時代末期に、尾張徳川家によって寄進された建物です。(御小庵内部と御法窟は非公開です)

熊王殿

安国論寺・熊王殿(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・熊王殿(撮影日:2024.04.08)

熊王殿は、正式名称を熊王大善神尊殿と言い、日蓮に従った熊王丸が勧請した熊王大善神を祀るお堂です。厄除け、眼病平癒、歯痛止め、縁結びなど、さまざまなご利益があるとされています。

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小さなハイキングコースのような松葉ヶ谷の尾根道

松葉ヶ谷の谷戸にある安国論寺を囲うように、途中、富士見台鐘楼などを経由しながら、尾根道を周回できる散策路があります。1周、15分ほどでまわることができ、小さなハイキングコースのようです。
熊王殿のすぐ右手に富士見台への登り口がありますが、急な階段を一気に登る必要があります。本堂右手から、反対まわりで登るほうが、登りは楽です。

富士見台

安国論寺・富士見台より鎌倉市街、由比ヶ浜方面を望む(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・富士見台より鎌倉市街、由比ヶ浜方面を望む(撮影日:2023.03.22)

富士見台からは鎌倉市街、由比ヶ浜方面を一望できます。その名前のとおり、気象条件が良ければ富士山を拝むこともできます。
日蓮は、毎日この場所から富士山に向かって法華経を唱えていたと言います。

鐘楼

安国論寺・鐘楼「立正安国の鐘」「平和の鐘」(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・鐘楼「立正安国の鐘」「平和の鐘」(撮影日:2023.03.22)

尾根道沿いにある鐘楼の鐘は、「立正安国の鐘」や「平和の鐘」と呼ばれています。

南面窟

安国論寺・南面窟(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・南面窟(撮影日:2023.03.22)

鐘楼から尾根道を下って行くと、裏山の中腹に差しかかると、南面窟が口を開けています。松葉ヶ谷法難で草庵を焼き討ちにされた日蓮が、白猿に導かれて難を逃れ、一夜を明かしたとされる岩窟です。

日蓮を助けた白猿の伝説は、日蓮が房総半島から海路で鎌倉に渡る際に遭難し、避難したと言う、東京湾唯一の無人の自然島・猿島にも残っています。

日朗上人荼毘所

安国論寺・日朗上人御荼毘所(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・日朗上人荼毘所(撮影日:2023.03.22)

尾根道を下りきると、日朗上人荼毘所の横に出ます。
日朗日蓮の本弟子6人の一人で、遺言にしたがい、出家得度したこの場所で荼毘に付されました。

日朗上人荼毘所は、本堂のすぐ隣りに建っています。

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安国論寺境内で見られる花

安国論寺・ツツジなどが咲く春の参道(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・ツツジなどが咲く春の参道(撮影日:2024.04.08)

安国論寺の境内では、冬から春の季節を中心に、さまざまな花をたのしむことができます。

⼭茶花(サザンカ)

安国論寺・本堂前のサザンカ(撮影日:2023.12.16)
安国論寺・本堂前のサザンカ(撮影日:2023.12.16)

安国論寺本堂前のサザンカは、樹齢350年以上と言われていて、鎌倉市の天然記念物に指定されています。このサザンカの大木は、安国論寺の花の見どころの一つです。

安国論寺・本堂前のサザンカ(アップ)(撮影日:2023.12.16)
安国論寺・本堂前のサザンカ(アップ)(撮影日:2023.12.16)

椿(ツバキ)

安国論寺・参道沿いの椿(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・参道沿いの椿(撮影日:2023.03.22)

水仙(スイセン)

安国論寺・御小庵前のラッパ咲き水仙(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・御小庵前のラッパ咲き水仙(撮影日:2023.03.22)

ハナモモ

安国論寺・ハナモモ(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・ハナモモ(撮影日:2024.04.08)

シャクナゲ

安国論寺・シャクナゲ(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・シャクナゲ(撮影日:2024.04.08)

安国論寺・妙法桜(撮影日:2024.04.08)
安国論寺・妙法桜(撮影日:2024.04.08)

安国論寺と言えば、日蓮が地面についた杖から根付いたと伝わる樹齢700年以上のヤマザクラの古木「妙法桜」が有名ですが、山門横や本堂横のしだれ桜も見事です。

安国論寺・本堂横のしだれ桜とオオシマザクラ(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂横の桜(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂横のオオシマザクラ(と思われる木)(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂横のヤマザクラかオオシマザクラ(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂横のしだれ桜(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・本堂横のしだれ桜(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・山門横のしだれ桜(撮影日:2024.04.02)
安国論寺・山門横のしだれ桜(撮影日:2024.04.02)

▼その他の鎌倉の桜の名所はこちら▼

【2024 No.6】特集 | 鎌倉桜の名所

ツツジ

安国論寺・参道沿いのつつじ(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・参道沿いのゲンカイツツジ(玄海ツツジ)(撮影日:2023.03.22)
安国論寺・「日蓮上人草庵蹟」の石碑(撮影日:2016.04.23)
安国論寺・「日蓮上人草庵蹟」の石碑とツツジ(撮影日:2016.04.23)
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安国論寺の黄葉・紅葉

山門前の大イチョウの黄葉

安国論寺・山門前の大イチョウ(撮影日:2023.11.27)
安国論寺・山門前の大イチョウ(撮影日:2023.11.27)

晩秋の安国論寺でひときわ目を引くのが、山門前の大イチョウです。この大イチョウは比較的早い時期に色づいて散ってしまいますが、境内奥の山に囲まれたイチョウは遅い時期までたのしめます。

安国論寺・山門前の大イチョウを見上げる(撮影日:2023.11.27)
安国論寺・山門前の大イチョウを見上げる(撮影日:2023.11.27)
安国論寺・南面窟下のイチョウの黄葉(撮影日:2023.12.16)
安国論寺・南面窟下のイチョウの黄葉(撮影日:2023.12.16)

境内各所で見られるモミジの紅葉

安国論寺・本堂と紅葉(撮影日:2023.12.16)
安国論寺・本堂と紅葉(撮影日:2023.12.16)

モミジ紅葉は、御小庵日朗上人御荼毘所の前、参道沿いなど、境内のいろいろな場所で見ることができます。

安国論寺・御小庵前の紅葉(撮影日:2023.12.16)
安国論寺・御小庵前の紅葉(撮影日:2023.12.16)
安国論寺・日朗上人御荼毘所と紅葉(撮影日:2023.12.16)
安国論寺・日朗上人御荼毘所と紅葉(撮影日:2023.12.16)

以下のリンク先からその他の【鎌倉の紅葉おすすめスポット】の情報もご覧ください

【2024 No.12】特集 | 晩秋の鎌倉・モミジ&カエデの紅葉
【2024 No.12】特集 | 晩秋の鎌倉・イチョウの黄葉

安国論寺周辺の見どころ

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DATA

住所 鎌倉市大町4-4-18
アクセス
行き方

●徒歩の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約18分

●バス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「緑ヶ丘入口」行きで『名越』下車徒歩約3分

駐車場 なし
営業時間

9:00~16:30

休業日 月曜日(祝日の場合は開門)
料金

<拝観料>
一般拝観 100円
特別拝観 500円(45分) ※案内付拝観(宝物や非公開の所も含む)、5名以上で要事前予約

電話番号 0467-22-4825
ウェブサイト https://ankokuronji.org/
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