安国論寺は、鎌倉時代の中頃に、日蓮宗(法華宗)の宗祖である日蓮が、鎌倉で布教を開始した際に草庵を結んだ場所に建てられた寺院です。日蓮は、安房国(現在の千葉県、房総半島南部)の清澄寺を拠点に修行した後、政治の中心であった鎌倉に移り住みました。
日蓮はこの地で、自身の代表著作となる「立正安国論」を執筆したと言われています。
安国論寺は、松葉ヶ谷と呼ばれる谷戸にあります。この松葉ヶ谷がある現在の鎌倉市大町や、日蓮が辻説法を開いていたとされる小町大路沿いには、日蓮宗の寺院や日蓮ゆかりの場所が数多く残っています。
また、安国論寺は、しだれ桜の大木や日蓮ゆかりの妙法桜などの桜をはじめとした、季節の花々が咲き乱れる花の寺でもあります。安国論寺のある大町エリアは花の名所とされるお寺が少なめということもあり、鎌倉の他のエリアと比べると混雑を避けて、落ちついて参拝することができます。
山号 | 妙法華経山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 久遠実成本師釈迦牟尼仏 十界未曾有大曼荼羅 |
創建 | 1253年(建長5年) |
開山 | 日蓮 |
開基 | ― |
安国論寺は、鎌倉幕府が整備した六大路の一つである大町大路沿いにあります。
大町大路は、極楽寺坂切通方面と名越切通方面を結ぶ、鎌倉市街を東西に横断する、かつてのメインストリートの一つです。現在の県道311号鎌倉葉山線に相当しますが、安国論寺の周辺は県道から外れた旧道沿いにあるため、街なかの喧騒から逃れた閑静な谷戸のなかにあります。
INDEX
安国論寺が舞台となった立正安国論の執筆と松葉ヶ谷法難
日蓮は、鎌倉で布教をするにあたって、現在、安国論寺が建つ場所に草庵を結んだと言われています。現在の御小庵の奥にある御法窟(非公開)と呼ばれる岩窟がその場所で、日蓮が「立正安国論」を執筆したのもこの岩窟とされています。御小庵の前には、「立正安国論」の石碑が建っています。
日蓮は「立正安国論」で、法華経(妙法蓮華経)を信じれば国家も国民も安泰になると説き、もしそのようにしなければ、他国から侵略を受け、国内では内乱が起きるだろうと唱えています。
実際にこの後、モンゴル帝国による「元寇」や北条一門による内乱「二月騒動」が起こり、日蓮の訴えは予言のように的中することになります。
1260年(文応元年)、日蓮は「立正安国論」を書きあげると、時の権力者、鎌倉幕府第5代執権(前執権)・北条時頼に提出しました。
しかし、北条時頼は、中国より新しく伝来した禅宗を信仰していたため、「立正安国論」を無視し、日蓮を相手にしませんでした。
一方で、「立正安国論」の中で念仏批判をされた念仏者たちからは怒りを買い、日蓮は草庵を焼き討ちに遭いました。この際、日蓮が白猿に導かれて難を逃れたとされる場所が、安国論寺の裏山の中腹にある南面窟と呼ばれている岩窟です。
日蓮はこの南面窟で一夜を明かした後、尾根沿いに逗子方面へ進み、名越切通を越えた先にある法性寺に逃れたと言われています。
安国論寺境内の見どころ
山門
安国論寺の山門は、1746年(延享3年)に、尾張徳川家によって再建されたもので、現存するものでは、安国論寺最古の木造建築物です。山門に掲げられている「安國法窟」という扁額は、1691年(元禄4年)に佐々木文山によって揮毫されたものです。
山門の前には、「日蓮上人草庵蹟」の石碑が建っています。
正岡子規の歌碑
山門を入ってすぐの参道沿いに、正岡子規の歌碑が建っています。正岡子規は2度鎌倉を訪れていて、安国論寺へも足を運んだと言います。
この正岡子規の歌碑には、安国論寺の建つ松葉ヶ谷について詠まれた歌が刻まれています。
本堂
安国論寺の本堂は、1962年(昭和37年)に再建されたものです。堂内には柱が1本もないめずらしい構造で、法事などが行われている場合を除いて、自由にお参りすることができます。
御小庵
御小庵は、日蓮の草庵跡とされる御法窟の拝殿です。江戸時代末期に、尾張徳川家によって寄進された建物です。(御小庵内部と御法窟は非公開です)
熊王殿
熊王殿は、正式名称を熊王大善神尊殿と言い、日蓮に従った熊王丸が勧請した熊王大善神を祀るお堂です。厄除け、眼病平癒、歯痛止め、縁結びなど、さまざまなご利益があるとされています。
小さなハイキングコースのような松葉ヶ谷の尾根道
松葉ヶ谷の谷戸にある安国論寺を囲うように、途中、富士見台や鐘楼などを経由しながら、尾根道を周回できる散策路があります。1周、15分ほどでまわることができ、小さなハイキングコースのようです。
熊王殿のすぐ右手に富士見台への登り口がありますが、急な階段を一気に登る必要があります。本堂右手から、反対まわりで登るほうが、登りは楽です。
富士見台
富士見台からは鎌倉市街、由比ヶ浜方面を一望できます。その名前のとおり、気象条件が良ければ富士山を拝むこともできます。
日蓮は、毎日この場所から富士山に向かって法華経を唱えていたと言います。
鐘楼
尾根道沿いにある鐘楼の鐘は、「立正安国の鐘」や「平和の鐘」と呼ばれています。
南面窟
鐘楼から尾根道を下って行くと、裏山の中腹に差しかかると、南面窟が口を開けています。松葉ヶ谷法難で草庵を焼き討ちにされた日蓮が、白猿に導かれて難を逃れ、一夜を明かしたとされる岩窟です。
日蓮を助けた白猿の伝説は、日蓮が房総半島から海路で鎌倉に渡る際に遭難し、避難したと言う、東京湾唯一の無人の自然島・猿島にも残っています。
日朗上人荼毘所
尾根道を下りきると、日朗上人荼毘所の横に出ます。
日朗は日蓮の本弟子6人の一人で、遺言にしたがい、出家得度したこの場所で荼毘に付されました。
日朗上人荼毘所は、本堂のすぐ隣りに建っています。
安国論寺境内で見られる花
安国論寺の境内では、冬から春の季節を中心に、さまざまな花をたのしむことができます。
⼭茶花(サザンカ)
安国論寺の本堂前のサザンカは、樹齢350年以上と言われていて、鎌倉市の天然記念物に指定されています。このサザンカの大木は、安国論寺の花の見どころの一つです。
椿(ツバキ)
水仙(スイセン)
ハナモモ
シャクナゲ
桜
安国論寺で桜と言えば、日蓮が地面についた杖から根付いたと伝わる樹齢700年以上のヤマザクラの古木「妙法桜」が有名ですが、山門横や本堂横のしだれ桜も見事です。
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ツツジ
安国論寺の黄葉・紅葉
山門前の大イチョウの黄葉
晩秋の安国論寺でひときわ目を引くのが、山門前の大イチョウです。この大イチョウは比較的早い時期に色づいて散ってしまいますが、境内奥の山に囲まれたイチョウは遅い時期までたのしめます。
境内各所で見られるモミジの紅葉
モミジの紅葉は、御小庵や日朗上人御荼毘所の前、参道沿いなど、境内のいろいろな場所で見ることができます。
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