瑞泉寺裏山やぐら群は、その名前のとおり瑞泉寺の裏山にあるやぐら(主に中世に造営された横穴式の墳墓または供養の場)群です。天園ハイキングコースの瑞泉寺口から天園方面に向かう途中で、主に向かって右側の山すそに、やぐらが口を開けているのを多く見ることができます。
瑞泉寺裏山のやぐらは、ハイキングコース上だけでなく、コースを外れた山中にも、それ以上に多く現存しています。その代表的なものは鎌倉幕府第14代執権・北条高時の首塚と伝わる通称「北条首やぐら」で、ハイキングコース上に、江戸時代後期の文政12年(1829年)に建てられた道標が今も残っています。
(北条首やぐらも瑞泉寺裏山やぐら群の一部と言えますが、そこに誰が葬られているのかと言ったいわれが明確に伝えられている特殊性から、別記事として紹介しています)
INDEX
紅葉ヶ谷と牛蒡ヶ谷の間に点在するやぐら群
瑞泉寺のある紅葉ヶ谷と呼ばれる谷戸の最奥は、光触寺から北側に延びる牛蒡ヶ谷(御坊ヶ谷)の奥に隣接していて、瑞泉寺裏山やぐら群はその間の稜線上に位置しています。
江戸時代後期に成立した地誌「新編相模国風土記稿」によると、牛蒡ヶ谷の後ろ山を御坊山と呼んでいて、瑞泉寺裏山やぐら群はその御坊山の山すそにあたります。「新編相模国風土記稿」には、御坊山の中腹には名馬の骨を埋めた岩穴があることも紹介されています。
(それが、瑞泉寺裏山やぐら群の一部なのかどうかは不明です。鎌倉には、鎌倉市によって名前の付けられている「やぐら/やぐら群」または「横穴/横穴群」が200近く存在しています。そのため、とくに山中のやぐらは名前と場所と伝承をマッチングさせるのが非常に難しい場合もあります。また、現在、光触寺の北には「馬場」という字名が残っています。「新編相模国風土記稿」では牛蒡ヶ谷と番場ヶ谷という谷戸の記述がそれぞれ見えます。番場ヶ谷は本郷村(現在の横浜市栄区の一部)との境とあることから、番場ヶ谷のほうがより北側の谷戸を指しているものと考えられます)
瑞泉寺裏山やぐら群の歴史的価値と功績
現在、天園ハイキングコース上で見られる瑞泉寺裏山やぐら群のやぐらは、埋もれてしまっていたり、崩れかけのものが多いです。
やぐらの保存状態の良し悪しは、一般的には、寺院の境内などの管理が行き届いた場所に継続してあったかどうかと、人が簡単に立ち入れないような場所にあるかどうかという条件に依存していると言えます。
瑞泉寺の境内の外にあり(寺域ではあるのかもしれませんが)、そこそこ人の往来がある天園ハイキングコース上に位置する瑞泉寺裏山やぐら群は、残念ながらそのどちらの条件も満たしていません。副葬品などがあったとしても、とうの昔に盗掘されてしまっていたことでしょう。
少なくとも現代においての瑞泉寺裏山やぐら群は、歴史的価値はそう高くないのかもしれませんが、鎌倉の山中に点在しているやぐら群という存在を、それをとくに興味がない人にも認知させてきたという功績は、どのやぐら/やぐら群よりも大きいかもしれません。
鎌倉・逗子で見られるその他の「やぐら」
天園ハイキングコース周辺
北鎌倉周辺(山ノ内)
源氏山周辺(扇ガ谷)
金沢街道周辺(浄明寺)
逗子周辺
天園ハイキングコースの見どころ
「鎌倉アルプス」とも言われる天園ハイキングコースは、鎌倉市街地の背後にそびえる山々を横断するハイキングコースです。
そのため、鎌倉・二階堂方面や北鎌倉方面の寺院などを行き来するアクセス路としても利用できます。
また、東に進むと、鎌倉市最高峰の大平山や天園を経由して、横浜自然観察の森や金沢市民の森、横浜市最高峰の大丸山、金沢自然公園(金沢動物園)などの横浜・金沢区方面に抜けることができます。