鎌倉幕府第2代執権である北条義時は、その影響力がまだ関東を中心としたものだった鎌倉幕府を、全国的な武家政権へと押し上げた立役者です。
鎌倉幕府の初代将軍(鎌倉殿)であった源頼朝の死後、頼朝の妻・政子を姉に持つ義時は、父・時政とともに、第2代将軍・源頼家を補佐する「十三人の合議制」の一人になりました。
この頃の幕府は、鎌倉時代の中でももっとも混乱していた時期で、多くの権力闘争が起こりました。義時はそのほとんどに、姉・政子や盟友・三浦義村らとともに中心人物の一人として関わり、最後まで勝ち残りました。
そして、最終的に承久の乱での勝利によって朝廷をも従わせることに成功して、江戸時代の徳川慶喜による大政奉還までおよそ700年近く続くことになる全国規模の武家政権がはじまることになりました。
当時は絶大な影響力を持っていたはずの北条義時ですが、地方の小規模な豪族出身ということや、同じ時代を生きた源頼朝やその妻であり義時の姉・政子のインパクトが大きいため、現代においては脚光を浴びる機会は多くありませんでした。
そんな中、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公になったことで、一躍ときの人となった北条義時。義時ゆかりの地は、いずれも狭い範囲内にあるため、1日で聖地巡礼できます(釈迦堂切通は立入禁止のため、紹介のみ)。
INDEX
北条義時屋敷跡に建つ 宝戒寺
北条義時の屋敷は、現在、宝戒寺がある場所にあったと伝えられています。「小町亭」と呼ばれたこの屋敷は、義時以来、北条得宗家(北条一族の本家)が代々使用しました。
1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによって幕府方が追いつめられると、この屋敷の裏手にあった東勝寺(廃寺)で、北条得宗家最後の当主となった北条高時とその一門は自害して、鎌倉幕府は滅びました。
宝戒寺は、戦の後、北条一族の霊を弔うため、後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏によって建立されました。
●住所
鎌倉市小町3-5-22
●拝観料
大人(高校生以上)300円
中学生200円
小学生100円
●駐車場
なし(近隣にコインパーキングあり)
●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約12分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行き、「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『大学前』下車徒歩約2分
北条義時が建立した大倉薬師堂を前身とする 覚園寺
覚園寺は、北条義時が建立した大倉薬師堂が前身と伝わる、義時ゆかりの寺院です。
鎌倉幕府第3代将軍(鎌倉殿)源実朝が鶴岡八幡宮で公暁によって暗殺される前年、義時は夢に現われた十二神将の戌神のお告げによってその場に居合わさず、難を逃れることができたと言います。
この夢の後、義時は大倉薬師堂を建立して十二神将を祀り、以後、北条家によってあつく信仰されていくことになりました。
現在の覚園寺の薬師堂は1354年(文和3年)に再建されたもので、御本尊の薬師如来像などとともに、義時の夢に現われたという十二神将像が祀られています。
●住所
鎌倉市二階堂421
●拝観料
大人 500円
小中学生 200円
※山門から愛染堂までは無料。拝観受付所から先、本堂薬師堂へは拝観料が必要。
●駐車場
あり
●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで終点『大塔宮』下車徒歩約10分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約40分
北条氏からもあつく信仰された 鶴岡八幡宮
1219年(建保7年)、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀の際に源実朝が公暁によって暗殺されると、源氏の正統は途絶え、時の執権・北条義時の鎌倉幕府内での権力はゆるぎないものになりました。
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、義時は実朝が暗殺される当日、急きょ体調を崩して付き添いの役目を源仲章に交代してもらったことが記載されています。他にも十二神将の夢のお告げの話や義時黒幕説など、実朝暗殺に関する逸話は複数存在します。このとき、義時の代理の源仲章も殺害されていますから、義時は実朝暗殺を事前に察知していたか、関与していたか、どちらかなのでしょう。
源氏ゆかりの鶴岡八幡宮は、幕府が北条氏の支配するところになった後も、武家政権の象徴として、歴代の執権北条氏からもあつく信仰されました。
●住所
鎌倉市雪ノ下2-1-31
●拝観料
無料(一部施設は有料)
●駐車場
あり(有料)※大型バスのみ事前予約可能
●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、徒歩約10分
※混雑を避けたい場合は、「鎌倉駅(西口)」より、今小路、横大路経由で、徒歩約15分
周辺の見どころ
源頼朝法華堂跡(源頼朝の墓)
宝戒寺
岩船地蔵堂
寿福寺
北条義時の墓 北条義時法華堂跡
1224年(元仁元年)、北条義時は62歳で急死してしまいます。
1221年(承久3年)に起きた承久の乱の勝利で朝廷をも掌握した、わずか3年後の出来事でした。
鎌倉幕府を全国的な政権へと押し上げた義時は、幕府の創設者である源頼朝の墓がある隣りの山に葬られました。頼朝と並ぶほどの影響力があったことがうかがい知れます。
山の中腹の平場には義時の法華堂があったと伝えられていますが、現在は更地になっています。近年の発掘調査では、建物の礎石や雨落ち溝の場所が判明し、この場所に義時法華堂と思われる建築物があったことが裏付けられています。
●住所
鎌倉市西御門2-757
●入場料
無料
●駐車場
なし(近隣にコインパーキングあり)
●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行き、「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『岐れ道』下車徒歩約4分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約20分
※北条義時法華堂跡の建物は現存しませんが、ARアプリを使用すると目の前に現われます。(詳細はリンク先参照)
北条義時供養の釈迦堂があったと伝わる 釈迦堂切通
2022年1月現在、釈迦堂切通周辺は、崩落の危険があるため立入禁止となっています。
釈迦堂切通は、鎌倉の大町地区と浄明寺地区を南北に結ぶ切通です。鎌倉内部の切通のため、鎌倉の内外を結ぶ「鎌倉七口」には数えられていません。
トンネル状の切通の内部には、鎌倉地域でよく見られる「やぐら」(中世の墓や供養の場)が見られる特徴的な場所ですが、長い間、通行禁止になっています。(写真は2000年に立入禁止エリア外から撮影したもの)
この切通しの周辺には、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が父・義時の供養のために建てた釈迦堂があったと伝えられています。しかし、どこにどのようなものがあったのか詳細は謎のままで、「釈迦堂」という名前と「義時供養」というそのいわれだけが今に伝わる場所です。
●住所
鎌倉市大町6丁目
●入場料
無料
●駐車場
なし(近隣にコインパーキングあり)
●公共交通機関
北側(県道204号金沢街道・浄明寺方面)から
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行きで『杉本観音』下車徒歩約10分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約35分
南側(県道311号逗子葉山線・大町方面)から
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「緑ヶ丘入口」行きで『名越』下車徒歩約20分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約35分
北条義時ゆかりの地 おすすめモデルコース
- スタート鎌倉駅
バス約10分
- バス停岐れ道
徒歩約4分
- 目的地1北条義時法華堂跡(北条義時の墓)
徒歩約6分
- 経由地鎌倉宮
徒歩約8分
- 目的地2覚園寺
徒歩約8分
- バス停大塔宮(鎌倉宮)
バス約3分
- バス停大学前
徒歩約2分
- 目的地3宝戒寺
徒歩約3分
- 目的地4鶴岡八幡宮
徒歩約1分
- バス停八幡宮
バス約2分
- ゴール鎌倉駅
- スタート鎌倉駅
徒歩約20分
- 目的地1北条義時法華堂跡(北条義時の墓)
徒歩約6分
- 経由地鎌倉宮
徒歩約8分
- 目的地2覚園寺
徒歩約8分
- 経由地鎌倉宮
徒歩約13分
- 目的地3宝戒寺
徒歩約3分
- 目的地4鶴岡八幡宮
徒歩約10分
- ゴール鎌倉駅
以下のリンク先から、その他の同じ時代を生きた人物ゆかりの地もご覧ください