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鎌倉七口・鎌倉七切通 | おすすめ度・拡大可能な詳細地図付きで紹介

鎌倉七口 鎌倉
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三浦半島の切通index

鎌倉七口かまくらななくちとは、鎌倉の内部と外部を結ぶ出入口となる、主だった七つの古道のことです。三方を山に囲まれた鎌倉は、有事の際の防御には優れていましたが、平時の人の往来には不便でした。そのため、山道を切り開くなどして、交通路を整備しました。これらの道は、その規模に大小の差があるものの、自然の地形を開削して造った、いわゆる「切通し」の道のため、「鎌倉七切通」とも呼ばれています。
鎌倉の内外を結ぶ出入口の総称のため、鎌倉七口・鎌倉七切通には、釈迦堂切通のような鎌倉内部の通行のための切通しは含まれていません。

現在のラインナップと同じ鎌倉七口が定着するようになるのは、地誌や旅行のガイドブックがさかんに作られるようになる江戸時代になってからのことで、中世には、このような呼び名はありませんでした。
切通しの開削時期などの詳細から、そもそも、史実に現われる道が現在その名で呼ばれているルートと同じものなのかと言ったことまで、分かっていないことが多いです。

近現代になり、交通路の主役が人や馬から車に変わると、鎌倉七口もバイパスとして造られた新たな道に主役の座を譲ることになります。
なかでも、鎌倉七口の一つである極楽寺坂切通は、古道の切通し自体がさらに大きく開削されて車道化されたため、往時の姿はほぼ残っていないと考えてよいでしょう。この極楽寺坂切通を除く6ヵ所は、1960年代から1970年代にかけて国の史跡に指定されて、現在は保全の対象になっています。

とくに、名越切通朝夷奈切通は、切通しの区間自体が長く、周辺のかなり広範囲が国の史跡として保全されていることもあり、鎌倉七口初心者・切通し初心者におすすめです。観光地化された神社や寺院とはまったく異なる、古都鎌倉のディープな世界を体験できます。

読み方おすすめ度鎌倉の内側鎌倉の外側
名越切通なごえきりどおし大町(逗子市)小坪・久木
朝夷奈切通あさいなきりどおし十二所(横浜市金沢区)朝比奈町
巨福呂坂こぶくろざか雪ノ下山ノ内 ※通行不可
亀ヶ谷坂かめがやつざか扇ガ谷山ノ内
仮粧坂けはいざか(けわいざか)扇ガ谷佐助
大仏切通だいぶつきりどおし長谷常盤・笛田
極楽寺坂切通ごくらくじざかきりどおし坂ノ下極楽寺
  • 本特集の情報は、2024年5月1日現在の情報になります。
  • 当サイトに掲載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。
鎌倉七口・鎌倉七切通マップ

マップは、スマートフォンやタブレットでは二本指で操作できます。

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名越切通

名越切通なごえきりどおしは鎌倉と三浦半島を結ぶ古道で、現在の鎌倉市と逗子市の市境にあります。三浦半島から見た場合、陸路での数少ない玄関口でした。

名越切通は、かつては「名越坂」や「名越路」などとも呼ばれていました。「名越(なごえ)」とは、現在の鎌倉市大町から名越切通にかけた一帯の旧地名で、険しい難所であったため「難越(なごし)」と呼ばれていたことが由来とされています。

古くは、日本武尊やまとたけるのみことが東国征討で通った古東海道(西国から常陸の国を結ぶ道とされ、鎌倉から東は、三浦半島を横断した後、横須賀の走水から房総半島の上総を海路で渡り、北上するルートであったと考えられています)の一部であったのにはじまり、鎌倉時代初期に鎌倉殿の側近として栄えた三浦一族が鎌倉での居館と領地であった三浦半島の衣笠城などとの往来に使用したでしょうし、江戸時代には江戸や東海道方面から浦賀奉行所に向かう浦賀道(西回り)の一部でもありました。(いずれの道も、どこがメインルートであったか正確には分かっていないため、諸説あります)

明治期に入り、切通しの下に名越隧道(現在の県道311号)などのトンネルが開削されるまでは、主要な交通路として使用されてきました。
トンネル開削後も、峠越えのほぼ全区間約300mの山道はそのまま残されたため、鎌倉七口の中でもとくに古道の雰囲気を残しています。しかし、近年の発掘調査の結果、現在の切通しは江戸時代に何度も改修工事をした跡が見られ、ルートを含めて中世やそれ以前の詳しい姿は分かっていません。

●住所
逗子市小坪7丁目

●公共交通機関
徒歩の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅(西口・久木方面)」より徒歩約30分、京急逗子線「逗子・葉山駅」より徒歩約35分
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約30分
逗子駅からバス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅」または京急逗子線「逗子・葉山駅」より京急バス「亀が岡団地循環」行きにて、『緑ヶ丘入口 』下車徒歩約8分、または、『亀が岡団地北 』下車徒歩約5分
鎌倉駅からバス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「緑ヶ丘入口」行きで『緑ヶ丘入口』下車徒歩約8分

名越切通・第1切通(撮影日:2023.04.25)
名越切通・第1切通

周辺の見どころ
まんだら堂やぐら群 ※季節・曜日限定公開
法性寺
お猿畠の大切岸
浄明寺緑地

周辺のハイキングコース等
衣張山ハイキングコース・平成巡礼道
巡礼古道

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朝夷奈切通(朝比奈切通し)

朝夷奈切通あさいなきりどおしは、鎌倉の中心部と、中世以降東京湾に面した鎌倉の外港(貿易港)として栄えた六浦や金沢方面(現在の横浜市金沢区)を結ぶ古道で、現在の鎌倉市と横浜市の市境にあります。古くは「六浦道」とも呼ばれていました。
現在は、地名として用いられている「朝比奈あさひな」を使った、「朝比奈切通しあさひなきりどおし」と表現される場合もあります。

鎌倉から釜利谷方面に抜ける白山道など、朝夷奈切通の開削以前にも鎌倉と六浦・金沢方面を結ぶ生活路はいくつかあったと考えられていますが、現在の切通しのルートは、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の指揮の下、工事が進められました。
北条泰時は鎌倉の重要な外港(貿易港)となった六浦に、弟の実泰を配しました。実泰の子・実時からは三代に渡って、称名寺金沢文庫を建立するなど、朝夷奈切通の外側に、金沢北条氏として独自の文化を築いていきました。

朝夷奈切通には、和田義盛の乱でも活躍したとされる和田一族朝夷名(朝比奈)義秀が一夜にして切り開いたという伝説が残っていて、切通しの名前もここから付けられたとされています。

朝夷奈切通は、1956年(昭和31年)に切通しを迂回する現在の県道204号(金沢街道)が開通するまでは幹線道路として使用されてきましたが、切通しの峠道区間は1km以上に渡って開発の手を逃れたため、朝夷奈切通鎌倉七口の中でもっとも古道の雰囲気を残す切通しの一つです。

●住所
横浜市金沢区朝比奈町字峠坂1番地、鎌倉市十二所

●公共交通機関
鎌倉駅からバス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行きで『十二所神社』下車徒歩約20分
金沢八景駅からバス利用の場合
京急線・金沢シーサイドライン「金沢八景駅」より京急バス「鎌倉駅」行き、または神奈川中央交通バス「大船駅」行き、「上郷ネオポリス」行きで、『朝比奈』下車徒歩約10分
徒歩の場合
京急逗子線「六浦駅」より、やまなみルート経由で、徒歩約40分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約1時間5分

朝夷奈切通・大切通付近の磨崖仏(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通付近

周辺の見どころ
朝比奈熊野神社
十二所果樹園
梶原太刀洗水
上総介塔(上総広常の墓)

周辺のハイキングコース等
やまなみルート(久木大池公園~十二所果樹園~千光寺)

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巨福呂坂(小袋坂、巨福呂坂切通し)

巨福呂坂こぶくろざかは、鎌倉中心部の雪の下と北鎌倉の山ノ内を結んでいた古道です。「小袋坂」や「巨福呂坂切通し」と表現される場合もあります。鎌倉七口の中で唯一、通行できなくなった切通しです。

旧道となった巨福呂坂がいつ通り抜けできなくなり、利用されなくなったのか正確には分かりませんが、明治期に現在の県道21号(鎌倉街道)となる新道が開削されたため、廃れたものと考えられます。
この新道は、何度か大きな改修工事を受けた後、1993年にトンネルのようなアーチ状の落石防護施設を伴う巨福呂坂洞門になっています。

中世の巨福呂坂は、鎌倉の市街地と鎌倉の北側を往来する重要な交通路だったと考えられます。
巨福呂坂の外側にあたる山ノ内には、鎌倉幕府の源氏将軍が三代で滅んだ後、北条氏による執権体制が確立すると、北条一門による大寺院が次々と建てられていきました。
巨福呂坂が整備されたきっかけには、鎌倉と鎌倉より北側との交通路という意味合いもあったにしろ、中世の鎌倉の都市としての広がりも意味しているのかもしれません。

●住所
鎌倉市雪ノ下

●公共交通機関
雪の下側の坂道まで
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、徒歩約20分
または
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、江ノ電バス「大船駅」行き、「上大岡駅」行き、「本郷台駅」行きで『八幡宮裏』下車、徒歩約5分

巨福呂坂・現在の雪の下側の終端(撮影日:2020.10.26)
巨福呂坂
巨福呂坂洞門・雪ノ下側から望む(撮影日:2023.10.03)
巨福呂坂洞門(新道)

周辺の見どころ
鶴岡八幡宮
円応寺(えんま様の寺)
建長寺

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亀ヶ谷坂(亀ヶ谷坂切通し)

亀ヶ谷坂かめがやつざかは、鎌倉の扇ガ谷と北鎌倉の山ノ内を結ぶ古道です。「亀ヶ谷坂切通し」と表現される場合もあります。

亀ヶ谷坂の名前の由来は、亀も引き返すほど急な坂だったことから「亀返り坂」と呼ばれるようになり、いつしか「亀谷坂」になったと言われています。

亀ヶ谷坂巨福呂坂と同じように、鶴岡八幡宮などがある鎌倉中心部と、建長寺円覚寺などの大寺院がある山ノ内や、鎌倉から北に抜ける重要な交通路だったと考えられます。
この2つの切通しは、鎌倉七口のなかでとくに地理的に近い存在ですが、開削時期を含めて、どちらがメインルートであったかなど、詳しいことは分かっていません。

一方、亀ヶ谷坂は、巨福呂坂とは異なり、近現代に入ってからも直接的なバイパスが造られませんでした。そのため、現在でも生活路として使われています。舗装路になっていて、車の通り抜けはできませんが、バイクは通り抜けることができます。

山ノ内側の入口付近では、初夏はあじさい、秋には草紅葉が見られるなど、亀ヶ谷坂は他の鎌倉七口とは少し違った趣があります。

●住所
鎌倉市山ノ内、扇ガ谷3丁目

●公共交通機関
北鎌倉駅から
JR横須賀線・湘南新宿ライン「北鎌倉駅」より、徒歩約10分
または、江ノ電バス「鎌倉駅」行きで『上町』下車、徒歩約1分
鎌倉駅から
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約20分

亀ヶ谷坂・坂の頂上付近より扇ガ谷方面を見下ろす(撮影日:2020.12.01)
亀ヶ谷坂

周辺の見どころ
長寿寺 ※季節・曜日限定公開
浄智寺
東慶寺
明月院(あじさい寺)
浄光明寺

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仮粧坂(化粧坂切通し)

仮粧坂けはいざかは、鎌倉の扇ガ谷と現在の源氏山公園方面を結ぶ古道です。扇ガ谷側では、岩船地蔵堂付近で、亀ヶ谷坂と合流(分岐)します。
仮粧坂は「化粧坂」や「化粧坂切通し」と表現される場合もあります。「仮粧坂」も「化粧坂」も、読み方は「けはいざかけわいざか)」です。

仮粧坂化粧坂)の名前の由来は、討ち取った平家の武将の首をここで化粧をしたからとか、この辺りに化粧をした遊女がいたからとか、諸説あります。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」では「気和飛坂」と表記されています。
いずれにしましても、どれか一つが答えというわけではなく、鎌倉の入口として、さまざまな意味合いを持つ場所であったことは間違いないでしょう。

仮粧坂は、切通しの象徴ともいえるような切り立った崖の間を通る道ではなく、現在見られる鎌倉七口のなかでもっとも険しい山道として残っています。古くは、どの切通し仮粧坂のように狭く険しい道だったのかもしれません。

鎌倉幕府滅亡の決定打となった新田義貞らによる鎌倉攻めでは、当初、新田軍の主力は仮粧坂から鎌倉へ攻め入ろうとして、現在の源氏山公園がある葛原岡一帯は激戦地となりました。しかし、幕府軍の守りが固かったためか、仮粧坂自体の防御力が高かったためか、突破することができませんでした。

鎌倉七口は防衛上の重要拠点として語られる場合もありますが、鎌倉幕府滅亡時まで鎌倉が外部から大規模な攻撃を受けることがなかったこともあり、それが実際に史実として残っているケースは多くありません。
逆に、新田義貞らによる鎌倉攻めが、そのようなイメージを強めているとも言えるでしょう。

ただ、寿福寺の脇から登る坂道など、鎌倉中心部から源氏山公園方面に抜ける道は現在も複数あり、実際にどのルートが中世のメインルートだったのか、新田義貞らが攻め込んだルートだったのかは、はっきりしていません。

●住所
鎌倉市扇ガ谷、佐助

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約20分
※源氏山公園からすぐ

仮粧坂・急峻な坂道を見下ろす(撮影日:2020.12.01)
仮粧坂

周辺の見どころ
源氏山公園
葛原岡神社
海蔵寺
英勝寺
寿福寺・源実朝と北条政子の墓

周辺のハイキングコース等
葛原岡・大仏ハイキングコース

大仏切通(大仏坂切通し)

大仏切通は、鎌倉の長谷と、同じく常盤をはじめとする鎌倉市の深沢地域や藤沢方面を結ぶ古道です。「大仏坂切通し」と表現される場合もあります。

現在の大仏切通のルートがいつできたのかは分かっていませんが、鎌倉の防衛上重要な場所であり、この近くに鎌倉幕府第7代執権・北条政村の邸宅(北条氏常盤亭)があったことからも、鎌倉時代には今の切通しに近い交通路があったと考えられます。

大仏切通という名前が歴史上の資料に現われるようになるのは江戸時代になってからで、明治末期に現在の県道32号の大仏隧道が開削されるまで、鎌倉の内外を結ぶ主要な道路の一つとして使用されました。
その後も、すぐ近くまで住宅地の開発が迫りましたが、切通しの周辺部分は開発の手を逃れたため、鎌倉七口の中でも古道の雰囲気をとどめている切通の一つです。

大仏切通は、源氏山公園方面から続く葛原岡・大仏ハイキングコースにもつながっているため、鎌倉駅方面から、仮粧坂源氏山公園を経由して、古道の雰囲気をたのしむこともできます。

●住所
鎌倉市常盤、長谷4丁目、笛田6丁目

●公共交通機関
徒歩の場合
江ノ電「長谷駅」より徒歩約20分
バス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、江ノ電バス「藤沢駅南口(富士見ヶ丘経由)」、「打越」行きなど、京急バス「鎌倉山」行き、「大船駅東口(ルミネ下)」行きなどの、いずれも「大仏方面」行きで、『火の見下』下車徒歩約3分
葛原岡・大仏ハイキングコース利用の場合
・源氏山公園より、徒歩約40分
・JR横須賀線・湘南新宿ライン「北鎌倉駅」より、徒歩約1時間30分

大仏切通(撮影日:2018.03.28)
大仏切通

周辺の見どころ
鎌倉大仏殿高徳院
長谷寺(長谷観音)
鎌倉山さくら道(鎌倉山桜並木)

周辺のハイキングコース等
葛原岡・大仏ハイキングコース

極楽寺坂切通

極楽寺坂切通は、鎌倉の長谷・坂ノ下と、極楽寺や七里ヶ浜、藤沢方面を結ぶ古道です。「極楽寺切通し」と表現される場合もあります。鎌倉七口の中で唯一、国の史跡に指定されていません。

現在の極楽寺坂切通は、自動車が無理なく対面で通行できる車道になっていて、古道の面影は道の両側で高く切立った崖に残るだけです。
しかし、この深い崖も近代に入ってから開削されたものではあります。往時の切通しは坂の南側にある、現在の成就院の参道の高さの場所を通っていたと推定されています。

中世の極楽寺坂切通は、坂の上に位置する極楽寺の実質的な開山である忍性によって、鎌倉時代に切り開かれました。もちろん、極楽寺坂切通という名前も、地名にもなった極楽寺から付けられています。

新田義貞らによる鎌倉攻めでは、新田軍の主力は仮粧坂を攻め込んだ後、今度は極楽寺坂切通を突破しようとしましたが、こちらも突破できず、最終的には稲村ヶ崎の海岸線から鎌倉に入ったというエピソードが残っています。

●住所
鎌倉市極楽寺

●公共交通機関
江ノ電「極楽寺駅」より徒歩約3分
江ノ電「長谷駅」より徒歩約6分

極楽寺坂切通(撮影日:2023.05.31)
極楽寺坂切通

周辺の見どころ
成就院
極楽寺
御霊神社(権五郎神社)

鎌倉七口以外の鎌倉・逗子・横須賀の切通し

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